うたかた 24 - 25


(24)
 ヒカルがもう一度目を覚ましたとき、時計の針は9時を指していた。カーテンの向こうは薄暗く、朝の9時なのか夜の9時なのかよくわからない。
(雨だから暗いだけで、朝だよなぁ…。夜ならもっと真っ暗だもんな。)
 窓に背を向けるように寝返りを打つと、頭痛が治っているのに気が付いた。と、同時に、加賀の後ろ姿が目に入った。
 ジーンズだけ履いて、首にタオルを掛けている。髪から雫がぽたぽたと落ちていた。
「…風呂入ったの?」
 そう言えば、シャワーの音を聞いたような気がする。────よく覚えてないけど。
「目え覚めたのか。お前も体大丈夫なら、シャワー浴びてこい。」
 正面を向いたままビールを煽る加賀に、オヤジみてぇ、と呟くと、加賀は振り向いて口の端を上げた。
「風呂あがりのビールの美味さがわかんねえヒカルくんは、まだまだお子ちゃまだな。」
 見せつけるように缶を傾ける加賀を無視してベッドから起き上がろうとすると、下半身に鋭い痛みが走った。
「……ッ…!!」
 声にならない声を上げてベッドに沈むヒカルに、加賀が驚いて立ち上がる。
「おい、どうした?辛いのか?」
「〜〜〜……腰、と………変な所が痛い…」
「……あ」
 『変な所』がどこか察知した加賀が、少し照れたように口を閉ざした。
「…加賀のせいだかんなっ!」
「………。」
 結局立て続けに3回したせいで、少し眠った今でも疲れが残ったままだ。
「じゃあオレが責任とって、風呂に入れてやろうか?」
「一人で入る!!」
 半ば這うようにして風呂場に向かうヒカルを、危なっかしく思いながら見ていると、ドアの所でヒカルが急に振り返った。
「あ、なあ加賀。」
「なんだ?」
「あのさ…あれ、ほんと?」
「あれって?」
「その…加賀がオレを……す、好きって…」
 俯いて頬を染めるヒカルに、思わず笑みがこぼれる。
「オレがあんな嘘つくと思うか?」
「…ううん。」
「じゃあ本当なんじゃねーの?」
 ヒカルは一瞬瞳を見開いて、すぐにはにかんだような笑顔を見せた。

 ヒカルが脱衣所の扉を閉めて数分経っても、加賀の瞳の奥にはヒカルの笑顔が焼き付いたままだった。
(────花のような笑顔っつーのは、ああいうのを言うんだろうな…。)

 さっきまでヒカルが横たわっていたベッドに身を投げる。

 まだ少し、ぬくもりが残っていた。


(25)
「家まで送る。」
「いいよ、いま小雨だから。」
「腰痛いんだろ。」
「家までそんなに遠くないし、大丈夫だって!」
「熱ぶり返したらどうすんだよ、せっかく平熱になったってのに。」
「加賀の服、でかいから暖かいぜ。」
 雨足が弱まりはじめ、加賀とヒカルは玄関先で10分近く押し問答をしていた。更に口を開こうとする加賀を遮るように、ヒカルが音を立てて傘を開く。
「看病してくれてサンキュな。」
「…おう。」
 道路に出て傘を小さく振るヒカルを見て、心のどこかが疼いた。
「進藤。」
 呼び止めて、抱きしめて、もう一度その体を味わいたい。
「…………また連絡する。」
 けれど、口から出たのはそんな言葉だった。
「うん、待ってる。」
 ヒカルは柔らかく微笑んで、加賀の家をあとにした。加賀は、その小さな後ろ姿がすっかり見えなくなるまで、玄関に立ち続けた。

 ──── 一体いつから、あんな表情をするようになったんだ。
 自分が葉瀬中にいるときのヒカルは、もっと元気で子供っぽくて可愛かった。けれど今は、少し愁いを帯びて、切なげな瞳をするようになって……そしてとても、綺麗になった。
「ヤローのくせに、反則だよなァ…。」
 ヒカルが変わった理由はわからなかったが、ただ一つはっきりわかったのは、ヒカルを変えたのは自分ではない、ということだ。
「────…サイ、か…。」

 暗く厚い雲の奥で、雷が低く響くのが聞こえた。



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