トーヤアキラの一日 21 - 25
(21)
アキラは、この一ヶ月の自分の気持ちをとつとつと語った。
「キミが碁会所から出て行った日から、キミの事ばかり考えていた。キミに会いたい、
キミと話がしたいって。・・・・・キミと会って碁の話が出来ない事が、これ程辛いとは
思わなかった。・・・・・こんな気持ちになったのは生まれて初めてだったから、すぐには
分からなかったんだ。・・・・・でも、キミの事が好きだと気付いた。・・・・・今日キミに会えて
話が出来て本当に嬉しい・・・・・。進藤、キミの事が好きだ」
心臓は相変わらず高鳴っていたが、告白する事で感情を吐き出したためか、気持ちは意外に
落ち着いていた。話しながらも、ヒカルの表情を一瞬たりとも見逃すまいと、ヒカルの
顔から視線を逸らすことはしなかった。
最初ヒカルは、驚きの表情で話を聞いていたが、そのうち真剣な表情に変わった、そして
徐々に何かを考えているような困惑した表情になった。
アキラが話し終わると、暫くの沈黙の後、
「オレ、どうすればいい?告白された以上、返事をしないといけないんだよな?」
そうヒカルが聞く。アキラは少し返事に詰まったが
「キミの気持ちを聞かせて欲しい」
と身を乗り出して言うと、ヒカルは
「考えてみる」
と言って、さっさと先に店を出て行ってしまった。
そのヒカルの後姿を見送りながら、アキラは告白したことを後悔し始めていた。
今日はヒカルに会って、自分の気持ちを確かめるつもりだった。告白するつもりは全く
無かったのに、ヒカルの言葉に勝手に煽られて告白してしまった自分に腹が立つ。
話した事で、アキラ自身はある意味スッキリしたが、重い気持ちをヒカルに押し付ける
結果になってしまったかも知れない。
(22)
家に帰ると、アキラの後悔は膨らむばかりだった。
なぜいきなり告白してしまったのだろう。自分はどんな返事を期待していたのだろう。
なぜ時間をかけて想いを伝える方法を考えなかったのだろう。せっかくヒカルが「時々
碁の話がしたい」と言ってくれたのに、なぜ自分でその機会を壊す事をしてしまったの
だろう。軽蔑されて一緒に碁を打つことすら出来なくなるかもしれない。
一度落ち込むと、限りなく負の思考に陥って行く。ただ、ヒカルの事を好きだ、と言う
気持ちだけは、さらに強くなるのを感じていた。
二日、三日、そして一週間経ってもヒカルからの連絡は無かった。
じっくりヒカルの返事を待つつもりのアキラだったが、不安は日毎に増していく。
その不安な気持ちをエネルギーに変えて、アキラは碁に打ち込んでいた。頭の中は碁の
事で一杯であり、またヒカルの事でも一杯だった。碁に集中している時は一切の雑念を
排除して集中していたし、ヒカルの事を想う時は、他の事は全く考えられなかった。
告白して二週間が過ぎた頃に、棋院でヒカルとすれ違って声もかけられなかった時から、
更に一週間以上が経過したが、ヒカルからの連絡は全く無かった。
アキラは絶望の淵に居た。これと似たような気持ちをかつて感じた事があるような気がした。
───そうだ、進藤との二回目の対局の後だ。
完膚なきまでに叩きのめされて、完全に自信を無くして絶望の底に居た。だが、あの時は
恐れを勇気に代えてヒカルと立ち向かう事に決めたのだ。
───このままでは一歩も前に進めない。とにかく勇気を持って進藤に会おう。
アキラは、ヒカルに会って自分の想いをもう一度強く伝えることに決めた。その上で受け
入れてもらえないなら、諦める代わりに今までのように普通に碁の話をしてくれるように
頼む事にした。
(23)
北斗杯代表選抜東京予選は10時から開始の予定だ。対局時間と検討時間を考慮に入れて、
ヒカルが出て来そうな時間に棋院の前で待つつもりで早目に出かけた。
棋院の前に着いて暫し佇んでいると、次々に知っている人に声をかけられる。
「塔矢君、何をしてるの?」
「あ、いえ、ちょっと」
こんなやり取りを数回繰り返した所で、棋院の前で待つことはやめた。そもそもヒカルは
仲間と一緒に出てくる可能性が高く、棋院の前では声をかけられない事もあるからだ。
そこで、アキラは地下鉄の入り口で待つことにした。ヒカルが家に帰る時には必ずここを
通るはずである。夕方まで待って来なければ諦めるつもりで、アキラは地下鉄の入り口
手前のビルの路地で待つことにした。
天気は良かったが、2月の屋外は底冷えがした。コートの上にマフラーを巻いて来たが、
手袋は持って来なかったので手がかじかむ。コートのポケットに手を入れ、肩をすぼめて
通行人に目を凝らす。30分、1時間が経つと、足の先の感覚が無くなって来た。
───早く進藤の顔が見たい。・・・・・・・進藤に触れてみたい・・・・・・・
ヒカルに会う事に不安はあったが、どんな形にせよ会える事に対する喜びの方が勝って
いるのも確かだった。体中が冷え切っているのに、心はヒカルに対する想いで激しく燃焼
していた。
更に一時間が経過した。もう来ないかも知れない、と諦めかけた時、ヒカルがこちらに
向かって歩いて来るのが見えた。待ち焦がれた懐かしい姿に、思わず顔がほころんだが、
次の瞬間アキラを不安が襲った。それは、ヒカルが下を向いて元気なく歩いて来るからだった。
───まさか、今日の対局で負けたのか!?
