うたかた 26 - 27
(26)
(雨がひどくならないうちに、早く帰らなきゃな。)
水たまりを避けながら、家路を急ぐ。靴の中まで水が染みて気持ち悪かった。
────加賀は自分のことを、好きだと言った。
(いつからなんだろう…。全然知らなかった…。)
自分が鈍いということは心得ていたつもりだ。でも自分が加賀を、あんなに辛そうな表情をする所まで思い詰めていることにも、全く気が付かなかった。
「オレきっと、無神経な言葉とか言っちゃってたんだろーな…。」
────好き、かぁ。
ひょっとして、オレも佐為のこと『好き』だったのかなあ。家族に向ける『好き』じゃなくて。
熱を出したとき、瞳を開ければいつもそこに佐為が居てくれた。
病気で心細くなっているときに、佐為の存在は何より安心できた。
佐為が居なくなってからは、揺らめく意識の中で見えるのは、暗い部屋の壁だけだ。
夜中に目を覚ましたときの失望を、ヒカルは知っている。それ故ヒカルは朝まで目を開けない。開けることが出来ない。知っているのに、それでも少し期待して目を開ければ、やっぱり失望してしまうのがわかっているから。
────だから今日の朝、加賀の背中が見えたとき、少しほっとしたんだ。
「独りで寝るのが怖いなんて…ガキみてぇ。」
弱い自分を笑ってやろうとしたのに、にこりとも出来なかった。
ズボンの裾が濡れて冷たい。
家までの道のりが、ひどく長く思えた。
(27)
後ろから車が走ってくる音がした。
車道と歩道が分かれていない狭い道だったので、泥水を跳ねられないよう脇による。
するとその車は、ヒカルを追い越した所で静かに停止した。小さな電動音がして窓が下がる。
「進藤?」
「え……」
がちゃり、とドアが開く。
「傘さしてるのに濡れてるじゃないか、早く乗れ。」
「冴木さん…なんでこんなとこに…」
「いいから早く。」
有無を言わさず助手席に押し込まれた。
「車のシートが濡れちゃうよ…」
「そんなこと気にしなくていいから。ほら、そこのタオルで体拭いて。」
助手席のドアを閉め、冴木も運転席に乗り込む。
「今から進藤の家に行こうと思ってたんだ。」
「オレの?なんで?」
腕を拭く手を止めて、ヒカルは冴木の横顔を見上げた。運転をするときだけかける、フレームのない華奢な眼鏡は、冴木を別人のように見せている。
「昨日の研究会で、元気なかっただろう。」
「あ…」
「てっきり家で大人しく横になってるんだと思ってたから、これ持ってお見舞いに行くつもりだったのにな。」
冴木が瞳で促した方を見ると、立派なメロンがあった。
「本当に心配したのに、当の進藤は朝帰りかー。」
からかうように言った冴木の言葉に、加賀との行為がフラッシュバックした。自分の顔が、耳まで赤くなっていくのがわかる。
「ち、違うよ。オレ本当に熱あったんだもん…。」
ろくな言い訳も出来ないヒカルに、わかったわかったと笑って、冴木はヒカルの頭を撫でた。
「朝の8時頃電話したんだけど、寝てたか?」
「えっ…」
一瞬考えて、ハッとする。確かにケータイが鳴ったのを聞いた。夢かと思って、着信履歴も見ていなかった。
「あれ、冴木さんだったんだ…。」
(そう言えば冴木さん、プロになって初めての大手合いのときも色々心配してくれたっけ…。)
随分世話になってるんだな、と改めて思った。
「冴木さん。」
「なに?」
「オレ、冴木さんみたいなお兄ちゃんが欲しかったよ。」
いきなり脈絡のないことを言われてきょとんとした後、冴木は、さてはメロンに釣られておだてる気になったな、とヒカルの頭をまた撫でた。
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