とびら 第五章 21 - 25


(21)
「どうしてそういうことを言うんだ、きみは」
「怒ることないだろ、怒ることは。ちょっと気になっただけだよ」
喜んでほしいから買ったのだ。
それなのにヒカルはそんな自分の気持ちを少しもわかっていないようで腹立たしい。
「ほらほら、怒るなよ。おまえも食えよ」
「同じ種類のは一つもないから、ボクは食べない」
ヒカルは肩をすくめ、かまぼこの形をしたのをかじり、「いちごだ」と言った。
そして残ったかけらをアキラに差し出してきた。
「言っとくけど、オレはこういうの用意してないからな。これでガマンしてくれよ」
食いかけは嫌か? とヒカルが聞いてくる。アキラは首を勢いよく振った。
するとヒカルは笑み、口元にチョコをはさんだ指をもってきた。
アキラは身を乗り出し、指ごとチョコレートをくわえた。
「塔矢! 指まで食うなよっ」
「……ボクが本当に食べたいのはチョコでも、指でもないよ」
え? と開いた唇に吸い寄せられるようにアキラは顔を近づけた。
久しぶりのキスはめまいがするほど甘かった。
ヒカルの口のなかはチョコの香りでいっぱいだった。
柔らかな舌をからめとり、唾液をむさぼるように飲んだ。
自分の耳に触れるヒカルの手が熱い。
「きみが食べたい。いい?」
息を弾ませながら言う。返事を待たずにまた唇をふさぐ。
唇からはなれ、頬から首筋へと移動していく。
アキラはヒカルの襟元を引っ張った。鎖骨があらわとなる。
「おい、服がのびる……」
とがめるようにヒカルは言うが、アキラはかまわずそのくぼみを舐めた。
ぴくり、とヒカルの身体が反応する。
指先で撫でたり押したりすると、のどの奥からかすかに喘ぎ声が漏れはじめた。
ほんの少し、おかしいなと思った。やけにヒカルが敏感な気がした。
肌がいつもよりもしっとりと柔らかく、手に吸いつくようだ。
ヒカルの体温が上がっていくのが手のひらを通して伝わってくる。
体重をかけてヒカルを畳に押し倒した。


(22)
アキラが服をまくりあげようとすると、ヒカルが慌ててその手を制してきた。
「こんなところでする気かよ」
見上げてくるまなざしが自分を誘っているように思えた。
有無を言わさずヒカルを抱いてしまいたいのを残った理性でかろうじてとどめる。
「ここじゃなかったらいいの?」
「おまえ、今からする気なのかよ。まだ夕めしも食ってないし、それにオレは今日ここに
泊まるんだぜ?」
そうがっつくなよ、とヒカルはアキラを何とか押し戻そうとする。
だがアキラは手を振り払い、強引にヒカルの服をめくった。
「おい! 塔矢!」
「ボクがそのつもりだって、きみはわかっているんだろう? それならどこだろうと、
いつだろうとかまわないじゃないか」
「そういう問題じゃないだろ。おまえ言ってること、めちゃくちゃだよ」
しかしアキラはそれを聞き流し、ヒカルの肌を見つめた。
傷はすっかり癒えていた。何の痕もない、健康的な肌。
胸の突起が色づいている。
そこに触れただけでヒカルは背を軽くそらし、声をあげた。
「進藤、ボクは今日、布団の上だけできみを抱くつもりはないよ」
潤んだ目をヒカルは向ける。問いかけるような視線。
「ボクの使う部屋すべてで、きみを抱く」
とたんにヒカルは驚愕で目を見開いた。
「おまえ、なに言ってんだよ……」
「そうしたら、部屋に入るたびに、いつでもきみを思い出せるだろう?」
「おまえ、なに言ってんだよ!」
同じ言葉を今度は強い語調でヒカルは繰り返した。
「嫌か?」
「いやに決まってんだろっ」
「本当に? 本当に嫌なのか?」
たたみかけるように言うと、ヒカルの目線が左右に動いた。
嫌ではないと、少なくとも身体は嫌がっていないとアキラはわかっていた。
あともう一押しで、ヒカルは自分の手のなかに理性を落とす。


(23)
アキラはヒカルをその気にさせるべく、愛撫をつづけようとした。
だがいきなり頭に手をまわされ、引き寄せられた。
ヒカルの顔がすぐ間近にある。
黒い瞳が艶っぽく光り、それをふちどる睫毛がゆっくりとしばたいた。
あまりにもきれいでアキラは見惚れた。
我を忘れたその一瞬、ヒカルが手にさらに力を込めた。
アキラの唇がヒカルのそれに覆いかぶさった。
自分からしていると言うより、させられているといった感がある。
舌は角度を何度も変え、すべてを知りつくそうとするかのように内部を探ってくる。
キスをしながらヒカルは片方の手でアキラの背中に触れてきた。
指先が背筋をなぞりながら下り、服のなかに入ってまた上ってくる。

