初めての体験+Aside 21 - 25


(21)
――――昼食後
「で、今日の晩飯のことなんだけど…」
食後の茶をすすりながら、倉田が放った一言だ。
『ちょお待て!いま昼飯喰ったばっかりやろが!しかもスシ三人前…』
そうツッコミたかった。だが、将来を嘱望される若手トップ棋士である先輩に対して
あまりにも無礼なような気がして黙っていた。
「オレ、カレーだったら作れるよ。」
ヒカルがニコニコと笑って言った。
―――――進藤のカレー!?
社は目を輝かせた。が、
「イヤ。」
無情に倉田はそれを却下した。
―――――こんのくされデブ―――――――!!!!(極太)
仮にも将来を嘱望される若手トップ棋士である先輩に対して、心の中でとはいえ、社は
無礼なことを叫んだ。社のそのめいっぱいのシャウトにアキラの声がかぶさって聞こえたのは、
気のせいではないだろう。
「なんでえ?」
ヒカルが口をとがらせた。
「昨日喰った。」
 ハア?フツー喰うだろ?昨日どころか、一週間ずっとカレーだったとしてもヒカルのカレーなら
食べるだろ?向こう十年三六五日毎日カレーでも食べるだろ?喰うべきだ!


(22)
 「じゃ、シチュー…」
ヒカルもめげていない。シチュー!!
「同じようなもんだろ―――」
倉田は軽くヒカルをあしらった。
「んじゃ、肉じゃが…」
肉じゃが!!!ヒカルの肉じゃが…食べたい…。
「材料、一緒じゃんか…」
倉田はやれやれと言った様子で答える。
「白滝も入るよ……」
困ったように上目遣いに倉田を見つめるヒカルは、超ラブリーだ。
 「しょうがない…それでいいよ…」
溜息混じりに了承する倉田に、社は伏し拝まんばかり感謝した。さっきの暴言は取り消します。
ありがとう。そのうち棋聖。

 「進藤は可愛いから、それで我慢してやるよ。」
と、えらそうな言い方だが、ヒカルを見る目は優しい。心なしか頬が紅い。まさか…。
 気のせいだと思いたい。取り敢えず、見なかったことにした。


(23)
 そんなこんなで、いろいろあったが、それでも穏やかに時間は過ぎていった。だが、
事件は突然起こった。それは、昼食後に打ったヒカルとアキラの対局が終了したときの
ことであった。
 「五目半の負けか…」
ヒカルが悔しげに呟いた。検討が始まっても、ヒカルはむっつりと黙り込んだままだった。
「何もかもダメだ!」と、荒れるヒカルを倉田が宥めた。が、ヒカルはそれに答えず、背中を
向けてしまった。社は些か驚いた。負けたとは言え、ヒカルの強さも半端ではない。
倉田の言うように、いい碁だと自分も思ったのだが…。なんでやろ?
 こんなヒカルを見るのは初めてだった。いつも明るくて、素直なヒカルにこんな一面が
あったとは…。ヒカルは拗ねたまま、三人の話に加わろうとしない。けれど、そんな姿を
見ても社が思うのは
『進藤、拗ねた顔もメッチャ可愛い―――!!』
だけだった。
 つむじを曲げたままのヒカルを無視して、倉田が話を続ける。大将はアキラ、副将は
ヒカル、三将が社。
「社、文句ある?」
倉田の言葉に、ヒカルの方が反応した。
「ある!」
ヒカルは神妙な顔つきで、
「オレ……大将ダメかな?」
と、言う。
 アキラも社も面食らってしまった。ヒカルがそんなことを言い出すとは思ってもいなかった。
「ヤダネ!」
倉田はにべもなく断った。しかも、アカンベつきである。
 確かに、ヒカルの態度はよくないが、倉田も大人げないではないか。こんなことを言うからには、
ヒカルにはヒカルなりの何か深い理由があるのだろうに…。それを「ガキだな!」の
一言で切り捨てることはないだろう!
 社が憤慨しているその横から、急に冷たい空気が流れてきた。寒!!恐る恐るそちらの方を
見るとアキラが倉田を冷ややかな目で見ていた。特に怒っている様子には見えないが…。
社の頭の中を「八甲田山」「シベリア凍土」などと訳のわからない言葉が通り過ぎていった。
―――――なんや!?何でこんな言葉が浮かぶんや?
怖くてアキラと視線をあわせることが出来なかった。


(24)
 「オレ、買い物行ってくる…」
ヒカルは、しょんぼりと立ち上がった。
「進藤、ボクも行くよ。」
だが、ヒカルはアキラが立ち上がろうとするのを制した。
「いい!塔矢は大将だから倉田さんと北斗杯の相談でもしてろよ。オレ、社と行く!」
『ええええ!!進藤と買い物!?』
嬉しすぎる。心臓がバクバクと音をたてた。
「行こ!社!」
ヒカルが社の腕を掴んで、立たせようとする。ふくれっ面の可愛らしい顔が、社の眼前に
あった。少し涙を滲ませた瞳に、しばし見とれてしまった。
――――ハッ!
背中に突き刺さるような視線。「…ツンドラ?」と、いう言葉がまた頭を過ぎった。振り返るのが怖い……。
 「早く行こ!」
ヒカルに引っ張られて、部屋を出た。アキラは怖いが、ヒカルと「お・買・い・物」と
いうシチュエーションには抗えない。
『後のことは、後で考えたらええんや!オレは、今の幸福をとる!』


(25)
 近所のスーパーの中を二人で歩く。社の持つ籠の中にヒカルが肉じゃがの材料を放り込んでいく。 
時折、ヒカルが「どっちがいいかな?」と小首を傾げて尋ねる。その仕草が、何とも言えず
愛らしかった。なんか、ホントの恋人同士みたいだ。こんな時間をもてただけでも、
アキラの家に来た甲斐があったと思う。
『怖いのん我慢してよかった〜』
浮かれて歌でも歌いたい気分だ。

―――――ええと…人参…タマネギ…ジャガイモ…牛肉…それから…
あと一品で材料が揃う。だが、ヒカルはそのコーナーを無視して別の場所へと向かった。
「あれ?進藤…白滝買わへんの?」
社が、訊ねるとヒカルはちょっとムッとして言った。
「いいんだ。今日はカレーにしたから!」
「そやけど…倉田さんが…」
「いいの!倉田さんってば、意地悪なんだから!」
そう言いながら、カレーのルーを物色する。どうやら、仕返しのつもりらしい。
『コレが進藤の仕返しか…なんかメチャクチャ可愛(かい)らしなぁ。』
口元がほころぶ。自分は肉じゃがでもカレーでも何でもいいのだ。ヒカルが作るということに
意味があるのだから。
 社は比較的甘そうなものを選んで、ヒカルに見せた。
「進藤、これどうや?」
「ダメだよ!もっと辛いヤツじゃないと!」
ヒカルは、二つの箱を手に持って真剣に見比べている。どちらの箱にも「激辛」の二文字が
記されていた。
 ヒカルは辛党なのか?いかにも甘いのが好きそうに見えるのに…人は見かけによらない…。
と、考えてハタと気がついた。コレも仕返しの一つだ。
―――――ホンマに可愛いやっちゃ!抱きしめて頭ぐりぐりしてぇ!
「なあ、進藤…自分、そんな辛いヤツ食えるんか?」
何となく訊いてみた。



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