金魚(仮)(痴漢電車 別バージョン) 21 - 25
(21)
駅のすぐ側に、小さな公園があった。辺りに人気はまったくない。いくら何でも静かすぎないか?
デート帰りのカップルが立ち寄るには早い時間なのだろうか…。人気のない場所にヒカルを
引っ張り込んだと、誤解されはしないかとドキドキした。
アキラは、手近なベンチに彼を座らせ、自分も隣に腰を下ろした。ヒカルは未だに
シクシクと泣き続けている。
「悪かったよ…」
二度目の謝罪を口にする。
「……で………だよ………」
ヒカルが何か言ったが、しゃくり上げながらだったので聞き取れなかった。
「何?」
「なんで…オレには…意地悪ばっか…するん…だよ…」
―――――え?何?意地悪?ボクが?進藤に?
アキラはポカンと口を開けた。
「他のヤツには優しいのに……オレには怒ってばっかだし…」
「ちょっと冗談言っただけで…すぐ“ふざけるな”って怒鳴るし…」
確かにヒカルの言う通りだ。
―――――でも、それは………
親愛の情の表れというヤツだ。他の連中のことなど、ほとんど眼中にないのだ。視界に入って
こないものに対して腹を立てる必要などない。ヒカルだから――ヒカルのやることだから
何でも気になるし、目につくのだ。
だけど、それがヒカルには伝わっていなかった。
『ちょっと、ショックだ…』
親しい相手にだけ見せる本当の自分を、ヒカルも理解してくれていると思っていた。でも
それは、どうやら自分の思いこみだったらしい。アキラは反省した。
(22)
ヒカルは、尚もアキラを責める。
「オマエがオレを連れてきたくせに……」
その言葉に、また混乱しそうになった。自分がヒカルを何処に連れて行ったというのだ?
ここのことを言っているのだろうか?
「自分の想像と違ったからって…ほっぽり出して…知らん顔して…」
ヒカルは手の甲で目を何度も目を擦りながら、しゃくり上げた。
「オマエがこっちの世界に連れてきたくせに…!」
そこまで言われて、漸く気が付いた。ヒカルが言っているのは囲碁のことだということに………
―――――確かに、返す言葉もない………
だが、あの時は期待していた分ショックも大きかった。彼の言うところの“ほっぽり出した”
時でさえ、本当のところ気になって気になって仕方がなかった。
―――――要するに、ボクは素直じゃないんだ………
ことヒカルに対しては余計にそうなってしまう。そのくせ、他人に彼をバカにされるのは
ガマンならない。
ヒカルに関しては、全て自分に優先権があると勝手に思いこんでいる節がある。自分でも
いけないことだとわかってはいるのだけど………
―――――彼を貶しても良いのはボクだけだ……それから、彼の良いところも理解しているのも
ボクだけだ………他の人の目に触れさせたくないんだ………
ヒカルは俯いて泣きじゃくっている。ヒカルの言葉は、本心からか酔っているためかは
判断つきかねた。
『……………あれ…?前にもなんかこんなことがあったような気がする………』
ヒラヒラしたスカート。右へ左へヒラヒラヒラヒラ。軽やかに…泳ぐように…ふわふわ…
ヒラヒラ……ベンチに広がるヒカルのスカート。色が赤なら、まるでガーベラの花のようだ。
………花?…ヒラヒラと水の中を漂う小さな赤い花…それから、大きな目…悲しそうな…
そして、アッと小さく叫んだ。
―――――思い出した……!
