落日 25 - 27
(25)
「ふふ…そうですね。」
そうだろう?
「近衛が言うと、本当に出来そうな気がします。」
気がする、じゃなくてさ。ほんとにすれば良いんだよ。
「連れて行ってくれるのですか?」
ああ、連れてってやるとも。
「でも……本当に大丈夫でしょうか?」
大丈夫さ。
「……近衛は……怖くはないのですか?」
何が?こら、俺の剣の腕を疑うのか?あん時よりもずっと腕を上げたんだぜ。
怖いものなんか何もないさ。
「いつの間に、そんなに頼もしく成長したんでしょう。」
当たり前さ。俺だっていつまでも子供じゃないんだから。さ、行こう、佐為。
「ああ、近衛、」
な、なんだよ…佐為……
「大好きですよ、ヒカル。本当に、私はあなたのことが…」
うん……俺も、俺も佐為が大好きだ。
「大好きです。私にとって一番大切な人です。ヒカル。だから……」
佐為?……佐為、…どうしたんだ……?
(26)
「だから、ヒカル……」
それで夢は途切れてしまった。
目を開ける前から自分が泣いている事に気付いていた。
だから、と彼は続けて何を言いたかったのだろう。
夢ならば、ずっと夢見ていたかった。
醒めてしまいたくなかった。
ずっとあのまま夢を見続けていたかった。
それでもやはり夢は夢に過ぎず、目を覚ませば傍らに彼の姿は無く、彼があのように微笑むのを
見ることはもうできない。
彼はもういない。どこにもいない。
目覚めてしまえば現実は容赦なくヒカルに事実を思い知らせ、ヒカルの頬を涙が一筋流れ落ちる。
――佐為。
夢に見た幸せそうな微笑みを思い出そうと目を閉じ、抱きしめた広い胸を思って手を伸ばす。
けれど両の手は虚空を彷徨い、目の裏に浮かんだのは夢の中の優しい笑顔でなく、最期に見た、
白い静かな面。もう決して目を開けることの無い、冷たく冷えた白い面。
それでも彼の口元には僅かに笑みが浮かんでいるように思えた。まるで、ほんのひと時、眠りに
ついているかのようだった。声をかければ目を覚ますのではないかと思われるほどだった。
水は冷たかっただろうに。水の中は苦しかっただろうに。
俺は何もしてやれなかったのに。
なのにどうしてそんな風に笑ってるんだ。
どうして最後に俺に逢いに来たんだ。
守ってやるなどと大きな口を叩きながら何もできなかった。何も知らなかった。
おまえは俺に何を望んでいた?どうして欲しかった?俺はどうしたらよかったんだ?
(27)
佐為を求めて伸ばした腕が、他の誰かに抱きとめられる。
温かい胸。佐為じゃない、温かい身体。最後に抱きしめた佐為の身体は冷たかった。あんまり冷
たくて、抱きしめた俺の身体まで冷えきってしまうほどに冷たくて、だから俺は温もりを求めてこの
胸に抱きついた。佐為じゃないことはわかっていたのに。
その人が何か言っている。指が頬を撫で、涙を吸い取るように温かい唇が目元にそっと触れる。
その腕を、くちづけを、確かに温かいと感じているのに、それなのになぜだか全てがどこか遠くの
世界の事のように思えた。言い募る声は聞こえているのに、言葉の意味が届いてこなかった。
己の身体を抱きしめている力強い腕。温かい胸。優しい声。
それでも、この腕は佐為じゃない。
佐為はもういない。どこにもいない。
あんな冷たくなってしまった佐為なんて知らない。あんなのは佐為じゃない。
佐為じゃないのに、佐為じゃない事はわかってるのに、それなのに俺はどうして。
この腕が佐為でない事など知っていた。知ってて、わかっててそれでも縋りついたのは俺だ。
「ごめんなさい…」
思うよりも先に言葉が零れ落ちた。
「なんで、なんでおまえが謝るんだ…?」
「ごめん…ごめんなさい……」
「……何を…謝ってるんだ?わからない……。」
「おまえが謝らなきゃならないような事は何も無い。だから、もう、泣くな。」
子供をあやすような声が降ってくる。優しく背を撫でる手を感じる。
けれどそれでもヒカルは彼の声に耳を閉ざし、小さく頭を振って、涙を溢すだけだった。
|