平安幻想異聞録-異聞- 240 - 244
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家族はすでに寝静まっていた。
佐為はヒカルの部屋に敷かれた客用の床について、今まさに
寝入ろうとしていた時だった。
その言葉に佐為は、すぐ隣りで寝ているヒカルを見返した。
ヒカルの瞳は、いつかのように真っすぐこちらを見ている。
「オレ、もう大丈夫だよ」
そうヒカルが笑うのに笑い返して、佐為は緩やかな動作で自分の床を出ると、
並んで敷かれたその褥に潜り込んだ。
「平気だから」
重ねて言うヒカルの、少し潤んだ瞳に吸い寄せられるように、佐為は前より艶を
増したその唇に自分のそれを重ねる。最初は浅く唇を撫でるように。
そして、徐々に深く。
夜着の間から忍び込んで、背中に回された佐為の手の感触に、ヒカルの肌が
ふるりと震えた。
佐為の手の冷たさのせいでもなく、快楽のせいでもなく、それは体に
わずかに残る、情交への恐怖のためだった。
座間邸で刻み込まれた肌を交わらす事への怯えと嫌悪感は、ヒカル本人が
思ってる以上に、その体に深く刻み込まれてしまっている。
ヒカルの肌を背中から腰へ、そして臀部へと愛撫し、手の平を滑らしながら、
佐為はそれを敏感に感じ取ってしまった。
「ヒカル、やっぱり今夜はやめておきましょう」
「え?」
「体の傷は確かに癒えたかもしれません。でも心の傷というのはそんなに簡単に
癒えるものではないのですよ」
「でも…」
「そのかわり、今日は私はこうしてずっと、ヒカルのことを抱きしめて
いましょう」
そう言って、佐為は夜着の下から手を抜き、改めて着衣の上からヒカルの
背に手を回した。
「でもさ…」
「なんです?」
ヒカルが佐為の腕の中から、大きな目で佐為を見上げた。
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「佐為の…勃ってんじゃん…」
そう言いながら、ヒカルの手が夜着の上から、佐為のモノをまさぐる仕草に、
驚いたのは佐為のほうだった。
「ヒカル、やめなさい!」
「だけど佐為、これどうすんの?」
「そんなのは、ヒカルが気にしなくてもいいんです!」
「一人で始末しちゃうんだ。ふぅん…」
その「ふぅん」と言ったヒカルの言葉にイタズラめいた響きが感じられたのは
佐為の気のせいではないはずだ。
「じゃあ、オレがしてやるよ」
言うが早いが、ヒカルは手を佐為の夜着の袷から忍び込ませ、頭をもたげかけて
いた佐為のそれを、直接、手で握りしめた。
「ヒカル、いいです! いりませんってば」
「オレがよくないの! オレが誘ったのに、お前を放りっぱなしって、
なんか責任感じるんだよ」
「そんな責任、感じる必要ありません」
「照れるなよ、オレとお前の仲じゃん」
床の中から逃げ出そうとする佐為を、ヒカルはしっかりと捕まえた。
掴んだ袖を、ずるずると引きずり込むようにして、佐為を床の中に連れ戻す。
「覚悟を決めろよ、男らしくないぞ!」
それから、床のなかに戻ってきた佐為をぎゅうっと抱きしめてその胸に顔を
押し付けるようにして小さくつぶやいた。
「わかるから…佐為がオレの為に我慢してくれてんの、わかるからさ…。
だからオレにも、佐為のためになんかさせてよ」
その言葉に、佐為が動きを止めたのを見計らって、ヒカルはもう一度、
佐為のモノに手を伸ばした。
たどたどしい手つきで、探るように根元から先に扱いてみる。
手の中で脈打つそれがピクリと震えて、少し固さを増した気がした。
安心して、手の動きを続けた。どんどん熱くなっていくのがわかる。
「佐為、動くなよ」
小さく言ってから、ヒカルは佐為の着物の前をはだけると、おもむろに
その下肢に顔をうずめ、唇を寄せた。
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最初はその尖端から。根元まで、その形を確かめるみたいに、ゆっくりと
舌をからめ、裏の筋の場所までしっかりと愛撫する。陰嚢まで丁寧に口に
含むようにしてなめて転がす。
もう一度尖端まで戻ってから、その屹立するものを口の中に銜え込んだ。
舌でその表面を刺激しながら、唇を使い、まるで下の口でするように、
締め付けながらしごく。
その感触に思わず佐為が細い眉を寄せ、少し苦しげな快楽の声を漏らすのを
聞くと、ヒカルはなんだか自分がされてるみたいに心地良く、こそばゆい
ような気持ちになるのだ。
突然、強い力で褥に組み敷かれた。
