初めての体験 Asid 26
(26)
小一時間もすると、本因坊の落ち着きがなくなってきた。
「どうかなさいましたか?」
「いや……」
老人は、なんでもないと手を振ったが、肩で息をつき明らかに様子がヘンだった。ボクは、
口の端だけで笑った。俯いている老人には、その笑みは見えなかっただろう。
苦しげに呻く老人の背後に回って、そっと背中をさする。
「大丈夫ですか?」
「…ああ…」
桑原本因坊は、辛そうに返事をした。手が震えている。
背中をさすりながら、ボクは続けた。
「料理に何かおかしな物でも入っていたんでしょうか?例えば、椀盛りの中にでも…」
「―――― !!」
本因坊がギョッとして、振り返った。
その瞬間、ボクは、老人を突き倒して馬乗りになった。本因坊の顔は、驚愕と不安に
彩られていた。ボクは、真上から、その表情を楽しんだ。本因坊と呼ばれるこの老人に
こんな顔をさせたのは、囲碁界広しと雖も、ボクぐらいではないだろうか。
「先生…本当はボク飲んでいないんです…」
「ボクの分は、先生が飲んでしまわれたので…」
ボクは、最高の笑顔を作ったつもりだが、老人は恐怖で口もきけないようだった。
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