クチナハ 〜平安陰陽師賀茂明淫妖物語〜 25 - 28


(25)
「よしっ、わかった!倉田さんを呼んで来りゃいいんだな!」
勢いよく起ちあがった光の袖に、だが明は思わず取りすがってしまった。
「ま、待ってくれ近衛」
「ん、どーした!?」
振り向いた光の瞳は、今にも駆け出していきそうに前向きで力強かった。
その瞳を見て明は、一人で再びこの場に残されるという事態に対して
一瞬弱気になってしまった己を恥じた。
「・・・何でもないさ。ただ、ボクも一緒に行くから少し待っていてくれ。
すぐに支度をする」
光が行ってしまったら、クチナハがまた体内で暴れ出すかもしれない。
またあのような思いをするくらいなら、だるさの残る身体を引き摺ってでも
光について外に行くほうがましだった。

だが、起ちあがろうとした途端喉の奥から細い悲鳴が洩れ、
明はその場に蹲ってしまった。
「はぅっ!・・・くっ・・・」
「賀茂!?どうしたんだよ」
「あぁ・・・」
光が助け起こすと、明はうっすらと頬を桜色に染めて耐えるように目を閉じている。
「んっ・・・んん・・・、あぅ・・・っ、・・・このえ・・・」
「・・・もしかして、そいつがまた中で暴れ出したのか!?」
目の縁に涙を滲ませて、明はこっくりと頷いた。


(26)
日中は夜よりは力が弱るらしいとは云え、クチナハは明が外に出ようとしたり
助けを求めようとしたりするたびに身内から明を責め、動きが取れなくさせる。
今また内部でうねるような運動が始まったのを感じ、明は身震いをした。
――だが、今までに比べるとこの動きは・・・?
体の芯からどうしようもなく甘い疼きが広がっていくのを覚えながらも、
訝しい思いが頭をかすめる。
妖し如きに責められて快楽を感じてしまう浅ましい己の姿など光の目から隠して
しまいたいと思うのに、置いていかれるのが怖くて、知らず知らずの内に明は
光の狩衣を握る手にぎゅっと力を込めていた。

そんな明の様子を見て、光は決意したように云った。
「よし、オレひとっ走り行って乗り物調達してくる!賀茂、そんなんじゃ
歩くの無理だろ。ホントは、外に出るのも辛いかも知れないけど・・・
車ん中でオレがずっと抱いて、手ぇ握っててやるから!それで、いいよな?」
乱れた息の下から薄く目を開いて明は光を見た。
いつも底抜けに明るい光が、ひどく真剣な男の顔をして己を見守っている。
そのことが可笑しくて、嬉しくて、泣き出したいような気持ちになった。
それと同時に、己のために奔走してくれる光の足手まといには決してなるまいと思った。
光の衣を握り締めていた手をそっと離して明は云った。
「気を遣わせてすまない、近衛。・・・でも、ボクはやっぱりここに残ることにするよ」
「なんで?遠慮してんのか?」
「いや・・・それもあるけど、いつもに比べると今日はどうも・・・動き、が大人しい
ような気がするんだ。これくらいなら一人で待っていられると、思う」
今までならこういう状況では、クチナハが分泌する疼きを生む淫液に
内部をジクジクと灼かれ、その上で更にクチナハに激しく動かれて、
明はなす術もなくのたうち悶えるより他に手がなかった。
それがどういうわけか、今日に限ってクチナハの動きが妙に緩慢だ。
奥の一点を突く動きも今までのような荒々しい勢いがないし、分泌される淫液も
普段より量が少ない気がする。
――弱っている、ような印象を明は後門で感じ取った。


(27)
「へ、そいつ今弱ってんの?どういうことだ?」
「わからない。特別なことは何もしていないはずだが・・・」
「特別なこと・・・?あっ」
光は急いで懐から一枚の紙片を取り出した。
「何だい?それは」
「護符なんだってさ。オマエの見舞いに渡してくれって、あかりから貰ったんだ。
さる親王様・・・一の宮様とか云う方がくれたんだって、云われたけど」
「一の宮?」
「知ってるのか?」
「帝に腹違いの兄宮が御ひと方おいでになるという話は聞いたことがあるが、
どのような方かまでは・・・近衛、ちょっとそれを見せてくれないか」

それは、明が見たことのない図柄だった。
一本の太い線が中心に向かって渦を巻く様子は、奇しくも蛇――クチナハを連想させる。
その護符を明が光から受け取る瞬間体内のクチナハが苦しむように大きく一つくねり、
次いでもともと緩慢だった動きが更に弱くなった。
――これだ。
明はにやりと赤い唇の端に微笑みをのぼらせた。
我が身が苛まれているさなかだと云うのに、妖しを追いつめられるかも知れぬ手立てが
見つかって心に攻撃的な歓びを覚えるのは、陰陽師としての血の成せる業だろうか。
妖しいまでに艶かしく美しいその表情に、己を抱きかかえる光が一瞬目を丸くし
ぞくりと身を震わせたことにも明は気づかない。


(28)
「あかりの君にはよくお礼を云っておいてくれ。この護符が効く妖しだということを
手がかりに、対処法が見つかるかもしれない。近衛、そこの筆と料紙を取ってくれ」
「あ、ああ」
さらさらと筆を走らせて護符の形状と図柄を写し取ると、明はそれを光に渡した。
「これを倉田さんの所に持って行って、事情を伝えて欲しい」
「わかった。任しとけ!」
渡された紙を大事に折り畳んで懐にしまい込み、光は改めて胸を叩いてみせた。
「じゃ、行ってくる!」
「すまないね。頼んだよ、近衛」
「あ、ちょっと待った」
いったん階を下りていきかけた光が、小走り気味に舞い戻ってきた。
「?」
「ちょっとだけな」
云うなり光は明を抱きしめその柔らかな唇を吸った。
面食らう明からぱっと顔を離し、背を向けて立つ。
「近衛・・・」
「・・・最近はオレとだって全然してないのに、妖しなんかにやられやがって。
オマエの中のそいつ、追い出したら、オレ思いっきりオマエのこと抱くからなっ!
覚悟しとけよ!?賀茂!」
答える暇も与えずにそれだけ云うと、光は照れ臭そうに振り返りもしないで
階から飛び下りて行ってしまった。

「・・・・・・」
自然と唇に指を遣る。
まったく光はいつも強引で素直で予想を超えていて、それでいてそんな光の
なすがままに扱われるのが、己は決して嫌いではないのだ。
緑がかった丸っこい小鳥が、チッ、チッ、と鳴きながら室内へ跳ねてくる。
「・・・ボクを、心配してくれたんだね」
懐かしい小さな友達を両手に掬い上げ、頬を寄せる。
あの頃は知らなかった温かな想いに満たされて、明はどちらに云うともなく
――ありがとう、と囁いた。



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