日記 211 - 213


(211)
 アキラが出て行った後、ヒカルは暫くボンヤリしていた。自分の部屋と同じくらい、
馴染んでいる場所なのに、何故か少しよそよそしい気がした。
 アキラが買ってくれたヨーグルトをとりだした。
「また、こんなに買ってきて………」
無糖やら、フルーツ入りやら、それ以外、なにやら似たような名前のヨーグルトが、山ほど
出てくる。
 元気なときでもこんなに食べたら、お腹を壊してしまう。
「アイツは限度ってモンを知らネエよな…」
プレーンタイプのヨーグルトを一つとって、蓋をめくる。甘酸っぱい匂いが鼻腔をくすぐった。
 スプーンの上の小さな山をヒカルは見つめた。混じりけのない白が、目に痛い。
「バカじゃネエの………」
何で、こんなことで一々傷ついた気分になるのだ。綺麗な白が、ヒカルの汚れを余計に
目立たせているような気がした。
 それを口に運んで、目の前から消した。カップの中にスプーンを突っ込んで、敵のように
すくい上げては、頬張った。
―――――だって、オレは悪くない………だから……落ち込む必要なんてナイ………
それなのに、勝手に涙が出てきた。ヒカルはしゃくり上げながら、ヨーグルトを嚥下した。


(212)
 何をするわけでもなく、ただ無為に時間が過ぎていく。碁盤に向かう気にもならず、かといって、
テレビを見て暇を潰す気にもなれない。
 ヒカルはチラチラと時計を気にしていた。五分と進んでいない針を見て溜息が出た。
「……水でも飲も………」
立ち上がろうとして、クラリときた。そのまま、床に顔を伏せ、暫くじっとしていた。徐々に
視界が明るくなって、ヒカルは漸く顔を上げた。手足の先が冷たい。少し、休んだ方がいいようだ。
 ヒカルは寝室のドアを開け、アキラのベッドに横になった。そこにはいつもの匂いが
なかった。取り換えられたばかりの真新しいシーツには、自分の残り香しかない。
 セックスをするときもしないときも、ヒカルはいつもアキラと一つの毛布にくるまって眠った。
アキラの胸元に鼻先を突っ込んで、その石鹸の匂いや彼自身の香に包まれていると安心できた。
 ヒカルは、自分がどんなにアキラを求めているか改めて知った。怖いという気持ちと抱かれたい
気持ちがヒカルを交互に揺さぶっている。
 ギュッと目を閉じて、枕に顔を押しつけた。だんだん息が苦しくなって、ヒカルは仰向けに
転がった。ハアハアと荒い息を吐く。少しずつ呼吸と気持ちが落ち着いてきた。
 そうして、ヒカルは漸く目を開けた。涙の滲んだ視界の端に、部屋の隅に積まれたモノが映った。
マットレスとタオルケット。昨日、アキラはそれで眠った。
 ヒカルは綺麗に畳まれたそれらを広げて、その上に身体を横たえた。
―――――塔矢の匂いだ………
いつもの香。安心する。ヒカルはいつの間にか眠ってしまっていた。


(213)
 「ただいま………」
玄関から、声をかけたが返事はない。帰ってしまったのかと一瞬慌てたが、スニーカーは
朝見たときと同じ位置に残っていた。
 声をかけながら、寝室を覗いた。
「進藤………?」

 ヒカルは眠っていた。マットレスの上でタオルケットにくるまって…………。
「進藤………」
傍らに跪いて、寝顔を覗く。
 ヒカルも自分と同じなのだ。触れたくて、触れるのが怖くて………もっとも、自分とヒカルでは
意味合いが少し違うだろうが…………。
 どうすればいいのか自分にはまるでわからない。優しくすればいいのか…突き放せばいいのか………
ダメだ!突き放すなんて出来ない……絶対に出来ない!優しくしたい……ヒカルが安心できるように……
少しずつでいいから………ヒカルが以前のように………笑ってくれたら………
 自分がガマンすればいいのだ。そうしたら、いつかヒカルも………きっと………
アキラはヒカルを起こさないように、そっと部屋を出て行った。



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