平安幻想異聞録-異聞- 223 - 224
(223)
シュルシュルと壊れた床板の隙間から身を滑り出させ、大口を開けて
ヒカルに飛びかかってきた。素早い動作でヒカルは柱のつっかえ棒にしていた
調伏刀の鞘を取り戻し、それで喉を守る。肉蛇はガチリと音をさせてその鞘に
噛みついた。その鞘をしっかり銜えたままの蛇の上に支えを失った柱と屋根が
音を立てて崩れ落ちた。
さて、当面の危急は逃れたが、崩れ落ちた柱と天井の板が積もってヒカルは
庭への退路を断たれた。
ヒカルは金茶の前髪を揺らして後ろを振り返った。太刀を正眼に構える。
ざっと目で数えただけでも十匹以上の大蛇が、追いつめた獲物を前に鎌首を
もたげている。
これは持久戦だ。
この調伏刀をもってすれば、一匹一匹を倒すのはさほど難しい事ではない。
だが例えて言うなら、大木の幹とも言うべき本体はどこかにあって、この
蛇達はその枝葉に過ぎないのだ。
その大元の命脈を断たない限り、斬り伏せなくてはいけない肉蛇の数には
際限がない。本来の体調であったら、戦ってゆうに一刻、頑張れば一刻半は
持つかもしれない。だが、萎えた下肢と、熱に侵された体ではいったい
どれほど持ちこたえられるのか。
せいぜいが半刻。
ヒカルの心に焦りが生まれたその時。
背にした退路を遮る瓦礫を飛び越えて、庭から二頭の白馬が乱入してきた。
ヒカルをかばうように、異形の大蛇たちとの間に立ちはだかったその馬の背に
跨がっていたのは、藤原佐為と賀茂アキラであった。
(224)
白馬は漆黒のたてがみと尾を持ち、首には、漆黒のおもがいと漆黒の
手綱がかけられていた。鞍はない。その裸の馬の白い背に身を預け、
佐為とアキラはその場に踊り込んで来た。
アキラが小さく自分にしか聞こえない程の声でつぶやきながら、一枚の
札を投げると、ヒカル達と大蛇の群れの間に青白い炎の壁が出来た。
「佐為殿! 早く!」
アキラの叫ぶ声に、佐為が腕を伸ばしてきた。
「ヒカル!」
しばし唖然としていたヒカルだが、その声に佐為の腕を取り、勢いをつけて
自分の体を馬上に持ち上げる。佐為の後ろに跨がって、懐しい背中にしがみつく。
だが、呑気に再会を喜んでいる暇はなかった。
「急いで下さい、佐為殿! この足止めはそう長くは持ちません!」
佐為は馬の首をめぐらす。
「ヒカル、しっかりつかまっていなさい」
力強く瓦礫の山を乗り越え、二人を乗せた白馬は庭に降り立った。アキラを
乗せた馬もそれに続く。
数瞬おいて、アキラの言った通りあの蛇達が後を追ってきた。
門の方へと馬を走らせれば、蛇達も地面をまるで氷の上を滑るがごとき
早さで這ってついてくる。
アキラを乗せた馬はともかく、二人分を背負うことになった馬の方は、
佐為がどんなにせかしてもなかなか速度が上がらず、足元に迫った
蛇に怯えて嘶いた。
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