日記 256 - 260


(256)
 玄関を開けて驚いた。
「おいおい。それをどうするんだ?」
アキラが手に持っているススキを指して、訊いた。
「お月見するんだよ。」
アキラの代わりに答えたヒカルもなにやら紙袋を持っている。 これ団子と、彼がそれを
緒方の目の前にかざした。
「家には三方なんてないぞ?」
「“サンボウ”ってナニ?」
キョトンと首を傾げる。その幼い仕草に、緒方は溜息を吐いた。
「普通の皿でいいな…花瓶は適当なものがあったと思う…」

「じゃあ、これ、生けてきますね」
緒方から花瓶を借りて、アキラはススキを手に洗面所の方へ消えた。
「オレは、お団子飾ろっと…」
ヒカルが紙袋から重箱を取りだし、蓋を開けた。それを見て、緒方は「ほう」と、感嘆の声を
上げた。
「綺麗じゃないか…」
てっきり出来合のものを買ってきたとばかり思っていたが、どうやら手作りらしい。ウサギを模したもの、
こしあんでくるんだもの、ヨモギを練り込んだものが綺麗に詰められていた。
「美味しそうだ…」
緒方の言葉に、ヒカルは満面の笑みを浮かべた。

 その笑顔に誘われるように、ヒカルの頬に触れた。滑らかな頬の感触も愛らしい笑顔も
以前のままだった。
 ヒカルは緒方の手を振り払おうともせずに、じっとしている。心持ち首を傾け、緒方の様子を
窺っている。


(257)
 頬を撫でていた指先で、ほんの少し柔らかい肉を摘んだ。力は入れない。ぷにぷにとした
その感触を暫し楽しんだ。
「も〜やめてよ…先生!怒るよ?」
そう言いながらも、ヒカルは抵抗しない。口調から、本気で言っているわけではないことは
すぐにわかる。
「いいじゃないか………………少し元に戻ったな…」
「………うん…」
ヒカルは、頬を弄っている緒方の手に自分の手を添えて
「…………塔矢と…先生のおかげ…かな?」
と、はにかんだ笑顔を緒方に向けた。
「あの時はごめんなさい…それから…ありがとう…」
緒方は、ヒカルの頭をくしゃっと撫でた。
「さ…テーブルの上を片づけて、ススキの場所を作ろうか?」
「うん!」
その時、花瓶に生けたススキを抱えて、アキラが戻ってきた。

 重箱に一杯詰められた団子と、その隣にススキを飾るとそれらしくなった。
「おー雰囲気でてる!」
ヒカルが手を打ってはしゃいだ。
「先生、ベランダあけてもいい?」
「まだ、早すぎるぞ?」
「わかってる。」
パタパタと走るヒカルの姿を目を細めて見ていると、横に立っていたアキラも同じように
彼を見つめていた。


(258)
 「なんでオレだけお茶なんだよ?」
「キミ、弱いんだろ?聞いたよ。」
アキラにそう言われて、ヒカルは緒方を睨んだ。緒方は知らん顔で、ぐいのみを傾けている。
「キミは月見団子、ボクらは月見酒。いい塩梅だろ?」
ムッとしたが言い返せない。酒に強くないのは本当のことだ。そして、飲んだ後、少々言動が
怪しくなるのも本当だ。
 「チェッ」と舌打ちして、ヒカルは月見団子を口に放り込んだ。
「情緒のない食べ方だな…お母さんが泣くぞ…」
せっかく可愛いウサギなのに、ヒカルにはまったく興味ないらしい。
「うるさいな。二人は酒だけ飲んでりゃいいじゃん!」
「拗ねるなよ。ホラ、一口飲んでみる?」
アキラが差し出してくれたぐいのみをちらりと見て、それから緒方の方を見た。何も言われないので、
それを手にとってペロリと舐めてみた。
「あ…甘い…」
ヒカルはついぐいぐいと全部飲んでしまった。「もっと」と差し出したぐいのみを取り上げられる。
「ダメだよ。口当たりがいいからって調子にのっちゃあ。キミはこれで終わり。」
「けち!」
 ヒカルとアキラの応酬を緒方が、笑ってみていた。


(259)
 久しぶり緒方に会い、アキラは少々饒舌になっていた。塔矢門下の研究会も父が留守がちの
今となっては、事実上休会である。しかも互いに忙しく、無理にでも会う時間を作らなければ、
なかなか会えないのだ。

 一時、冷戦状態だったとは思えないほど、二人とも何のしこりもなく和やかに会話を楽しんでいた。
アキラにとって緒方は良い兄であり、緒方にとってもアキラは可愛い弟だった。
 ふと気が付くと、妙にヒカルが大人しい。いつもなら、無理矢理にでも会話に入ってくるのに、
何のアクションも起こさない。
「あっコラ…進藤…!」
緒方の呆れた声に、慌ててそちらの方を見ると、ヒカルは完全に酔いつぶれて床の上にのびていた。
「おい…起きろ…風邪ひくぞ。」
「やぁ…眠い…」
緒方の手を振り払うその動作に、ドキリとした。緒方の手も一瞬止まってしまった。
 上気した肌。「暑い」とはだけた胸元まで、薄桃色に染まっていて目のやり場に困った。
愛らしい唇から時折漏れる息は、熱く甘いに違いない。ヒカルは二人を信用しきって、無防備な姿をさらしている。
 緒方が溜息を吐きながら、ヒカルにタオルケットを掛けた。


(260)
 「ま…何にしてもコイツが元気になってよかったな…」
「ええ…でも…」
と、アキラは口籠もった。緒方が眉を上げて、アキラを見た。無言の催促に、アキラは仕方なしに
先を続けた。
「………さっき、進藤がお酒を舐めたのを見たとき、ドキッとして………」
「……………」
「それから、今も………」
今も胸が早鐘を打っている。下手に口を開けば、そこから心臓の音が聞こえてきそうだ。
それを隠すように、アキラは口を押さえた。
 緒方が肩をすくめる。今さら言っても仕方がないことだ。それはその通りだが、わかっていても
辛い。他人の目に自分がどんな風に映っているのか、ヒカルは漠然としか理解していない。
「君がきちんと見ていてやるんだな……」
「四六時中一緒にいられるわけじゃ…」
そこまで言いかけて、口を噤んだ。緒方に愚痴を言っても仕方がないのだ。
「進藤も、もう、気安く誰にでも付いていかないだろ?多少は自覚しただろうし…」
 アキラは大きく息を吐いた。自分は緒方のように達観できない。緒方がたばこをくわえて、
火を点ける。長い指にそれを挟んで、ふーっと煙を吐いた。その綺麗な指先へと続く、骨張った
大きな手の甲に見とれた。



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