深く口付けられる。その唇を放して佐為が言った。
「ヒカル、大人をからかった責任はちゃんと取りなさい」
ヒカルは、それでも自分に体重を全部かけないように気を使ってくれて
いる佐為が、嬉しかった。
「だから…、さっきから大丈夫だって、言ってんじゃん」
言って、自分から佐為に唇を合わせる。
本当はまだ佐為の言う通り、少し人と肌を触れ合わすのは怖い。
だけど、佐為となら大丈夫、平気だと思ったのだ。
佐為の薄くてやわらかい唇が、ヒカルの少しふっくらとしたそれに
強く押し付けられる。
舌を絡めていったのはヒカルの方からだった。佐為がそれに答えて、
口付けは、いつのまにか、互いの唾液を奪い合うような、激しいものになった。
佐為の唇が降りてきて、ヒカルの鎖骨のあたりをちくりと噛む。
たったそれだけのことに信じられないくらい感じて、ヒカルは思わず
うわずった声を上げていた。
素直に気持ちがいいと思った。
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ヒカルの着衣を脱がせながら、徐々にあらわになるその素肌に、佐為は次々と
あますところなく口付けの雨を降らせる。
心も体も満たされていく感覚。
座間の元に居た時、あの部屋で、毎夜この世のものとは思えない快楽の海に
突き落とされ、喘ぎ、浅ましくよがり狂った自分をヒカルは否定できない。
――けれどあの場所には、こんな心が一杯になるような、胸がつまるような
幸福感はなかった。
その幸せな感覚を手放したくなくて、ヒカルは佐為の首に手をまわし、
引き寄せて、その首筋に顔を埋めて口付ける。佐為も応えて、そのヒカルの
背中にしっかりと手を回すと、ヒカルのやわらかな髪の中に顔を潜らせ、
唇で愛撫してくれた。
悦楽の中を恍惚と漂いながら、ヒカルは思う。
ヒカルは今では、自分の体が、こうして与えられる快楽にいかに弱いか
知っている。
それはヒカルが抱える闇だった。
出来ればそんな自分は誰にも知られたくない。
でも、佐為になら、知られてもいいと思うのだ。佐為になら、そんな自分が
心の深淵に抱える闇ごと、自分を預けてしまえると思うのだ。
反対に、ヒカルは佐為の持つ心の闇も知っている。
こうしてどんなに情を交わし、自分に愛の言葉を囁いていても、いざ自分と
囲碁とを並べて、どちらかを選べと言われたなら、この碁打ちの人は、きっと
囲碁を選ぶだろう。それは、確信だ。
綺麗で優しくて、誰より残酷な佐為。
でもヒカルは、佐為のそんな闇の部分も承知の上で、この人を好きで仕方が
ない。
そういう佐為だから、こんなにも捕らわれてしまうのだ。
人は誰でも、そうやって心の奥深くに闇を抱えて、それを見つめて生きて行かな
くてはならないのだろう。
ヒカルはふと、アキラの事を思った。
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そして彼の心を映したように、美しく清冽で、どこか寂しげな式神たち。
彼もこんなふうに、心に抱える闇を持っているのだろうか?
(あいつともっと話してみたいな。)
ヒカルは、山奥の湖水のように静かな、あの陰陽師の瞳を思い出した。
「何を考えているのですか? ヒカル」
我に返る。
「なんでもない…」
そうして二人は、今お互いがここにある幸福を噛みしめるための行為に、
再び没頭する。
ヒカルの手も自分を抱く人のしなやかな肌の上をさまよい、お互いの体を
まさぐり、睦みあう。
佐為が、ヒカルの手を持ち上げ、右手の小指を口に含んだ。
「きゃんっ……」
ヒカルの口から、子犬のような悲鳴がもれた。
そこは佐為だけが知っている、ヒカルが一番感じる場所だ。
小指の爪を甘く噛み、そのやわらかい指の腹を思う存分に濡らすと、次は
薬指、中指とその輪郭をたどって舌をゆっくりと這わせる。
「…ぁぁ……」
ヒカルが耐えきれないと言うふうに、首を振った。
その唇は、やがて手から手首へ移り、皮膚の下に透けて見える血管を
なぞるように舌で愛撫すると、腕を徐々にのぼって行き、肩から首筋へと
辿りついて、ゆるやかにヒカルの耳の後ろのあたりを刺激し始めた。
くすぐったさに、ヒカルは肩をすくめ小さく笑いながらも、甘い溜め息をつく。
佐為の唇は、そのままヒカルの首筋の肩近くの所と耳の後ろをゆっくりと何度も
往復しながら、時に軽く歯ではさみ、時に舌でそっと嘗め上げ、ヒカルの体から
完全に力が抜けてしまうまで愛撫し続けた。
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