失楽園 22 - 23


(22)
(塔矢……?)
 ヒカルはアキラの手の震えに尋常ではないものを感じた。エアコンに温度を完全に制御された
この部屋で、アキラの額に浮かぶ汗の量は不思議なほどだ。ヒカルは首を傾げる。
「とう……」
 ヒカルはアキラを呼ぶために口を開いた。
「ああ、アキラくんと寝たんならオマエも知ってるか」
「……そんなの、知らねェよっ!」
 ヒカルの言葉を遮って、さも面白くないと言わんばかりに吐き棄てる緒方にヒカルはカッとなっ
て言い返す。そしてまたすぐにアキラを見上げた。
「塔矢、どうして先生にこんなことさせてんだよ……なんでボサっと立って見てんだよ」
 ヒカルは焦れた。アキラは汗を滲ませながらも、緒方の局部とヒカルの間に視線をさまよわせ
決して動き出そうとはしない。
「塔矢……!」
 ヒカルは再度アキラの名を呼んだ。この狂乱から救えるのはアキラしかいない。そのことを
ヒカルは直感で知っていた。剥き出しの自身を昂めるように撫でている緒方は、恐らくヒカルを
アキラへの嫌がらせの道具のようにしか見ていないのだ。
 自分にも判っていることなのだから、アキラが気づかないはずがない。
 塔矢―――
 一向に動き出そうとしないアキラに、ヒカルは鋭く舌打ちした。
 若い2人は月と太陽、静と動――そのようなイメージでまるで対極にいるが、それぞれ危うい
魅力に満ちている。
 立ち尽くすアキラと焦れるヒカルの様子を、緒方は笑みを浮かべて鑑賞していた。


(23)

 開け放たれたリビングのドアを潜ると、ソファの上に脚を組んで座る進藤ヒカルがいた。
そのいかにも健康的な色艶をしている頬が赤いのは、自分とアキラのセックスの様子を
彼が想像していたからに違いない。ただでさえ想像力が逞しい年頃である上に、我を忘れ
かけたアキラは奔放に声を上げていた。目を閉じて耳を塞いでも、このマンションがどれ
ほど防音設備が整っていても、掠れた嬌声は幻聴のように頭の中で何度も繰り返し響いて
くるはずだ。
 アレはそういう生き物だ。自分がそう仕向けそして躾けた。元来の生真面目さがアキラ
にとっては仇となり――緒方にとっては嬉しい誤算ではあったが――期待以上に成長した
インキュバス。それがアキラだった。
 緒方はドアに凭れ、自分にまだ気づかずにいるヒカルを見遣ると口の端を僅かに上げる。
こちらを確かに見ているはずなのに、ヒカルの視線は虚ろだった。
「マスターベーションでもしているかと思ったんだが」
 何気ない口調の一言にさえ、ソファの上に座った小柄な身体は大げさなほど激しく反応
する。教師に居眠りを注意されたときの同級生の仕草を思い出し、緒方はクックッと喉を
震わせた。
「流石にここでする男気はないか」
「――――っ」
 緒方の言葉を侮辱と取ったのか、ヒカルはギリと奥歯を噛み締める。
 大きな瞳に漲る怒りはしかし、緒方が室内に一歩足を進めると途端に弱くなった。



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