初めての体験 Asid 25 - 26


(25)
 暫くして、桑原本因坊は中座したことを詫びながら戻ってきた。そして、ボクの膳の上を
チラリと眺め、椀が空になっているのを確認すると、満足そうに頷いた。自分の企てが
図に当たりそうなことに、にわかに機嫌を良くして、お酒もよく進むようだ。ほとんど
手つかずだった料理にも箸をのばし始めた。実に楽しそうだ。
 先生、ボクも楽しみです。早く、それ、飲んでください。
「どうじゃ?旨いか?」
本因坊が、料理に舌鼓を打ちながら、ボクの様子を窺う。
「ええ、とても…特に、椀盛りが絶品で…」
本当は、一口も飲んでいないけどね。
「ほう…?」
本因坊は、面白そうにボクを見て、少し冷えてしまった椀を口元に運んだ。
「……う…む…」
「温かいときは、とてもおいしかったんですよ。」
老人は一口だけ飲んで、椀をおいてしまった。残念だ。もう一口くらいいって欲しかった。
まあ、いいか。一口でも効き目はあるのかな。どれくらいで効いてくるのかな。

 ボクと桑原先生は、笑顔で語り合う。端から見ていれば、実に和やかな光景だろう。
だが、その胸中は推して知るべし……だ。ボクには、老人の考えが手に取るように
わかるが、向こうはボクが何を考えているかわかっているのかな…。


(26)
 小一時間もすると、本因坊の落ち着きがなくなってきた。
「どうかなさいましたか?」
「いや……」
老人は、なんでもないと手を振ったが、肩で息をつき明らかに様子がヘンだった。ボクは、
口の端だけで笑った。俯いている老人には、その笑みは見えなかっただろう。
 苦しげに呻く老人の背後に回って、そっと背中をさする。
「大丈夫ですか?」
「…ああ…」
桑原本因坊は、辛そうに返事をした。手が震えている。
 背中をさすりながら、ボクは続けた。
「料理に何かおかしな物でも入っていたんでしょうか?例えば、椀盛りの中にでも…」
「―――― !!」
本因坊がギョッとして、振り返った。
 その瞬間、ボクは、老人を突き倒して馬乗りになった。本因坊の顔は、驚愕と不安に
彩られていた。ボクは、真上から、その表情を楽しんだ。本因坊と呼ばれるこの老人に
こんな顔をさせたのは、囲碁界広しと雖も、ボクぐらいではないだろうか。
「先生…本当はボク飲んでいないんです…」
「ボクの分は、先生が飲んでしまわれたので…」
ボクは、最高の笑顔を作ったつもりだが、老人は恐怖で口もきけないようだった。



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