――――誘われている。

そう理解した刹那、沸騰しそうなほど身体が熱くなった。
キスだけではとてもこの熱はおさまらない。
ヒカルからこのように求められるのは、考えてみれば初めてだった。
「進藤……っ」
最初に理性を落としたのは自分のほうだった。
手をヒカルの下肢へとのばす。
ヒカルは身じろぎしたが、きつく抱きしめてその動きを封じた。
長い夜がはじまる。そうアキラは思った。
だが、突然からりとふすまが開かれ、二人の動きは止まった。
驚いて顔を上げると、闖入者と目が合った。
「緒方さん……」
「やあ、アキラくん。それに進藤。なんだ、二人でじゃれあってたのかい?」
アキラは慌てて身体を起こした。ヒカルもまごつきながら服をもとに戻している。
「どうしてここに?」
「碁会所に寄ったら、今日はアキラくんは家に一人だということを知ってね。だから俺が
様子を見に来たんだよ。けど、進藤が来ているとは知らなかったな」
そう言いながら緒方はヒカルを見やった。
するとヒカルの肩がはた目にもわかるほどすくんだ。
その表情は心なしか青ざめており、服を握りしめた手は白くなっていた。


(24)
おだやかな表情を緒方はしているが、その内面を読むことは出来なかった。
緒方は今の様子を見てどう思っただろうか。
ただのじゃれあいだと、本当にそう思ったのだろうか。
それよりも、本当に今しがた入ってきたのだろうか。
もしかしたらしばらく二人の様子をうかがっていたかもしれない。
(進藤の姿を、緒方さんは見たかもしれないんだ……)
妖しく自分を惑わすヒカルを誰の目にも触れさせたくなかった。
緒方は二人の目の前に腰をおろした。座卓の箱に気付いたようで、それを手に取る。
「ほう、レオニダスのチョコレートか。いい趣味をしているじゃないか。これはゴディバ
やノイハウスのように、高級ブランドというわけではないが、庶民的で気取ってないのが
いい。アキラくんがもらったのかい?」
いいえ、ボクが買ったのです、と言うと緒方は片眉を軽く上げた。
そしてヒカルの方を見た。ヒカルは小さくなっている。
「一つもらうよ」
返事を待たずに口に入れてしまった。アキラは生まれて初めて緒方に憤りを覚えた。
「ナッツクリームが入ってるな。リキュールのはないのかい?」
「ありません」
そっけなくアキラは言った。たとえあったとしても、それを緒方さんが食べていいわけで
はない、と心のなかで毒づいた。
「しかし今日はよく進藤と会うな」
「え? そうなのか、進藤。いったいどこで緒方さんと会ったんだ?」 
アキラはヒカルの手合いの日をすべて把握している。
今日は対局がない日だから、学校に行っていたはずだが。
「それは……」
ヒカルの目が不安そうに揺らめいた。
「棋院で会ったんだよ。なあ、進藤?」
うなずいたまま、ヒカルは顔を上げようとしない。
その様子が気になる。それだけでなく、緒方の含みのある物言いも。
だがそれを追究するよりも、緒方を一刻も早くこの家から追い出したかった。
せっかくの夜を緒方にぶち壊しにされる気などさらさらない。
アキラは居住まいを正し、正面から緒方に向き直った。


(25)
「わざわざ様子を見に来てくださってありがとうございます。でも大丈夫ですので、緒方
さんはどうぞお帰りください」
遠まわしな言い方をアキラはしなかった。
遠慮する仲ではないし、何よりも自分の帰ってほしいという意思を率直に伝えたかった。
だが緒方は笑ったままで、いっこうに動く気配がなかった。
「きみが心配なんだよ、アキラくん。こんな広い家に一人きみを残すのがね」
「一人ではありません」
「進藤が泊まるのか?」
うまく誘導されている気がした。だが変に隠すと疑われそうなので、正直に肯定した。
「子供二人、はめを外さないといいんだがな」
相変わらず緒方の視線はヒカルにある。値踏みするようなそれは自分を不愉快にさせた。
「アキラくん、夕飯はもう食べたかい?」
「まだですけど……」
嫌な予感がする。それは当たった。緒方が食べに行かないか、と言ったのだ。
「緒方さん、こんな日に子供二人の相手をすることはありませんよ。どうぞ、女性のもと
に行ってください。緒方さんをきっと首を長くして待っていますよ」
緒方は苦笑いを浮かべた。
「俺はつまんない男だからな。囲碁のわからない女と一緒にいるより、未来のトップ棋士
と食事をしたいんだよ。それにそのほうが何倍も有意義で楽しいしな」
どこまで本気で言っているのかわからないが、アキラは引くつもりはなかった。
しかし緒方はヒカルに呼びかけた。ヒカルは恐る恐る緒方を見る。
「アキラくんは頑固でね。きみからも説得してくれないか」
緒方の口調はやわらかだが、どこか脅しているように感じた。
アキラは口をはさもうとしたが、緒方の発する空気がそれを許さなかった。
「進藤、せっかく今日、棋院で会って、こうして夜にも顔を合わせたんだ。この縁を無駄
にすることはないだろう?」
緒方の横顔を見て、アキラはその頬が少し削げたような気がした。
眼光も鋭くなっている。そんな目をして言われたら誰も逆らえない。
ヒカルがアキラのほうを見た。唇がおもむろに開かれる。
「塔矢、オレ、緒方さんと夕飯、食べてもいいかな、って、思う」
とぎれとぎれにヒカルは言葉を口にした。それですべてが決まった。



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