平安幻想異聞録-異聞-<外伝> 21 - 25
(21)
「好きだから、最後ぐらい何か言って欲しかったよね。一緒にいたかったよね」
噛んだ唇に押さえこまれ、行き場を失って体の中を彷徨っていた言葉が、やっと出口を
見つけたように口をついて出た。
「ホントだよ、……あの馬鹿、俺の気もしらないで……」
悲しいのに、出てくるのは憎まれ口だというのは、どいうわけだろう。
あかりが、言葉の続きを即すように、ヒカルの指を強く握りしめた。
自分が彼女に何を言おうとしてるのか、ヒカル自身にもよくわからなかった。
「佐為が、……佐為が死んじゃったんだ……」
「うん」
ただ、胸の奥からせり上がってくる痛みに任せて、言葉を口に登らせる。
「佐為が、俺を置いて……、俺に何にも言わずに死んじゃったんだ……」
「うん」
「俺とずっと一緒にいたいみたいなこと言ってたくせに、全部ウソにして……!」
「うん」
「あの馬鹿……っ!」
今さっき、聞いた言葉が耳に蘇った。
どうせ、死ぬんなら、ちゃんと自分の元に来て欲しかった。そしたら――最期に息を
しなくなるまで抱きしめていてやるのに。
気がつけばヒカルは、あかりの膝の上に身をすがらせるように伏せて、泣いていた。
佐為がいなくなって以来、初めてだったのだ。大声を出して泣くのは。
そんな風に、我を忘れて泣くのは。
泣いている間は、ようやく吐き出せたもので頭が一杯で、声が誰かに聞こえるかも
知れないとか、男のくせに恥ずかしいとか、そんなことは考えられなかった。
自分が将来、どこかの姫君と結ばれて跡継ぎを作ってくれることを夢見る家族には
言えない事だった。友人である以上に、分野は違えどお互いに技の高さを競い合う
仲間と思っていた賀茂アキラには見せたくない醜態だった。ともすれば、そうした
人の関わり合いや死をいいように脚色して、わざとらしく涙にくれたり笑いものに
したりする殿中の人々には、決して知られたくないことだった。
しかし、幼いころ裸でじゃれあったこともあるこの幼なじみの前では、そんなことを
いちいち考えるのが馬鹿馬鹿しいように思えた。
(22)
あかりは、ヒカルの悲しみも悔しさも後悔も、そのまま真っすぐに受け取ってくれる。
昔、河原で遊んで、一緒に笑ったり怒ったりしていた時みたいに。
あかりの手が、自分の髪を猫を撫でるみたいに梳いてくれているのがわかった。
ようやく、涙の止まりかけたヒカルの鼻に、新しい絹の匂いが心地いい。そして、
その奥のふわりとした、女独特の甘酸っぱいような懐しいような体臭。
それに酔ったみたいに、ヒカルは無意識に、顔をあかりの腹に押し付けるようにして
いた。そのあたりは布地の匂いの方が強かったので、目を閉じ、あかり自身の香りを
求めて、強く胸のあたりに顔をうずめる。
そして、気付いたら、あかりを下に組み敷いていた。
自分のしたことに驚いたみたいに動きを止めてしまったヒカルに、あかりが組み伏せら
れたまま笑いかけた。
「ヒカル、目が真っ赤だよ」
ちょうどその時に、喉から泣きじゃっくりまで突いて出て、ヒカルはようやっと少し
恥ずかしくなった。
「俺、カッコ悪いかな?」
「ヒカルが格好良かったことなんてあったかなぁ」
「言ったな」
ヒカルはまだ涙の乾かない赤い目のまま、あかりの首筋に軽く噛みついた。
初めて触れる女の子の肌は、ふわふわと危なっかしいほどに繊細で、今まで自分が
知っているどんな肌よりも皮膚が薄くて、すぐに破けてしまいそうだった。そのくせ、
どんな強く圧しても、より強くこちらに押し戻してくるような弾力があって、変な
感じだ。
昔、じゃれあって遊んでいたころのあかりとは全然違っていた。体のどこもかしこも
まろみを帯びて温かく、ふわふわしている。
中の襞はぬるくヒカル自身を包んで、抜き差しを続ければ次第に熱を持って、しまい
には焼けるように熱くなった。
(23)
あかりが、男と寝るのが初めてなのは、最初に侵入を果たしたときに辛そうにしかめた
顔でわかった。
そのまま一気に進んでしまったほうがいいのか、それともゆっくりしたほうがいい
のか分からなくて戸惑っていたら、あかりが涙目のまま黙って首裏に手を回して
きて、結局ヒカルは、その時起こった衝動のままにあかりの壊れそうに細い腰を
力一杯引き寄せて、最後まで入れてしまった。プツリと糸を切るような感触がして、
次にはねっとりと絡みつくような媚肉に包まれていた。
この幼なじみをこんなに可愛いと思った事はなかった。
