白と黒の宴4 21 - 25
(21)
「カメラなんかに驚いているのか?昨日のレセプションでは平気だっただろ。」
アキラに声をかけられて社はますます頭に血が登った。
「だ、誰が驚いとるって!?ああっ?」
本音のところでは、昨日だって無遠慮に写真に撮られるのはあまり良い気がしなかったのだ。
(どうせお前と違ってオレは撮られ慣れてへんのやっっ)
内心でアキラにブツクサ悪態をつく。
ヒカルはヒカルでテレビカメラを気にして落ち着かずキョロキョロしまくっている。
「打ってるとこがテレビに映るのか?オレ達。日曜の昼にやってるやつみたいに… 」
「会場向けのモニターに映し出されるんだよ。あとネットでも流されるらしい。映すのは
盤面だけだから…」
とアキラに説明されたものの、やはり動揺は隠せないらしい。
今さらながらこの大会の規模の大きさを実感させられる。
落ち着きをなくした社とヒカルとは別にアキラはいたって普段通りだ。むしろいつも以上に
静かに威厳を放ち、声高に打ち合わせをしていたスタッフらもアキラが席に座り集中力を
高めるように目を閉じるのを見て、声のトーンを落とす。
夕べアキラを「何か変やで、お前ら」と宥めたつもりの社としては面目が立たなかった。
(…何でこんなに緊張しとるンや、オレは…)
飲まれた気持ちを切り替えるために社は一度外に出た。
そこで、観客としてパンフレットを受け取る人の列の中に越智の姿を見つけた。
越智もこちらに気付くと真直ぐに睨み返して来た。
「…越智…」
その視線を受け止めて社は頭が冷えた。
(22)
本来なら、この場所にいるのは越智だったのだ。
棋士としてのプライドと潔さで彼はせっかく手にした代表の座を再び賭けて自分と勝負した。
瞬時に社にあの時の自分を思い出す。いかに自分が思い上がった、強い者を知らない井の中の
蛙であったか。
アキラの強さを、深さを知らず、思いのままに出来ると勘違いしていた。
「…カメラとか…ネットとかがなんぼのものや…!」
越智のおかげで今度こそ普段の自分を取り戻す事が出来そうだった。
「お願いします」
中国の大将と向かい合い、アキラは頭を下げた。少し離れた場所で社の、そしてヒカルの戦いも
始まった。タイトルリーグ戦で熟練の高段者との戦いを重ねているアキラにとって、同世代の
強者との一戦はある部分新鮮であった。ホームである分こちらが有利なのは十分わかっている。
アキラも夕べはあまり眠れなかった。一晩かけて己の中の闇がかった炎と戦い、浅い眠りで
何度も目を覚まし朝になってしまった。
ただその炎に打勝つ事は出来た。
疲労感は強かったが頭の奥の芯は冴えざえとし、研ぎすまされているのがわかる。
自分が調子を崩せば、それが理由でヒカルが大将になる可能性もある。それだけは避けたい。
やはりヒカルと高永夏を戦わせたくない。
ヒカルが高永夏と戦いたいと言う意地があるなら、自分にだってすんなりヒカルに大将の座を
渡すわけにはという意地がある。
(23)
日頃からアキラは対局の一つ一つを常にヒカルを意識してこなして来た。
自分の残した棋譜をヒカルが見る。それを元に2人で検討する。今までそうやってきたのだ。
そしてこれからも常にヒカルの先導となって進みたい。
そのヒカルが自分の手から離れて誰かを追うなど、ありえない。
―そんな事は、許さない…!
