平安幻想異聞録-異聞- 213 - 218
(213)
佐為がその竹林に足を踏み入れたのは、前日の夕方から探索を始めて、
五番目だったか、六番目だったか。
とにかく、いくつかの竹林をさがしまわった後。東の山々の間から
陽が差し始め、朝もや立ちこめる頃。
他となんら変わりなく、変哲もないたたずまいのそこに佐為とアキラは
分け入った。
朝露に溶けて、遠くなった夏の名残の緑の香りがムッとあたりに
立ちこめている。
微風が、サラサラと竹の葉をゆらし、それがこすれ合う音が、
風雅に竹林全体にひびいていた。
その中にぽっかりと開いた朝日差し込む竹の木のとぎれ。
「アキラ殿。あそこを」
佐為が指し示したそこには。
一本の太刀が、まるで置き忘れられたようにひっそりと落ちていた。
古びた太刀のその鞘には、使い込まれたことを感じさせる無数の
傷が付いていて、それがほとんど真横から差し込む朝の光を反射し、
宝石のようにキラキラと光っている。
佐為はその太刀をとてもよく知っていた。つい、この前まで自分の身の回りで
よく見かけた一振り。
――それは、あの下弦の月の夜、ヒカルがなくした、父の形見の太刀だった。
あの時、ヒカルが探しても見当たらなかった太刀が、今はそこで、二人を
待っていたかのようにポツンと寂しげに横たわっていた。
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「ここを掘りましょう」
佐為が、アキラをせかした。
「ここに違いありません。ヒカルの亡き父君が、この場所を教えるために
この太刀をここに置かれたのだと思いませんか、アキラ殿!」
アキラが黙って道具を取りだし、その場所に降り積もっている竹の
枯葉をかき分け始めた。
彼にならって、佐為もすぐに鋤を取りだし、今はマメだらけ傷だらけに
なっている手で、剥き出しになった地面を掘り起こす。地中には竹の細くて
丈夫な根が、人の血管のように縦横無尽に巡らされていて、作業はなかなか
進まなかったが、半刻ほどそれらと格闘した後。
鋤の先にコツリと固いものが当たった。
だが、今までも幾度か、そうして石に当たった感触を勘違いして掘り起こし、
がっかりもさせられている。
緊張に早鐘を打つ心の臓を押さえながら、佐為とアキラは更にそこを
掘り進めた。
果たして。
二人の目の前に素焼きの壺が姿を表した。
大きさは人の頭二つ分はあるだろうか。
その蓋には、封印の印が書き込まれていた。
「佐為殿、離れていて下さい」
アキラの言葉に、佐為は二歩ほどそこから後ずさる。
短い呪文のようなものを唱えて印を切った後、アキラはその蓋を開け放った。
顔を背けたくなるような異様な腐臭があたりに広がった。
アキラはそのまま壺を逆さにして、中に入っているものを振り落とす。
ボトボトとその口から落ちてきたのは、干からびたり、腐ったり、食い千切られ
たりした、蛇やヤスデ、カエルの死体、そして腐って半分ドロドロになった
人間の摩羅。数は四本。
佐為もアキラも知るよしもなかったが、それは、あの下弦の月の夜、ヒカルを
陵辱した後、口封じのために殺された夜盗装束の男達のものであった。
そして、最後に、壺の奥から齢二十年は数えようかという大ムカデが
飛びだした。
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こうなるとムカデというよりは節のある蛇というほうが近い。
それは、朝日の明るさに苦悶するように身をよじると、無数の足を
うごめかせて走り、薮の中へと逃げ込もうとした。
アキラがすかさず、空に魔物封じの印を指で描いた。
大ムカデが、見えない何かに縛られて、動きを止める。
アキラは、狩衣の袂から小刀をとりだした。
「呪を返します」
破られた呪詛は、同等の力を持って、それを施した術者の元に返る。
陰陽の道の定めだ。
思い当たって、佐為は心配そうにアキラを見た。
「呪詛を施した者の近くにいるだろうヒカルは、大丈夫でしょうか?」
「これだけ、強い呪の力が返されるのです。確かに、近衛にも害が及ばない
よう、前もって手を打って置いたほうがいいかもしれません」
言って、アキラは空に向かって小さく誰かの名前をつぶやいた。すぐに
上空に一羽の鳥が現れる。逆光でよく見えなかったが、佐為にはその鳥が
カラスのように思われた。鳥にアキラが何事かを命令する。
空にひとつ輪を描いてから、鳥は飛び去った。
「では…」
アキラがあらためて大ムカデに歩み寄り、小刀を鞘から引き抜いた。
