日記 216 - 220


(216)
 ベッドにヒカルを横たえる。しかし、アキラは迷っていた。ヒカルが欲しい。ヒカルを抱きたい。
だけど…………本当に大丈夫なのだろうか………ヒカルの言葉を素直に受け入れていいのだろうか………
もし…もしも、今以上にヒカルが傷ついてしまったら………そう思うと怖かった。怖くて触れられない。
抱きしめたヒカルは、少し力を入れただけで脆く崩れそうなほどやせ細っていた。
「本当にいいの?」
言った瞬間しまったと思った。ヒカルの身の上に起きたおぞましい出来事を自分が
知っているということを彼は知らない。不用意な一言で彼をまた傷つけてしまったのではと
自分を叱りつけた。沈黙がその場に落ちる。

 ヒカルは、暫く黙ってアキラを見つめていた。絶望も驚愕もなくただ深く静かな瞳の色だった。
「………うん…いいよ……して…」
目を閉じて、静かにヒカルは答えた。「早く」と、急かす唇が微かに震えている。
 ヒカルが覚悟を決めているのなら、自分もそれに従う。アキラは、恐る恐るヒカルに触れた。


(217)
 「あ…………」
ヒカルが、小さく喘いだ。脳の奥を焦がすような甘い響き。もう、ダメだ。アキラはその身に
むしゃぶりついた。
「進藤………進藤!」
 白い喉に唇を押し当てながら、彼の華奢な身体を抱き寄せ、もどかしげに衣服を剥ぎ取ろうとした。
「やぁ……」
ヒカルが怯えたように、身体を竦ませた。
 「ゴ…ゴメン……」
咄嗟に手を引っ込めた。やっぱり怖い。ヒカルに触れるのは………。
「………気にしないで……謝らないで……それより、トウヤが欲しい………」
 その言葉に頭の中が真っ白になった。何も考えられない。
「す、好きだ…………!進藤…」
声が上擦った。その声がヒカルを不安にさせはしないかと、頭の隅でちらりと考えたが、身体は
もう止まらなかった。その一方で、もう一人の自分が「落ち着け!」と、何度も繰り返して言った。
無駄なことだと知りつつも、アキラは冷静になろうと努力した。

 ヒカルの髪や額に口づけを落としながら、少しずつ肌を露わにしていく。
「ん………」
ヒカルが何かを堪えるように、強く目を閉じ呻いた。大きく反らせた繊細な顎が、小刻みに
震えている。
 その顎先を捉え、唇を軽く重ねた。無意識に逃げようとする身体を強く抱きしめて、胸の鼓動を
直に確かめる。彼の鼓動は恐ろしいほど早い。それほど、緊張しているのだろう。そして、
自分もそれに負けないくらい張りつめている。初めて身体を合わせたときでさえも、これほど
ドキドキしなかった。


(218)
 夏の日の遅すぎる日暮れ。太陽がすっかり沈んでしまっても、まだ外は明るかった。
薄いカーテンの隙間から、漏れる弱い光が時折ヒカルの身体をほんのりと照らす。
 ヒカルがそれを隠そうと身体を縮こまらせる。アキラに背中を向けるようにして、胎児の
ように身体を丸めた。彼は部屋の中が完全に暗くなるまで、ずっとそうやって震えていた。
 そんなヒカルの身体の上に覆い被さるようにして、アキラはヒカルを抱きしめた。優しく
背中をさすりながら、髪や耳たぶにキスをした。
 やがて、ヒカルの身体の強張りが、少しずつ解けていく。カーテンに家々の明かりが
灯されていく様子が映っていた。
 ヒカルの身体は、その淡い明かりの中で青白く浮かび上がった。その身体は白すぎるくらいに白く、
まるで陶器で出来た人形のように硬かった。細心の注意を持って取り扱わなければ簡単に
壊れてしまいそうな繊細さに戦慄した。
 その身体の中で、胸の突起だけが淡く色付いていた。アキラにとって、それだけがヒカルが
作り物などではなく、ちゃんと生きている人間であることの証のような気がした。


