光明の章 21 - 25
(21)
加賀の手がヒカルの顎を捉える。
荒々しい動作で唇に歯を立てられ、ヒカルは小さくうめいた。
「…痛ッ」
その声と同時に開かれた唇をさらに舌でこじ開け、加賀は逃げるヒカルの舌先を追う。
激しすぎる行為は加賀らしいといえば加賀らしいが、
徐々に火がつくようなキスしか知らないヒカルにとっては初めての恐怖に近い。
本能的に後退りしようとするヒカルの体を、加賀は強い力で引き戻した。
「──オレは優しくなんて出来ねーから」
「加、賀ッ」
左腕をヒカルの腰に回し、右手でヒカルの頭を支えてその目を覗き込む。
「だから、イヤになったら言え。…止めてやるから」
状況によってだけどな、と小声で付け加え、再びヒカルに噛み付くようなキスをした。
息を上手く継げないヒカルは、何度も身を捩って加賀の追及を躱そうと試みるが、
その度、逆に強く絡め取られてしまう。
自分の舌をまるごと咥えられ、きつく吸われた時、ヒカルの身体に淫靡な火が点った。
「ん、んんッ」
ヒカルの口の端から溢れ出た唾液を加賀は満遍なく舐め取ると、
少年特有の華奢な首筋に舌を這わせ、ヒカルの弱いポイントを探し始めた。
片方の手で、ついさっき自分が締めてやったばかりの帯を少しだけ緩める。
加賀はヒカルの両襟を掴み、強引に左右に開いた。そのまま肩から浴衣を落とす。
浴衣はヒカルの両肘で止まり、袖から手を抜けないヒカルは腕の自由を奪われたままだ。
加賀はそんなヒカルの不便に気付いているのかいないのか、ヒカルの背後に回り、浴衣ごと背中から抱きしめた。
もしかしたらヒカルが急に逃げださないように、両腕を固定しているのかもしれなかった。
「!」
後ろから耳朶を噛まれ、そのむず痒い感覚にヒカルが体をピクッと浮かす。
だが、腹の辺りに加賀の手がしっかりと回されていて、見えない愛撫から逃れる事は困難に思える。
加賀はヒカルの幼稚な反応を楽しみながら、その背中に付いているすり傷を丁寧に舐めた。
傷口に触れる生温かい感触と、唾液の染みるぴりりとした痛み。
「加賀、頼むからもう…」
じわじわと責められる時間に耐えられず、ヒカルは抗議の声を上げ、
加賀から背中を離そうと前屈みになる。しかしすぐに抱き起され、無駄な抵抗だと知る。
気が付けば加賀は腰を密着させ、ヒカルの足までも固定していた。
どこにも逸らせない快感はそのままヒカルの身体を逆流し、下半身を直撃した。
「ふ、うッ…んん」
加賀はヒカルの小さな喘ぎを聞き漏らさなかった。
面白そうにヒカルの肩に顔を乗せ、耳元で優しい声を響かせた。
「出せよ、声」
そして試すように、ヒカルの乳首を軽く摘んだ。
「オレしか聞いてねぇから」
(22)
「そ、んなこと…言われても…あああッ」
胸元に直接与えられている鋭い刺激に抗えず、ヒカルの胸が自然と反り返る。
「感じてるんなら、ちゃんと教えろ…時間が勿体ねぇ」
加賀はそう言うと、強弱をつけてヒカルの乳首を弄んだ。
指の腹で転がしたり、引っ張ったりする度にヒカルの体が熱を帯び、吐息も甘く変化していく。
「くっ…人の、カラダで、遊ぶな…よ…」
ヒカル相手に何の気も遣わない加賀に対し、ヒカルもまた、
気心の知れた相手に遠慮なく文句を言う。
腕さえ拘束されてなければ1、2発は殴っているところだ。
「バーカ、遊んでねぇよ。イタイ事されたくなかったら、もっと力抜け」
嘘つけ、と涙目で詰るヒカルを無視し、加賀はヒカルの体を自分の真正面に向き変えた。
そしてヒカルの肌に散らされた痛々しい強姦の痕跡を、一つ一つ自分の唇でなぞっていった。
加賀の所作に何かを思い出したのか、ヒカルの体がさらに硬直する。
「…イヤなら止めるぞ?」
肌の変化に気付いた加賀が、ヒカルを見上げて問う。