その刃が、身動きできないその禍々しい生き物の頭部に垂直に突き
立てられた。
ムカデがギチギチと断末魔の鳴き声をあげて、身をうねらせた。
竹林を、ゴウと音を立てて、強い風が吹き抜けた。
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東の空が明け初める少し前、その部屋の真ん中にヒカルはひとりで
転がっていた。
精液だか体液だかわからない、透明な粘液に、体中をドロドロにまみれさせて。
いつもの侍女が、身動きしないヒカルを助け起こし、その汚れきった体を、
やはり無表情のまま洗い清めた。
ヒカルは気を失ってはいなかった。ただその薄く開かれた目は、
疲れきったようにぼんやりと何処も見ておらず、侍女のなすがままに
なっていた。
着衣を整えて貰った後、ヒカルは朦朧とした意識のまま、新しいものに
取り換えられた褥の上で眠りに落ちた。
夜が明けてから、再び侍女が出仕のための着替えを持ってヒカルの元にきたが、
その時すでにヒカルは高い熱を発していた。
こうも連日連夜責められて、今まで大丈夫だった方がおかしいのだ。
それに加え、昨夜の魔物に体だけでなく、心の奥までも蹂躙された感覚が、
ヒカルの疲弊をより重いものにしていた。
心の弱い者ならとうに正気を失っているだろう状態だった。
ヒカルのその様子を確認して、さしもの座間も今日は無理に警護役を
務めろとは言わず、他の衛士達を伴って内裏に向かった。
その朝の屋敷の喧騒を耳にしながら、ヒカルはうとうとと再び目を閉じた。
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それから、どれくらい時間がたったろう?
ヒカルは異様な息苦しさに目が覚めた。
熱のせいではない。胸の上に何かを乗せられているような、そんな
息苦しさだ。
御簾の隙間から部屋に差し込む陽の光りの角度や、室内の温度からしても、
先ほど眠りについてからそんなに時間は経っていないはずだ。
まだ、朝といっていいだろう。
(なのに、この空気は……?)
瘴気、というのだろうか。
何か匂いがするわけでもない。また気配がするわけでもない。ただ、
「嫌な感じ」がするとしかいいようのないような――。
すいっと、なめらかに御簾が巻き上げられて、そこに桔梗襲ねの十二単衣を
まとった美しいひとりの女がたっていた。
頭に一昨日の夜、自分の身を貪った妖しの女の事が浮かぶ。
思わず身構えたヒカルに、女は軽く一礼した。
「近衛殿にお渡しするものがあり、やって参りました」
漂う瘴気はこの女からのものではない。
瞳の瞳孔の形もちゃんと人と同じで、黒くキラキラとしている。
どうやら、妖魔の類いではないようだ。
そういえば、その鋭利な面ざしがどこか賀茂アキラに似ているのは気の
せいだろうか?
「あんた、誰?」
「近衛殿とは、一度会った事がございますが、覚えてはおられますまい。
今日はこれを近衛殿にお渡しするためにこの姿でまいりました」
そう言って、女が懐中からとりだしたのは、一本の剣。
柄から鞘にかけて、明るい銅色の上に薄く龍の文様が浮かび上がっている。
それは、アキラや佐為と知りあった妖怪退治の折り、ヒカルに
預けられていたあの太刀だった。
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茫然としながら、手渡されたそれを見るヒカルに女が告げた。
「賀茂様からのご伝言でございます。呪は破られたり、御身は
それで守られたし、と」
女はそれだけ言うと、十二単衣を来ているとは思えない軽やかさで
身をひるがえす。
と、思った瞬間にはそこにはすでに女の姿はなく、ただ、カササギが
一羽、つややかに漆黒の羽根を羽ばたかせ、屋根を越えて朝日の中を
西の方へと飛んで消えた。
呪は破られたとき、その呪を施した本人に、同等、あるいはそれ以上の
力となって返ってくるという。
ならば、そういう事なのだろう。
アキラと佐為はなんらかの手段で、ヒカルに掛けられた蠱毒の呪を解き、
返すことに成功したのだ。
あの、肉の蛇が、より強大な力をもって、座間と呪詛を施した陰陽師を
喰らいにくるのだ。
これは、アキラがそれを予見して、その座間のすぐそばに居る事になるだろう
ヒカルに「自分の身を守れ」と言ってくれているのだろう。
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