 ヒカルの薄い胸に、キスをした。彼のほとんど肉の落ちてしまった身体は、どこに触れても
硬い骨があたる。その感触に戸惑いがないわけではない。
 壊してしまわないだろうか…………?ちょっと力を入れれば、肩も腕も簡単に砕けてしまいそうだ。
 そんな風に躊躇うアキラに向かって
「オレ………ハリガネみてえだろ?」
と、ヒカルが軽口を叩いた。口元には笑みさえ浮かべている。その冗談に、笑おうとしたけど、
うまくいかなかった。
 だから、笑う代わりにその口を塞いだ。今にも、泣き出しそうな笑顔なんて見たくない。
怯えるような瞳で、震える声で、無理に笑って欲しくない。
 唇を離したとき、ヒカルが眉を八の字に寄せて、アキラを見つめた。涙が目尻に溜まって、
今にも零れ落ちそうだった。
「…………無理しなくてもイイぞ………………」
ヒカルは痩せた身体を隠すように、自分自身の肩を抱いた。
………無理しているのはキミだろう?
 それを口には出さなかった。アキラはただ強くヒカルを抱きしめた。


(219)
 「食べないからダメなんだよ……………」
こんな言葉に意味はない。ただ、ヒカルの口から自虐的な言葉は聞きたくないのだ。
「食べたくネエんだ……」
ヒカルの額に軽く口づける。ヒカルはキスを受けながら、ほんわりと微笑んだ。
「あれだけ食べてても、まだ、痩せすぎだったくらいなのに……」
「………うん…」
ヒカルの腕が、自分の背中にまわされた。あまりにも細い腕。悲しくなってくる。

 「トウヤは太っている方がいい?」
ヒカルが不安げに訊ねてきた。何を今さらと思った。今までだって、ヒカルが太っていたことなど
一度もない。アキラも細身だが、ヒカルはそれに輪を掛けて華奢だった。自分のコトを棚に上げ、
よくそれをからかったものだ。
 でも、今の状態は確かに普通じゃない。うかつなことを言わないように、慎重に答えた。
「程度にもよるけど…………」
「けど?」
「いや……………やっぱり、今のままでいいよ……倉田さんみたいになってもらっちゃ困る…」
ヒカルはクスクスと笑った。アキラも笑う。
「でも、もう少しだけ太ってくれ……」
――――うん…
小さく頷いて、ヒカルがキュッとしがみついた。


(220)
 「あ………ぅ……」
アキラは、忙しなくヒカルの肌をまさぐっていた。
 ヒカルが小さく呻く。少し苦しげなその声に、慌てて手を引っ込めた。
「………ゴメン…」
ヒカルは黙って首を振った。そして、続きを促すようにアキラの首を抱く腕に力を込めた。

 さっきから、同じコトの繰り返し。アキラは、ヒカルを可能な限り優しく扱いたかった。
それなのに、この身体はそんな気持ちを置き去りにして、どんどん先へと突っ走る。
―――――いい加減にしろ!進藤を手荒に扱うな…!
いくら叱責しても、言うことを聞かない自分の堪え性のなさに腹が立つ。
 頭ではわかっているのだ。だけど、ヒカルの声が…肌の滑らかさが…熱い身体が…アキラから
理性を奪うのだ。
 腕の中の存在に、自分がどれほど飢えていたか改めて思い知った。
「………トウヤ……」
ヒカルが甘く掠れた声で囁く。一瞬で、全身が沸騰した。
 外見的には以前のヒカルとまったく変わらない。酷く痩せてしまってはいるが、それ以外は、
柔らかな髪もすべらかな頬も大きな瞳もアキラのよく知っているヒカルだ。
 だが、時折垣間見える凄まじいほどの艶はどうだ?アキラを見つめる瞳にほんの一瞬浮かぶ
甘い媚……眩暈がするほど艶めかしい。



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