そう思うと、今日の目的も忘れて、勢い良くヒカルの前に飛び出していた。
「進藤!!」
(24)
驚いて顔を上げたヒカルだったが、いつもの様に大声を出す事は無かった。
アキラを見ると一瞬絶句してから
「塔矢・・・・・」
と元気なく言う。
「今日の結果は?」
「あぁ・・勝った。・・・・・何してるんだよ、こんな所で」
「キミを待っていた。ちょっといいかな」
「・・・・・・・」
アキラが歩き出すとヒカルはその後を付いて来たが、横に並んで歩こうとはしなかった。
ずっと下向き加減で足取りも重く、話す事を拒否しているように見えた。
アキラは、そんなヒカルの様子に一縷の望みを絶たれた思いがした。忘れていた寒さが
再びアキラを襲い足元が震えた。
アキラは駅近くの公園に入って行った。駅の近くとは言っても、大通りからは直接見えない
場所なので人通りも無く、この寒さの中で遊んでいる子供も一人も居ない。
公園の奥にある大きな木の側まで来ると、アキラは体ごとヒカルに向けて振り返った。
ヒカルも足を止めたが、相変わらず下を向いている。アキラもまともにヒカルを見ることが
出来ずに足元に目をやりながら、何から話したら良いのか考えていた。ヒカルの様子から、
自分の気持ちを受け入れてもらえない事は察しがつき、もう一度「好きだ」と強く訴える
元気が出て来ない。このまま嫌われてしまうより、自分の「好きだ」と言う気持ちを抑えて、
今まで通り碁の話が出来る関係に修復させたいとアキラは思った。
「ごめん、進藤。・・・・・・この前言った事は忘れて欲しい・・・・・」
無念の思いが一杯で、その先の言葉が出てこない。心臓は高鳴り、自分の想いを伝える術が
わからず体が強張って来る。
その時、ヒカルのぎゅっと握られた震える握り拳がアキラの目に入って来た。
───殴られる?
そう覚悟してヒカルを見上げると、ヒカルは目にうっすらと涙を滲ませてアキラを見ていた。
(25)
この日初めて視線を合わせた二人だが、それだけで気持ちが通じることは無かった。
「進藤?」
「どういうつもりだよ!ふざけんなよ!」
ヒカルは、溜めていたものを勢い良く押し出すように言った。
「えっ?」
「いきなりオレの事好きだとか言っておいて、一ヶ月も放ったらかしてさ!!その挙句に
忘れてくれって何だよ!オレの気持ちを弄ぶのもいいかげんにしろよ!!」
「そ、そんな・・・違う、違うよ。誤解だよ」
「何が違うんだよ!今、忘れてくれって言ったじゃないか!」
「それは違う!ボクの気持ちは変わらない!キミが好きだ、進藤!本当だ!」
「じゃあ、何で一ヶ月も放っておいたんだよ!」
「・・・・キミが考えてみる、って言ったから・・・・・考え終わったら連絡してくれると思って・・」
「・・・・・・何だよそれ。普通告白した方が連絡するだろ・・・・・」
「えっ?そうなの?・・・・・ごめん、知らなくて・・・」
「いつものお前なら、こっちが迷惑でも平気で押しかけて来るだろ!」
「・・・ごめん・・・てっきりキミに嫌われたと思って・・・」
「オレがこの一ヶ月、どんな気持ちで過ごしてたのかお前にわかるのかよ!」
アキラの頭は混乱して、高鳴っていた心臓は停止状態になっていた。
ただ、ヒカルが自分の気持ちをぶつけて来てくれた事で、逆に強張っていた気持ちが
救われて、自分の想いを伝えることも出来るような気がして来た。
「聞かせて欲しい。キミの気持ちを聞かせて欲しい」
一歩前に出てヒカルの顔を見つめる。
ヒカルは握り拳をゆっくりと解き、肩の力を抜きながら溜息をついた。
「お前の気持ちが変わらないって言うのは本当かよ」
「本当だよ!本当だ。キミへの気持ちは変わらない。いや、前よりももっとキミの事が
好きになっている。・・・・・だから進藤、キミの気持ちを聞かせてくれるか?」
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