初めてなのだからもっと優しくしてやりたいと思ったのは、ほんの数瞬で、後は闇雲に
最後まで突き進むことしかできなかった。
終わるとそのまま、二人は緊張と疲れで寝てしまい、目が覚めたのは一番鶏の声が
する頃。
抱きしめあったまま、一枚の単衣を肩にわけあって寝ていた二人の間に晩秋の朝の
冷気が忍び込む。
「ヒカル、起きてる?」
まだ寝ぼけ眼のヒカルに、あかりが意外にしっかりした声をかける。
夜明け前の暗がりで、部屋には灯明も持ち込まれていなかったから、彼女がどんな
顔をしているかはわからなかった。
その暗闇の中で、あかりがぽそっとつぶやいた。
「なんか、ヒカルが優しくて意外だった」
「…そうかな…」
「うん」
自分はまともに性交渉を伴う付き合いをしたのは佐為だけだったから、抱かれた
事はあっても抱いたことはなく、そういう意味ではヒカルも始めてだった。だから
と言っていいのか、あかりの重さを腕に感じながら頭に描いていたのは、佐為との
秘め事だったと思う。自分と佐為の閨事には綺麗な思い出しかなくて、無意識に
佐為のやり方をなぞっていた。自分のやり方をあかりが優しいと感じたのなら、
それは佐為がヒカルに優しかったからだ。
(24)
「友達に、初めてのときは痛いわよー、辛いわよー、って散々脅されたけど、そうでも
なかった気がする」
宮中の女房というのは、男の目のないところでいったいどんな会話をしているんだろ
う……。少し呆れながら手探りで単衣を探していたら、胸元に何か押し付けられる
気配がした。
あかりがそうしてよこしたのは、まさにヒカルが探していた、その単衣で。
「ほら、着物来て、早く帰んないと…!」
そういえば、こういう場合、男の方が夜が明ける前に帰るのが礼儀って奴だっけ、
と考えながら身を起こす。やっぱり、男でも女でも不倫や数人掛け持ちなんてのも
多い世の中だし、誰かの家から帰るところを男が見られるのはまずいもんな、とか
思いながら着衣を整えていたら、焦れたのかあかりが手伝ってくれた。でも、なんだか
追い出したいみたいなその態度に、少しムッとして抗議したら、「そういう問題じゃ
ないの! 陽が出てきたら、部屋も明るくなって、顔が見えちゃうでしょ。私、今、
お化粧も取れちゃってるし、髪もぼさぼさだし、酷いんだから。そういうのが見える
ようになる前に帰るのが男の心使いってもんでしょう!」と、密やかな声で怒られた。
そうか、男が陽が出る前に帰らなきゃいけないのってそういう問題だったのかと、
ヒカルは初めて知った。
暗闇で、自分の喉元に触れる着物を整えるあかりの指の感触が、小さく胸を騒がせる。
「別に今更、化粧落ちてお化けみたいなお前の顔見たって、驚くかよ」
「なによー、ヒカルのバーカ」
十年も前から二人が繰り返して来た当たり前のやり取りだったが、こうして闇の中で
声を殺して交わされると、まるで睦言のように聞こえるのが不思議だった。
ヒカルは家人を起こさないように、そっと夜明け間際の庭に降りた。庭に面した廊下
まで、あかりが見送りに来てくれた。
東の空に明けの明星だけがいやに明るく光っていて、地面にうっすらとヒカルの
影を落とした。
「あ、そうだ……」
重大な事に気付いて、ヒカルはあかりを振り返った。
(25)
あかりはそれだけで分かったように、ヒカルに言った。
「歌はいいから」
男女が寝所を共にした後は、男がその想い人に和歌を送るのが慣わし。出来れば、
その日の朝のうち、早ければ早いほどいい。反対に遅くなるのは失礼に当たる。その
夜から三日しても歌が来なかったからと、絶望して出家してしまう姫君がいるほどに。
「ヒカルにそんなの期待してないよ。白紙で送ってくれればそれでいいから」
まだ日の明ける前の薄暗がりで、あかりが笑った気配が伝わってきた。ヒカルも笑う。
きっとこちらの気配も、向こうに伝わっただろう。
東の空が白くなり、青く透明に染まった朝の空気の中を、ヒカルは帰路につく。
家に帰り着いてから、出来るだけ綺麗な料紙を厨子棚の奥から探しだし、白紙のまま
折ると、馬の世話に来ていた使用人を捕まえて、帰りに藤崎の家にそれを届けてくれる
ように頼む。帰り道で手折ってきた白い野菊を一輪添えて。
そして、その朝。それと入れ違いに近衛の家に一通の書状が届いた。
衛門府から。
伊角信輔の警護を任じる辞令であった。
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