偽り 26 - 30
(26)
「アキラ君は、まだお前が好きらしい・・・」
緒方はミラーに写るヒカルの横顔を、時折見ながら話しかけた。
緒方は、愛車であるスポーツカーRX−7ではなく、ごく一般の
普通車を走らせていた。
偶然なのか否や、今日車検に出していて代車を借りていたらしい。
あの車で来ていたら病人を乗せる事は出来ないよと、断る腹づもりでいた
ヒカルは連れられてきた駐車場で、自分の読みがはずれた事を知り
少々閉口した。
ヒカルは虚ろに景色を見ていたが、緒方のその言葉に反応して振り向いた。
「だが、自分では自覚していないらしいがな」緒方は、クックククと笑い、
信号を待ちで車を止めたとき、煙草を取り出し一服した。
「進藤・・・お前はまだアキラくんが好きか?」
緒方はニヤニヤと笑いながら質問をしたが、ヒカルは答えない。
信号が青になり前の車が動き出した。
沈黙が走るが、やがて「ライバルや友達としてね」
ぼそっとヒカルは答える。
緒方は突っ込まなかった。だが、つぶやくように云った。
「アキラくんは失恋か・・・」
ふっと笑い、目的地である海王中の正門へ横着けした。
「ここで待ってやるから、行って来い」緒方はヒカルを促した。
「はい、有り難うございます」
ヒカルは助席から下りると駆け足で、正門をくぐり走っていった。
その様子を緒方は煙草をふかしながら、見つめていた。
「あんなに慌てて、本当に父親なんだな・・・」
自分には、子供はいない。それにガキは面倒だ。
結婚して子を成すことが、自分には無縁のことに思えた。
緒方は車から降りると、かつての母校の校舎を見、それから
空を見上げゆっくりと煙を吐き出した。
(27)
棋院近くの喫茶店では、先ほどの衝撃近い出来事のせいで上の空のアキラと
やたらテンションの高い芦原が、残されたままだった。
その芦原もアキラの纏う陰湿な空気に触れ、先ほどから黙りこくっている。
芦原は、アキラの尋常でない様子にさすがに心配になった。
でも、それが緒方とヒカルの先ほどまでの会話と、自分の発した言葉の
せいだとは思わなかった。
「アキラ・・・もう出ようか?」恐る恐る訊く芦原の言葉に反応した
アキラは、こくりと頷いた。
「よし、出よう」芦原は席を立ち、つづいてアキラも席を立つ。
アキラ達は喫茶店を出るとタイミング良く空車のタクシーを見つけ、
乗り込んだ。
車中でも沈黙は続く・・・。芦原はなんとかアキラの気を引こうと
あれこれ話しかけるのだが、アキラは依然黙ったままだった。
芦原は、ため息を一つ、つくと窓の方に目を向けた。
窓から見える夕焼けがやけに眩しい。
自分は、アキラの友達だと思っていた。今でも思っている。
彼が悩んでいるのなら助けてあげたい・・・。
でも、彼はこういう時だからこそ、自分には頼ってはくれない。
頼りになれないという理由ではなく、親しい相手だからこそ
心配かけたくないのだと彼は云うのだ。
そもそも昔から人に弱みを見せるような奴ではなかったが・・・。
ただし例外は、ひとりだけいた。
緒方さん・・・・!
彼は落ち込むとき、決まって緒方さんを頼っていたことは知っていた。
子供の頃のアキラは、緒方さんより自分に懐いていてくれていたのに、
いつからだろう・・・。
アキラにとって緒方さんが、唯一頼れる人になったのは。
ちょっとさびしいな・・・芦原は、アキラの方を見て哀しく微笑むと
夕暮れの景色に視線を移した。
(28)
アキラは、芦原を気にしつつ一旦落ちてしまった疑惑の闇から
抜け出せないでいた。グルグル思考が思わぬ所へ云ってしまう。
光の中へ自分から去っていく進藤ヒカルと緒方精二。
追いかけようにも、闇が脚をとらえ一歩も動かない。
やがて眩しい光に包まれたアキラに何かがフラッシュバックした。
「あ・あああ・・!!」その声に驚き、芦原はアキラの方を振り向いた。
アキラの顔は蒼白だった。まるで見てはいけない何かを見たような ・・
凝固した表情。「どうしたんだ!アキラ!!!」
呼びかけて揺さぶるが、反応がない。
やがてアキラは人形のように力をなくすと意識を手放した。
(29)
20分経った頃だろうか・・ しばらくすると、少女をおぶさって
進藤が帰ってきた。
オレは、黙ってその子を受け取ると、後ろの後部座席を少し倒し
常備してあるタオルケットを出してくるませた。
熱のためか、ほっぺは熱くうっすら額に汗をかき前髪が張り付いていた。
それをハンカチで拭いてやる。
眠っているのか起きているのか分からないが、日頃から見ている愛らしい
大きな瞳は閉じたままだった。熱に浮かされた表情を見て額に手を伸ばす。
おでこに手をやると相当、熱が高いようだった。オレは目尻にキスを
落とすと座席から下りた。その様をずっと見届けていた進藤と目が合う。
彼に不似合いなきつめの目とぶつかったが、オレはそれがむしろ心地良く
感じた。進藤に乗るように促すと、後ろの病人に負担をかけないように、
帰りの運転をかなりの安全速度で走らせた。
(30)
高級住宅が並ぶ道を走り、やがて目的地である一角の大きな門の前で
止まった。
進藤は車から降り、持ってきていた専用のリモコンで操作し門を開ける。
オレは透かさず、車を中に入れると後部座席にいる少女を抱きかかえた。
進藤が独立して建てた家は、かなり大きい屋敷と言える代物だった。
タイトル3冠の彼は、相当の高額所得者だ。
未来のトップ棋士という事で賞金を元手に二十歳そこそこの若い身空で、
銀行からローンという形をとって、この屋敷を買ったと訊いたその当時は
呆れたが、(貸す銀行もどうかと思うが)彼の活躍は凄まじくとうに
払い終えていた。
進藤の両親は一緒に住んでは居らず、広い屋敷に女房であるあかりと
二人の子供の4人暮らしだった。
所詮、普通の家庭で育った進藤は使用人を住まわすという事をせず、
皆あかりが掃除やら身の回りの世話を一手に引き受けていた。
だが、何が原因か詳しい理由は分からんが、女房のあかりは一週間前から
実家に帰っているらしいので、進藤がいないときは当然子供だけになる。
あかりの方は、どうも子供を連れていきたかったらしいが子供が頑固までに
拒否したらしい。どうも子供の方が気を使って、母親より父親の方が
気がかりと見えて残ったのだろう。ま、当然だが。
進藤は人気棋士の為、よく地方のイベントに駆り出されたりする。
忙しい身であるので、子供だけこの家に置いていく訳にもいかず4日前の
地方イベントの前の日、知り合いに預かってもらうよう頼んだのだ。
実家の両親には、とても頼めなかったらしい。事情をすぐ知ったオレは
すぐ様、名乗りをあげたが・・・。
緒方は、目元をゆるめ腕の中の少女を見た。
”15年、オレは進藤の家庭に踏み込んでいるのか”
腕に感じる重みに年月を感じながら、緒方は感慨に更けっていた。
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