ヒカルは無言で首を振った。それでも溢れ出る涙を抑えることは出来ない。
これから誰を抱いても、誰に抱かれても、今日味わったあの恐怖を忘れる事はないだろう。
モノのように扱われ、蔑まれ、男たちを何度も何度も殺したいと思った。
こうしている今でも、発作的に飛び出して行きそうになる。
それほど憎い相手だというのに、自分は──。
──みっともなく感じてしまっていた…。
「うわあああぁあぁぁあ」
悲痛な叫び声をあげ、ヒカルは号泣した。
どうして自分だけがこんな目に遭うんだろう、何も悪い事なんかしてないのに。
「進藤」
加賀がヒカルの頭を抱く。その腕は、先程までの強引さとは打って変わって、
まるで壊れ物を扱うかのような慎重さでヒカルを優しく包み込んだ。
「泣いて、全部吐き出しちまえ。それでラクになるんなら」
「───!」
ヒカルは加賀の胸に顔を押し付けて、激しく泣いた。
堰を切って流れ出す涙が、加賀の浴衣に吸い取られて行く。
「…オレ、おかしいんだ…誰だっていいんだ…越智でも塔矢でも加賀でも、知らないヤツでも。
触られて、指、入れられて、女みたいに感じて…同じ…みんな同じなんだ、オレにとっては」
「…進藤……」
「狂ってる、オレ、狂ってるんだ…加賀、助けてよ!──お願いだから!!」
取り乱したヒカルの声が、加賀の耳を襲う。
自分を誘った相手が、実は救われたくて身体を投げ出したのだと知り、加賀は愕然とした。
ヒカルの捨て鉢な行為に、一夜の淋しさを紛らすためだけに甘えようとした自分。
抱いて慰められるのならと思ったのも本心だが、それは結果的にヒカルの弱みに
付け込むような真似でしかなかったのではないかと、加賀は今更ながら自分の浅はかさを悔いた。
ヒカルの傷は、加賀が思っていた以上に根が深い。
その不幸を我が身に置き換えて考える事など所詮無理な話だ。
今まで男に突っ込まれた経験もないし、この先もそんな事はありえないと断言できる。
だからこそ、ヒカルの味わった屈辱感は容易に想像がついた。
長い時間、ヒカルは泣き続けた。
他に為す術のない加賀も、そのままヒカルを抱きしめ続けていた。
(23)
暗い部屋の中で、時計の秒針がカチカチと時を刻む音と、互いの鼓動と、
呼吸の音だけが響いている。
ヒカルはとうに泣き止んでいたが、バツが悪いのか、なかなか顔を上げようとはしない。
自分から声を掛けづらい加賀は、らしくない辛抱強さでヒカルの次の行動を待っていた。
「……オレ」
聞き取りにくい声で、ようやくヒカルは口を開いた。
「塔矢と……寝た」
「?」
いきなり何を言い出すんだこのガキは、と喉元まで出掛かった言葉を何とか飲み込み、
加賀は聞き間違いであってほしいとの願いを込めてヒカルに尋ねた。
「誰が誰と寝たって?」
「……オレと、塔矢」
「塔矢って…あの塔矢アキラか?」
ヒカルは小さく頷いた。こんな時に冗談を言う奴ではないので、
おそらく本当の事なんだろうと加賀は納得しかける。
だがやはり信じられない気持ちの方が強い。
加賀の記憶の中の塔矢アキラは幼いながらも常に品行方正で、大人受けもかなり良かった。
ずば抜けた碁の才能も手伝ってか、同世代の子供とは一人だけ目線が違っていたように思う。
そんなアキラにワザと勝ちを譲られてから数年間、屈辱的な仕打ちを受けたと恨んできたが、
当時はアキラもそうする事が最善としか思えない程子供だったのだと、
最近やっと思えるようになってきた。
そういえば、冬期囲碁大会で成長した姿を見かけたが、相変わらず融通の利かなそうな顔をしていた。
性欲とは無縁そうな表情の下に、どのような情熱が潜んでいるというのだろうか。
「信じらんないよな、やっぱ」
ヒカルはゆっくりと加賀から身を離すと、乱れ、落とされたままの浴衣を肩に羽織った。
