平安幻想異聞録-異聞- 233 - 234
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すると、馬の姿が掻き消えて、代わりにその場にポトリと落ちた、白い小さな
花をつけたヒイラギの小枝が二本。
「式神だったんだ」
目を見開いて感心するヒカルに、雨に濡れながらアキラはただ静かに微笑んでいた。
ヒカルは手を蒼穹にかざした。雨足は衰える様子がない。
容赦なく体を打つ雨は、しかし、熱を持ったヒカルの体にはひんやりと冷たく、
奇妙に優しかった。
「ははは……気持ちいい」
久しぶりに晴れやかに笑う。
「うん」
アキラも、顔が雨に晒されるのもかまわず、天を見上げた。
その賀茂アキラの肩にまだ残る、先ほどのの戦いの痕跡。
蛇に噛みつかれたその傷の血も、雨が洗い流してゆく。
その様子を眺めて、ヒカルが言った。
「おまえも、無茶するよなぁ」
「君の為なら、無茶のひとつもするさ」
「まさかおまえ、俺がお前の家で蛇に襲われたときの事、まだ気に病んでるって
ことはないよな? あれはしょうがな…」
「違う」
「じゃあ―」
「僕が、君を好きだからだよ」
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アキラの口からするりと落ちた、その告白に、ヒカルは驚いて天に
掲げていた手を降ろした。
「言っておくけど、友達とか仲間とかそういう意味じゃないから。佐為殿と
同じ意味で、君が好きなんだ」
雨の中で天を仰いだまま。自嘲するように、アキラは微かに顔をゆがめる。
その頬を、雨水が光りながら次々とすべり落ちていく。
「ずっと秘密にして、死ぬまで誰にも言わないつもりだったのに、なんでかな
……急に君に言いたくなってしまった」
ヒカルは口をつぐんで、アキラの言葉の先を待った。
「だけど、僕がこの気持ちに気付いたとき、君はすでに佐為殿のものだった」
アキラがヒカルを見た。その表情はどこかこの世の者でないみたいに透明で、
ヒカルは、その時アキラを、佐為に負けないくらい綺麗だと思った。
まっすぐな視線を受け止める。夜の湖水のように黒々と深く、静かで美しい
瞳だった。
そういえばアキラが操る式神は、どれも美しい。射干玉の羽根のカササギも、
十二単衣の女も、白い駿馬も。式神や妖しと言ったものが、ヒカルが思う通り、
それを使う人の心から生まれるものならば、まさにあれはアキラの心をそのまま
写した形なのだ。
「佐為の…って……。そんなのまだわかんないじゃん?! お前…本当に俺が
好きだっていうなら、諦める前にもっとなんとかしてみろよ!」
「君がそれを言うのか?」
冷たさを含んだアキラの問い掛けに、言葉を失った。アキラの言う通りだ。
自分は今、アキラを元気付けたくて、心にもない上っ面だけの言葉を並べてしまった。
佐為とアキラ、どちらがより好きかと聞かれたら、そんなの答えは決まっている。
きっと死ぬまでそれは変わらない。アキラだけじゃない、他の誰を並べても。
自分はもう、佐為以外は選べない。
ようやく緩くなった雨足に、アキラは濡れて額にに張り付いた髪を掻き上げた。
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