平安幻想異聞録-異聞- 220
(220)
熱に火照る体を奮い立たせ、ヒカルは立ち上がった。
蓄積された疲労が、ともすれば体を床に引きずり倒そうとするのを
こらえ、部屋を見渡す。
侍女が持って来てそのままになっている着替えが置いてあるのが目に入り、
ヒカルは夜着を脱いで、その狩衣を着込んだ。
朝の空気を吸って冷えた生地の感触がひんやりとして、ヒカルの感覚を
頭の隅までハッキリとさせてくれた。
気を引き締める。
腰に履いた調伏刀の柄に手をやり、手触りを確かめ、目を閉じた。
瘴気は、今や大気自体が粘度をましたように感じるほど、濃い。
門の方で騒ぎが起こった。
廊下や棟を忙しく行き来し始めた侍女達のひとりを捕まえて訊くと、
座間が内裏での評議の最中に具合が悪くなり、急いで帰ってきたらしい。
屋敷の裏手で悲鳴が上がった。
衛士達が駆けつける足音と怒号がする。
「座間様を守りまいらせよ!」
バリバリと遠くで板塀が壊れる音がして、侍女達のせわしないが
てきぱきとした足取りが、慌てふためいたものに変わったのが部屋の
内にいても音でわかった。
ヒカルは調伏刀を鞘から抜き放った。
来る。
どこから?
突然、床が揺れる感じがしたかと思うと、天井の梁が落ちた。
慌ててよけたヒカルの目の前に、天井裏に巣くっていたらしい鼠が何匹も
落ちて来てチィチィと恐怖の鳴き声をあげながら逃げ出す。それを追うように
何か赤い塊が三つ四つ落ちて来た。シッポが付いている。よく見ればそれは
肉塊と化した鼠だった。
そして、梁が落ちた後の天井の暗い闇の隙間から、それが顔を覗かせた。
蛭にも似た口先からタラタラと唾液を垂らしながら。
口の周りの無数のヒゲをうごめかし。
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