アキラはヒカルの姿に重ねていたものを漸く思い出した。
(23)
小学校に上がってすぐのことだったと思う。アキラは、母に連れられて近所の大型スーパーに
買い物に行った。それは毎日の日課で、母が買い物している間アキラは中にあるペットショップで
時間を潰し、帰りには二人でアイスクリームを食べて帰るのだ。
母は動物が大好きで、ガラスケースの向こうで戯れる犬や猫を見ては、いつも溜息を吐いていた。
「どうしてうちでも飼わないの?」
「うちはお客様が多いでしょう。きっと、その子達の世話まで手が回らないと思うの…」
頬に手を当て、また溜息を吐く。それさえもすでに日課になっていた。
アキラは一人でペットショップの中を見て回る。入ってすぐの壁際にガラスで仕切られた
部屋があって、その中を子犬や子猫が走り回っている。店の少し奥には、小鳥やウサギの
小動物が、その更に奥はサカナのフロアになっていた。目を輝かせて、通路を早足で抜けていく。
あっちもこっちも可愛くて、目移りしてしまう。
「かわいいなぁ…」
伸び上がったりしゃがんだり、アキラは夢中になって動物たちを覗き込んだ。
「…どうしてもダメなのかな…」
もしも母が許してくれたら、自分は一生懸命世話をする。
ふーとアキラは溜息を吐いた。その姿は母親にそっくりで、なんだかとても微笑ましい。
すっかり顔馴染みになってしまったショップの店員達がクスクスと笑っている。アキラは
それに気付かずに呟いた。
「でもやっぱりダメだよね。」
アキラはまだ小さくて、自分の世話だけで手一杯だし、母は父と自分と多くの門下生の世話で
てんてこ舞いだ。
アキラはまた小さく一つ溜息を吐いた。
(24)
アキラは学校に上がると同時に部屋をもらった。お兄さんになったみたいでうれしかったが、
さすがに夜は少し寂しかった。今までは両親に挟まれて、眠っていたのに……。
さほど広くはない部屋だったが、六歳のアキラが一人で寝るには静かすぎた。
『怖いんじゃないんだよ。ただ、ちょっとだけさびしいだけなんだ。』
と、口の中でモゴモゴと独り言を言った。
犬や猫は無理でもハムスターや小鳥のような小さいものだったら、どうだろう?アキラは
店の奥の方へと入っていった。
鳥かごが壁に据え付けられ、その前にはウサギのケージが置いてある。その隅の方から
ピイピイといくつもの高い鳴き声が重なって聞こえてくる。アキラは、誘われるように
賑やかな声のする方へ向かった。
ガラスの水槽の中で、まだ小さいひな鳥たちが一生懸命口を開けて、エサをねだっている。
「かわいいね。」
アキラがエサを与えている店員のお兄さんに話しかけた。
「ヒナのうちから人間になれさせておくと、手乗りになるんだよ。」
「本当?」
手乗りの小鳥。すごくすてきかもしれない。
「まだ自分で食べられないから、一日に何度もあげないといけないけどね。大変だけど
すごく可愛いよ。」
「一日に何度も?」
「そうだよ。お腹が空くと死んじゃうからね。」
アキラはガッカリした。朝と夕方はいいとして、学校に行っている間はどうなるんだろう。
夜アキラが眠ってしまったら?九時には布団にはいるように言われている。そこから、
朝までヒナが鳴いても目が覚めなかったら?アキラはブルッと小さく身震いした。
――――――小鳥もダメだ。
(25)
アキラはションボリと項垂れて、さらに奥へと進んでいった。
「ハァ〜」
盛大な溜息を吐いて、通路を歩くアキラの目の端に赤いものが横切るのが映った。
『ナニ?花びら?』
そちらの方へ首を向けると、ヒラヒラした尾びれを振りながら、金魚が泳いで行くのが見えた。
他の金魚よりずっと身体が小さくて、そのくせ元気に水槽の中を泳ぎ回る赤い金魚にアキラの目は
釘付けになった。
「落ち着きないなあ。」
他の金魚がゆったりと水中を漂う中、その一匹だけは忙しなく動き回る。
アキラはいつの間にかその金魚から目を離せなくなった。
「アキラさん、ごめんなさい。遅くなってしまって…」
母が重そうな買い物袋を手にアキラを迎えに来た。アキラは夢中になって何かを見ているらしく、
母の声に気付いていない。そっと、後ろから近づいて何にそんなに夢中になっているのかと
覗き込む。
「あら…可愛い。流金ね。」
その感嘆の声に漸くアキラは母が迎えに来ていたことに気が付いた。縋るような目をして
振り向いたアキラに、母は「あら?どうしたの?」と、優しく声をかけた。
アキラは母のスカートに縋り付いた。
「お、お母さん…!」
「ん?」
ゆったりと聞き返す母とは対照的に、アキラはつっかえながら早口で訴えた。
「こ、この金魚買って。ボク、一生懸命面倒見るから…」
「お願いします。」
ぺこりと頭を下げるアキラに、母は少し面食らったようだ。アキラがこんな風に何かをねだるのは
およそ珍しい。
「お願い、お母さん…お手伝いもいっぱいするから…」
アキラは必死に訴える。母の沈黙をアキラは拒絶と考えたからだ。
「よほど欲しいのねえ…」
母がしみじみと…半ば呆れるように呟いた。
「いいわ。でも、アキラさんがきちんとお世話をしてあげるのよ?」
その言葉にアキラは顔を真っ赤にして、何度も頷いた。
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