黎明 23 - 24
(23)
己の内の闇に気付いたとき、経験浅く年若い陰陽師は、初めて闇を恐れた。
かつて彼の目には世界は常に明瞭で見通しがよく、全ては手にとるように明確だった。恐
れるものなど何もないと、思っていた。
ひとびとは闇に跋扈する正体の知れぬ妖しを、ひとを呪い祟りなす神々を、この世の無念
の凝り固まった鬼を、恐れた。だが人の目には見えなくとも彼の眼にはあらわに見える鬼
や妖しは、彼にとっては慎重に処すべきものであり、決して侮りはしなかったものの、ま
た、恐るべきものではなかった。
また、鬼や妖しなどよりもひとの方が恐ろしいと、ひとの心の闇の方が恐ろしいと言うひ
ともいた。確かに、ひとはそれぞれ心の中に闇を抱えている。けれどそれも彼にとっては
怖れるべきものではなかった。ひとの心は容易く闇に侵食され、その闇に魔が宿り、更に
その闇が凝るとオニとなる。けれどそれを哀れとこそ思え、恐ろしいと思ったことは無か
った。
けれど今、自らの内に黒々と沈む底なし沼のような闇に気付いてしまって、己の中のその
闇を、恐ろしいと、彼は思ってしまった。昼でさえ光の届かぬ深い森の奥の、夜の闇より
も尚深い、闇の暗さを、その深さを、己の中のその闇を、若き陰陽師、賀茂明は初めて怖
れた。己の中の闇に気付いて、それまで明瞭に見通せた条理が突然不条理と化してしまっ
たかのような不安に、彼は怯えた。
そして、怖れるものなど何もないと思っていた己の浅薄さを、彼は嘲った。
風は吹き荒れ、雲を走らせ、黒々と繁る木々の梢を、名付け得ぬ我が身の闇をざわめかせる。
夜明けは、暁の時は、まだ遠い。
(24)
寒い。
どうして俺はこんな所にいるんだろう。
どうして俺はこんなに寒いんだろう。何が辛くて、何が怖くて、俺はこんな闇に逃げ込んだんだ?
求めたものは、懐かしいのは柔らかな暖かい微笑み。春の日差しのような優しい淡い光。
あの柔らかな笑みがなくなってしまったのが悲しくて、それでこんな堅く厚い繭を紡いでその中に
篭った。けれど気付いたときにはその中にいたのは自分一人で、あの暖かい日差しからは更に
遠く離れてしまった。
ああ、あの光が消えてしまったのが、俺は辛かったんだ。
あの暖かな光の中で微笑んでいたのは。
霞の向こうに遠く、白い人影が見えた。ただ懐かしさだけで溢れてしまいそうな思いで、朧なその
人影に向かって手を伸ばした。長い豊かな黒髪の、長身のその人はゆっくりと振り向く。薄紅色
の花びらがひらひらと舞い落ちる。
「……さい…」
震える呼びかけに、振り向いたその人は優しく微笑む。
ああ。
こんな所にいた。
こんな所にいたのか。
会いたかった。
おまえに会いたくて、会いたくて、それで俺は――
「……ヒカル?」
呼びかける声に答えるように彼の名が呼ばれた。
「………佐為…!」
そしてその人にがむしゃらに抱きついた。もう二度と、決して離すまいと。
「佐為……佐為、…佐為、佐為、佐為、」
涙を流し、満身の力をこめて、その暖かい身体にしがみついた。
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