とびら 第四章 21 - 25


(21)
アキラはまたコップに水を注ぎ、それを飲み干した。
「まだ熱いのか?」
すまなさそうにアキラはうなずいた。ヒカルは店員を呼び止めた。
「小さなお椀をください」
「はいただいま」
白いお椀をアキラに渡す。アキラは首をかしげた。
「これにいれて食べろよ」
小さな子供がそのようにしてよく食べる。さすがに大人ではいないが、仕方ない。
アキラは麺とスープを入れ、その椀に小さな世界をつくった。
それを食べたアキラは開口一番、「おいしい」と言った。
「ホント?」
「うん。前に博多でとんこつラーメンを食べたことがあるんだけど、もっと獣臭かった。
でもこれはそんなことがなくて食べやすい。それに……」
アキラがいろいろと感想を言うが、おいしいという一言を聞くことが出来たので、ヒカル
は安心して食べることに没頭することができた。
角煮がとろけるように柔らかい。めんたいことともにすすりこむ麺もまた一味違う。
「替え玉一つ。かためで」
100円玉を置いて注文するヒカルをアキラは驚いたように見る。
アキラはまだヒカルの半分の量しか食べていない。
「塔矢、その紅しょうが入れるとあっさりしてうまいぜ」
新たに入れられた麺をほぐしながら、ヒカルは紅しょうがの入った器をアキラに押した。
アキラはひとつかみそれをスープの中に放り込んだ。
「……ほんとだ」
そう言うと、今度はいきなり大量に入れはじめた。スープの色が白から薄紅に変わる。
「おい、入れすぎじゃねえか」
しかしアキラはすすると、首をふってちょうどいいと言った。
ヒカルも飲ませてもらったが、やはりこれはどうかという気がした。
(塔矢の味覚ってわかんねえ。まあうまいって言ってんだし、いいか……)
二人は黙々と食べつづけた。


(22)
外の冷気が心地よかった。ヒカルはそでで汗をぬぐった。
「少し歩こうか」
「塔矢、具合は?」
「平気だよ。それに浮いた僕が見たいんだろう?」
「……おまえ根にもつタイプだよな」
「何か言った?」
いいやと首を振り、アキラの横に並んだ。少し歩いて気付いた。
みながアキラを見ていく。
そう、たしかに浮いてはいる。アキラの服も髪型もその所作さえこの町にそぐわない。
だがみっともないわけではない。それどころか――――
アキラの漆黒の髪が風にそよぐ。周りの者の髪はみなさまざまな色に染まっている。
しかしアキラほど鮮やかな色の者はいない。
(こうして見ると、こいつってけっこうカッコいいんだな)
いきなりアキラがヒカルを見た。考えを読まれたのかとヒカルはたじろいだ。
「みんながきみを見ている」
思いがけない言葉だった。
「何言ってんだ、おまえ。みんなが見てんのは塔矢だろ」
「きみだよ。きみは人の目を惹かずにはいられない」
恥ずかしげもなくアキラは言う。味覚だけでなくその感覚も人と違うのかもしれない。
「それはおまえの欲目だろ」
からかうように言ったのに、アキラはかえって嬉しそうな顔をした。
「な、何だよ」
「僕がきみに欲目を持っていることを、きみがわかっていることがうれしくて」
何を言ってもだめな気がした。げんなりしたヒカルの肩をアキラは叩く。
「進藤、あれが食べたくないか?」
クレープ屋を指差していた。甘い匂いが鼻先をくすぐる。
「……食べたい」
「今度は僕がおごるよ。どれがいい?」
アキラは自分の雰囲気が少し変わるとすぐに食べ物を出してくる。
それに釣られる自分を感じるが、食欲には逆らえなかった。
「いちごとアイスが入ってるやつ」