上手く合わせられない前はそのままに、うつむき加減で言葉を続けた。
「アイツの碁会所で突然告られて、オレ、びっくりしたけど…嬉しかった、そう、嬉しかったんだ」
アキラと初めて交した唇の熱さを今でも思い出す。
繋いだ指を離しがたくて、いつまでも握っていた。
髪に触れ、肩を抱き、舌を絡めたあの瞬間、自分は確かにアキラに溺れていた。
「その後、あいつのアパートに行って、…最後までやるんだろうなって、わかっててついて行った。
でも、オレ、セックスって自分がやることしか考えてなくって、塔矢に抱かれた時、……なんか」
ヒカルが声を詰まらせた。思い出すと、どうしても涙腺が緩んでしまう。
「すごい、惨めで」
異性と身体を合わせる事への好奇心は人並みにある。同性とセックスするなんて考えた事もない。
あの時、相手がアキラだからこそその気になったのに、
いざ自分が抱かれてみると雄失格の烙印を押されたような絶望感と底なしの虚無に襲われた。
「塔矢のこと嫌いじゃないのに、アイツの目を見れなくってずっと避けてた。そんな時、
知ってる奴に無理やり犯されて、塔矢に言うぞって脅されて………ずっと……」
そこから先は声にならない。ヒカルの涙が滴となり、ぱたぱたと布団に落ちた。
(24)
ヒカルの告白は、受けた傷の根深さを裏付けるのには充分すぎるほどだった。
加賀は同情からその肩に手を回しそうになったが、
何故か、ヒカルが触れられるのを拒んでいるような気がしてそのままにしていた。
泣いてはいるが、先程のように取り乱してはいない分、しっかりしているように見えたからだ。
「…ハハ、オレ泣いてばっかだ」
慌てて涙を拭き、ヒカルが赤い目で笑ってみせる。
「ずっと、どうしてこうなったのか考えてた。オレが悪いんだと思うけど、何が悪かったのか
正直わかんねェ。塔矢との事があってから人生おかしくなっちまったみたいなんだ。だから、オレ」
加賀を見るヒカルの目に、暗い翳りが宿った。
「自分のこと棚に上げて、全部アイツのせいにして逃げてた。──そのことにやっと気付いたんだ」
だから罰が当たったんだと、ヒカルは年老いた受刑者のように弱々しくつぶやいた。
加賀は手持ち無沙汰から再びタバコに手を伸ばし、ヒカルに聞いた。
「塔矢とはどうしたいんだ、これから」
「…塔矢のことは嫌いじゃない。むしろ、…好きだし。でも、オレこんなカラダだから」
「?」
「淫乱なんだ、きっと。誰とだって女みたいに感じる。…これって変だよな。アイツに会うと、
そんなみっともない自分を思い出しちゃって、情けなくなってくる。それがツライ」
「だからって、もう清いお友達には戻れんだろ」
「──そう、なのかな」
お互いを将来のライバルと認め、共に神の一手を志そうと誓い合った。
棋士の高みを目指し、アキラと競い合う事がヒカルにとっては人生最大の喜びだった。
一緒に碁を打つだけで幸せだったのに、あの日以来、それすらままならない。
「男はみんな“したい、やりたい、中に出したいっ”て始終考えてるもんなんだよ。
塔矢にもお前にも、そういう欲望があったからこそ、同意の上で一線越えたんだろ」
加賀はゆっくりと煙を吐き出した。
「一度やっちまうと、もう毎日がそればっかよ。カラダの隅々まで確かめないと気がすまねぇっつうか。
そのうちやらしてくれるんなら誰でも良くなってきて、もう相手選ばなかったな」
好きだとか、愛してるだとか。そんな言葉だけでは物足りなくなるように人は出来ている。
体を繋げる事で、足りない部分を補い合う。
「だけどな、カラダを求める事は全然悪い事じゃねぇぞ。要は、相手次第ってこった。
やってる最中は誰とでも気持ちいいけど、本当に好きな奴とは、まだその先があるから」
