平安幻想異聞録-異聞- 26 - 30
(26)
夢の余韻が、ヒカルにそんなことを口に出させた。
「オレってはたから見ると、その、おまえの稚児みたいに見えるのかなぁ」
「誰がそのようなことを。そのような口さがない噂話など
無視しておやりなさい」
「おまえもさ、オレにそういうことしたいって思ったことあるの?」
そういって、佐為を見上げたヒカルの瞳は揺らいで今にも泣きそうだった。
だから、佐為は必要以上に声を張り上げてしまったのだ。
「そんなわけないでしょう!」
「佐為」
「ヒカルは私の警護役。検非違使の仕事だってちゃんと勤めあげているではないですか!
一人前の武士に対するのと同様の敬意を払いこそすれ、そのように稚児のごとく
扱うなど、できるわけありません!」
ヒカルは佐為の剣幕に目を見開いた。
「……うん、わかった」
そう言ってヒカルは、少し笑ったが、その瞳の不安げな色が少しも薄れていないのが
佐為には気掛かりだった。
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それから、3日。ヒカルもまだ出仕する事はできないまでも、起きて
動き回れるようにはなったので、
佐為は昼間は町の碁会所の方へ顔を出すようになっていた。
自宅にも寄り、しばらくヒカルに掛かり切りで帰ることもままならなかった
日数分、あちこちに溜まっていたホコリを掃き出す。
碁会所の方には、ヒカルの具合を気にして加賀や筒井、三谷と言った
ヒカルの検非違使仲間が顔を出し、佐為にヒカルの容体を聞いていく。
どうせなら直接近衛の家に行けばいいのに、それは照れがあるらしく
「やっぱり、病人の家をさわがせちゃ、迷惑だから」とかなんとか
言いわけするのが可笑しい。
囲碁関係の書物の置かれた棚を軽くから拭きしながら、佐為は
ヒカルの事を思った。
あれから、毎日、どういうわけか、ヒカルは佐為の顔を見て訪ねてくるのだ。
『おまえもさ、オレにそういうことしたいって思ったことあるの?』
佐為はその度に「そんなわけがないでしょう?」と答えるのだが、
ヒカルの瞳に宿る不安の色が消えることはなかった。
(見透かされているのかもしれませんね)
ヒカルはそういう子だった。外見の幼さに騙されて侮ると、
ふとした拍子に足元を掬われることがある。何も知らないような顔をしながら、
どういうわけか、いつも真実のすぐ近くに立っている子だった。
――だから、あの子には、自分が嘘を言っているのが、ばれてしまっているの
かもしれない。
佐為が嘘を言っているのがわかるから、ヒカルの瞳から不安の色が消えないのだ。
思えば出会った頃から、心地のよい嘘よりも、痛くても真実の方を選ぶ子
だった気がする。
そう、私は嘘をついていたのだ。ヒカルに。
だが、ヒカルを傷つけることがわかっている真実をどう伝えよというのだろう。
ヒカルの傍に立ちながら、少年の柔らかさを残す彼の体の輪郭を想い、
そのまろやかな肌に触れ、唇を寄せたいと思ったことが、
一度や二度の事ではないのだと言うことを。
(28)
その日の夕方、佐為はひとつの決意をして近衛の家に赴いた。
(もし、これでヒカルが私に対して嫌悪を抱くようなならば、
もう私はヒカルに会うことをやめねば。ヒカルをこれ以上傷つけないために。
ヒカルとて、自分にそのような劣情を抱くものが近くにいて嬉しいわけがない)
佐為は近衛の家の門を叩いた。
ちょうど夕餉が終わった頃らしく、賄いでは食器を片づける音がする。
ヒカルは、床の上で上半身を起こして、めずらしく詰碁の勉強などしていた。
「どうしたんです?めずらしいですね。ヒカルが碁の勉強なんて」
ヒカルは佐為に笑い返した。佐為は床のそばに静かに腰を下ろす。
「今日、昼間、賀茂のやつが見舞いに来てさー、手持無沙汰だったから
一局打ったんだよ。したら、大負け!くやしくってさー。なぁ、佐為。
今度特訓してくれよ。」
「いいですけど、いつもヒカルは一時もじっとしていられなくて、
外へ行ってしまうじゃないですか」
「今度はちゃんとする!ちゃんとするからさ!……あ、そうそう、
これ、賀茂が」
ヒカルは枕の下から、1枚の護符を取りだした。
「なんか、呪の匂いがするから貼っとけって」
「アキラ殿は、この前もそんな事を言っていましたが…。そうですか。
用心にこしたことはないですからね」
佐為は立ち上がって、ぐるりと部屋を見渡すと、入り口のところの柱に、
その札を礼法にのっとって貼り付けた。
「これでいいでしょう」
貼り終わると佐為は再びヒカルの側にもどった。
すっかり日もくれたのか、明かり取りの窓からは光りの一筋も見えず、
冷たい夜風だけが吹き込んで知る。
「窓をしめましょうか」
佐為が問いかけると、ヒカルは布団に横たわって、まっすぐに佐為を見上げていた。
(あ、来るな)
と、なんとはなしに思った。
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「座間様や菅原様が、そういう趣味あるのは噂で知ってたけどさ…貴族様の
雅な趣味ってヤツ?わかんないよなぁ。佐為も一応貴族だろ?
・・・そういうの経験ある?」
「お稚児好みというやつですか……そうですね。ありますよ」
穏やかに言いきった佐為を、ヒカルは興味深げにじっとみつめた。
「あるんだ?」
「えぇ。私は、貴族の寵愛を受けた女がどうなるか、捨てられた女が
どうなるか、母を見て、身を持って知っていますから。本妻でもない女性と
そういう関係を持つのに嫌悪感があるのです。ですから」
「その代わりに?」
「そうですね」
「おまえもさ、オレにそういうことしたいって思ったことあるの?」
ひとつ呼吸をおいて、佐為は答えた。
「ありますよ」
ヒカルのかたがピクリと震えて、大きな瞳で驚いたように佐為を見返した。
「ヒカルの着物をはだけて、その肌を抱きしめたいと、唇を重ねて、
ヒカルの全てを自分のものにしてしまいたいと思ったことが、ありますよ」
――嫌われてしまっただろうか?傷つけてしまっただろうか?
「そう、なんだ…」
だが、次のヒカルの言葉は、今度は佐為の瞳を大きく見開かせた。
「じゃあさ、オレとしてよ」
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「佐為がしたいようにしてみてよ」
「ヒカル、何言ってるかわかってるんですか?」
「わかってるさ。佐為と寝るってことだろ」
「ヒカル!」
ヒカルは体を起こし、そのまま佐為の腕をひきよせて、その胸に顔をうずめた。
「佐為となら、そうなってみたい」
佐為はだまってヒカルの背中に手を回した。
しばらく躊躇したように黙っていた佐為が、口を開く。
「ヒカル、ひとつだけ言っておきますが、こういうことをしても
私はあなたのことを稚児のように思っている訳ではありませんよ。
ちゃんとあなたのことは、一人の武人として尊敬しているし…」
「もう!わかってるって!」
ヒカルは笑いだした。
「やっと、笑いましたね、ヒカル」
「そう?ずっと笑ってたよオレ」
「笑う真似してただけでしょう?」
「あ、ばれてた?」
「あたりまえです」
「佐為には隠し事ができないよなぁ。だから」
「だから?」
「大好き」
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