(23)
何だかんだと見てまわり、気付いたら日が暮れていた。
いいのにと言うのにアキラはヒカルを家まで送っていった。
「上がっていけよ」
「いや、そうしょっちゅうお邪魔するわけにはいかないから」
今さら何を言ってるのだ。家で食事するだけでなく、階下には家族がいるのにあんなこと
やこんなことをするくせに。
だがあげたらまた泊めることになる。今日は抱かれるのは勘弁してほしかった。
身体がやはりとても疲れていたし、傷もまだ痛む。だからヒカルは強いなかった。
「あー、今日はなんか無理やり付き合わせちゃったみたいだな」
「そんなことないよ。きみから誘ってもらえてうれしかった」
「そっか」
ヒカルは顔をほころばせた。するとアキラはいきなり玄関のわきに連れて行かれた。
「キスしていい?」
尋ねる形ではあるが、絶対にする気なのはわかった。
「……オレ、にんにく臭いぞ」
「僕も同じだから平気だ」
そう言うといつものように耳元をさぐり、キスをしてきた。
にんにくの匂いはそんなにしなかった。だが唾液がしょっぱかった。
頬を突き刺す髪の毛先を払おうとして、ヒカルは手を止めた。
「塔矢、かがんでよ」
不思議そうな顔をしたが、アキラは片膝をついて低くなった。
ヒカルは身体をかたむけた。自分が背中を曲げるのは初めてだ。
だいたいアキラも和谷も自分より背が高いというのがいただけない。
ヒカルはゆっくりとアキラの唇をなぞった。少しかさついてはいるが柔らかかった。
その感触で今日食べた角煮を思い出してしまった。本当においしかった。
家でも母親がたまに作ってくれるが、肉汁と弾力がまるで違う。
一度ケチをつけたヒカルは、母親に店のものと比べるなとこっぴどく叱られた。
まあ当分、豚の角煮は食べなくてもいい。あれはけっこう腹にこたえるのだ。
不意に身体を勢いよく引き離された。
自分が色気も何もないことを考えていたのがばれたのだろうか。


(24)
アキラはうつむいている。ヒカルは頭の中の角煮を追い払った。
「何だよ」
「もう帰るよ」
ぶっきらぼうに言われ、ヒカルは自分のことを棚にあげて面白くないと思った。
それがわかったのだろう、アキラは弁明をする。
「これ以上したら、その、理性が……」
理性――――アキラの口からそんな言葉が飛び出すとは。
「おまえに理性なんて初めからないと思ってたけど?」
皮肉げに言った。しかしアキラは何も言い返してこない。
何か様子がおかしい気がした。いつものアキラとはどこか違う。
「塔矢、おまえ何があったんだ?」
夜目にもアキラの表情が動くのがわかった。やはり何かあったのだ。
「何があったんだよ、言えよ」
苦しそうにアキラは顔を歪めた。ますます気になる。
「塔矢!」
「言ったらきみも……!」
そこまでは大声だったが、アキラはすぐに声を低くした。
「きみも言ってくれるか?」
「何をだよ」
「……きみが、だれを……」
「好きかって? それは昨日……」
「そうじゃなくて! 僕に、僕たちにだれを……」
感情の変化の激しいアキラにヒカルは戸惑う。いったい何が言いたいのだ。
吐く息が白い。身体がふるえた。いつまでもこうしていたら風邪をひいてしまう。
それでもヒカルはこのままアキラと別れる気にはなれなくて、がまんして待った。
だがアキラは先を続けることなく立ち上がった。
「……ごめん、やっぱり調子が良くないみたいだ。本当に帰る。気を悪くするようなこと
を言ってすまなかった」
「送っていこうか?」
アキラは笑って首をふった。
「平気だ。それよりも早く家に入ったほうがいい。今夜は冷える」
背中を押され、ヒカルは再び玄関の前に立たされた。


(25)
アキラはヒカルが家に入るのを見届けようとしているみたいで、じっと立っている。
だがそんなふうに見られたら入りづらく、ドアノブを握ったまま立ち尽くした。
しかしいつまでもこうしてはいられない。
ヒカルは思い切ってドアを開けた。光が漏れ出て、影がのびる。
「進藤、今度、僕の家に来ないか」
唐突な言葉にヒカルはきょとんとして振り返った。
「え? 塔矢んち?」
「一度くらい、来てくれてもいいだろう?」
アキラの目が哀しげに見えた。ヒカルはその視線につられるようにうなずいていた。
するとアキラはにっこりと笑った。久しぶりに裏のあるこの笑みを見た気がした。
「と、塔矢」
しまった。はやまったかもしれない。だがもう遅かった。
「おやすみ、進藤」
ヒカルは家の中に押し入れられ、ドアを目の前で閉じられた。
すぐにドアを開けたが、アキラの姿はなかった。
「……あいつってよくわかんねえ」
「あらヒカル、帰ってたの? 早くドアを閉めなさい。寒いでしょう」
靴を脱ぐヒカルに母親が近付いてくる。
「そうそう。和谷くんから電話があったわよ」
ヒカルは母親を見上げた。心臓が激しく鳴っている。
「何て?」
「伊角さんの新初段シリーズを見に行こうって言ってたわよ」
「……そう……」
和谷と会うのが少し怖い気がした。だが会って伝えなくてはいけない。自分の気持ちを。
「今日は塔矢くんと一緒だったんでしょ? 晩ご飯はどうする?」
「食べる。今日のおかずは?」
ふふと母親は得意げに笑った。
「豚の角煮よ。コーラで煮てみたのよ。柔らかくなるって料理番組でやってたの」



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