好きな相手と結ばれる喜びと、快感。
ヒカルがそんな初めての感動をろくに経験しないまま、ただ人肌を恐れ、
快楽に従順な自分の体に罪の意識を感じているのだとしたら、それは間違いだと教えてやりたかった。
「…そういうことまだわかんねェよ、加賀」
いまだふっ切れない顔で、ヒカルは続けた。
「だけど、オレ、アイツとずっと碁を打ちたいんだ。だから、このまんまで終わらせたくない」
「──それで、いいんじゃねーの」
咥えタバコのまま、加賀は軽く微笑んだ。
(25)
「ここでウジウジ考えるより、まずは塔矢に会え。すべてはそっからだ。な?」
子供をあやすような手つきで、加賀はヒカルの頭をポンポンと優しく叩いた。
アキラがどれだけヒカルの気持ちを理解しているのかは定かでないが、
無理を強いればどのような結果になるか、先が読めない人間ではないはずだと加賀は思う。
それ故、アキラのヒカルに対する執心が決して浮ついたものではない事を知ると同時に、
想いを遂げた相手から避けられ続けている、アキラの悲しみの深さも容易に想像がついた。
だがそれを、ヒカルに伝えようとは思わない。
ここから先は二人の──ヒカルとアキラの問題だからだ。
「…オレ、会うよ。塔矢に」
ヒカルは決心した。逃げてばかりでは何の解決にもならない。
あの日“後悔しない”と告げたアキラの声が今、ヒカルの耳にはっきりと甦る。
──オレもだ、塔矢。お前とのことは、絶対後悔したくねェ。
佐為が目の前から消えた時、ヒカルは初めてその存在の大きさを知った。
どこを探しても見つからず、気付けばもう、全てが手遅れだった。
ヒカルはその時、大切な人を永久に失う辛さをイヤというほど味わっている。
だからこそ、またここで同じ過ちを繰り返すわけにはいかないと、
ヒカルは浴衣を握り締める手に力を込めた。
生気を取戻したヒカルの表情に、加賀は小さく安堵した。
「今日はおとなしく寝るか」
タバコを消し、はだけたままの浴衣を直してやろうと加賀はヒカルの両襟に手をかけた。
ヒカルも黙ってされるがままにしている。
その無防備さが可笑しくて、加賀は襟を合わせるふりをしてヒカルの乳首をぺろっと舐めた。
「!!!」
飛び上がらんばかりに驚き、顔を真っ赤にしながらヒカルが怒鳴った。
「何すんだよ!せ、せっかく収まってたのに!」
途中で止められていた奔流が、加賀の余計な行動によって再び流れ出そうとしている。
必死で加賀を引き離そうとするヒカルには、見ているこっちが切なくなるような暗さはもうない。
加賀はますます面白がって、固くなった乳首を強く吸った。
「ん、ん…もう止めろよ、もう!」
待ちかねていたようにヒカルのものが角度を変える。
急激な変化を知られたくなくて、ヒカルは懸命に加賀の頭を胸から離そうと手を掛けるが、
弱い部分を甘噛みされて抵抗する気力も消え失せた。
じりじりと先端が疼く。我慢出来ずにヒカルが下着の中に手を伸ばすよりも早く、
加賀の手が勃ち上がりかけたヒカル自身を捕らえていた。
「クチでするより手でやった方が早いな」
言いながら、慣れた手つきで欲望を出口へと誘導する。
「いっ、いいよ、自分でするから──あぁッ!」
いきなり袋をきつく揉みしだかれたヒカルは目のくらむ様な快感に襲われ、加賀の肩にしがみついた。
「…お、となしく…寝るって言った、くせ、に」
荒い息を吐くヒカルに、加賀はいけしゃあしゃあと言い放った。
「やっぱ出すもんは出しとかないと眠れないだろーと思ってな」
余計なお世話だオニアクマ、くらい言い返してやりたかったが、
残念な事にヒカルにはもうそんな余裕は残っていなかった。
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