相手を誘い、罠に引き込むようにして隅から中央へとジワジワと追い詰める。
序盤こそ余裕の表情を見せる事もあったが中国の大将の調子は今一つだった。次第に視線に
落ち着きがなくしきりに指を口元に運んで唇や顎に触れさせる。
ぶつぶつと何か呟きながら盤面とアキラの顔を見比べる。
あの塔矢行洋の息子だという事はわかっていたが、ここまでやるとは思っていなかったという
焦りの表情が出ていた。
それでも逆にこちらがその事で優位に立てたと感じて一つ遅れをとれば間違いなく一瞬で
巻き返されてしまうだろう。油断は出来ない。
アキラは出来うる限りの集中力で相手の手をかわし先を読み取り、最終的に勝利をもぎ取った。
スポーツの試合と違って観客の歓声や拍手やどよめきが周りにあるわけではない。
まず目眩がするほどの極限的な緊張感から抜け出るために目を閉じてゆっくり呼吸を整える。
座っているのに地面がグラリと回転するような浮遊感がした。
この後に続けて韓国戦がない事にホッとする。敗北感を抱えたまま高永夏と戦う相手が
多少気の毒に思えた。
意識を現実に引き戻してアキラは周囲を見回す。
「…進藤は…、社は…?」
(24)
中国の三将は社からするとほとんど幼稚園児ほどに幼く見えた。
天使のような愛らしい瞳でちょこんと椅子に腰掛けた中国チームの三将のその相手は、
座高が足りなくて椅子に厚めのクッションをひいて貰っていた。だが、石を持った瞬間に
ほとんど別人のような存在感で攻撃して来た。
碁盤を挟んで向き合う表情は大会の規模を把握している様子もなく澄んで穏やかだ。
そんな相手を無意識に顎を突き出して睨み据えている自分の顔気付いて社がピシャリと
自分の頬を叩き、元に戻した。その相手は一瞬きょとんとしたがにっこり微笑んだ。
(お前を笑わしとんちゃうわ…!)
悪い手を選んでいるとは思わなかったが、相手が上手なのだ。
こちらが打つ手からするりとすり抜けて手痛い一撃を与えて来る。
(…可愛らしい顔しとるが中国の代表の1人や。つくづく見た目やないと思う…)
アキラと打つようになってそれを感じた。
平素の物腰や雰囲気なぞ、相手の棋風や実力に何も結びつかない。
昔の自分だったら、相手を見くびっていた事に動揺し、足下をすくわれるようにして一気に
勝負を持っていかれたかもしれない。
だが、今の社には自分の実力を見極める冷静さが養われていた。
(やはり…あかんかもしれん…)
追いつけないと打っている途中で感じた。アキラに勝つと約束したつもりだったが、
強敵過ぎる。ただそう思いながらも焦らず最後まで冷静に打ち切る事が出来た。
(これが現実なんや…アジアでの日本の…オレの…)
アキラとヒカルの対局が静かに続いている中で社は頭を下げた。
「…ありません」
(25)
社が終局した時まだ副将戦、大将戦が続いていた。
ヒカルの様子を見て、それからアキラの方を見ようと思って社は席を立ち、移動した。
ちらりと見た瞬間社は小さく溜め息を漏した。
(こっちもあかん、進藤も難しいか…)
ヒカルの観戦はやめて、アキラの方を見ようと一歩そこを離れかけた。
だがそれは盤上で起きている事が最初正確に把握出来なかったからだった。
目の裏に焼き付いた盤面が一拍遅れてその中に潜む情報を社に届ける。
(いや、…これは…)
改めて社は振り返ってヒカルの対局に見入る。盤面を食い入るようにして見つめる。
あり得るかぎりの流れを想像し、そこまでの流れとヒカルの次の一手を読もうとする。
恐らく相手の選手もそう感じているだろうが、ヒカルが一手一手新たに打つ度に確定したはずの
勝敗が揺らぎ、新たな局面の可能性を滲み出して行く。
社の傍らに近付く者の気配があった。
(!…塔矢…)
社の隣でアキラも盤面に目を落とすと同時に息を飲むような表情になった。
アキラは瞬時にそこから全てを読み取ったようだった。
おそらくヒカルにとって前半がかなり問題だったというのはアキラにも容易に想像出来た。
対局の大小を問わず経験量の絶対的な不足は一生ヒカルについてまわる。終盤のヨセで
微妙にその差が顕われる。そればかりはアキラがどうにもフォローしきれてやれないヒカルの弱点だ。
だが最終局面が近付いた今、届くのか届かないのか、ヒカルはその間際まで近付いた。
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