光彩 26 - 30


(26)
「早かったな。」
アキラは返事をせず、緒方とも目をあわせようとしなかった。
いすを勧められたが、座る気はなかった。
はっきり言って、この家には二度と足を踏み入れたくなかったのだ。
だが、ヒカルのことで話があると言われたら、来ないわけにはいかなかった。

アキラは、素っ気なく何の用か尋ねた。
緒方が冷蔵庫からビールの缶を二つ取り出した。
一つを自分に差し出したが、アキラは無視した。
緒方は肩をすくめ、テーブルの上にそれを置いた。
緒方が缶ビールのプルを押し上げた。小気味のよい音が響く。

緒方は薄ら笑いを浮かべて言った。ビールの泡がはじける音がする。
「進藤泣いてたぜ。塔矢があってくれないって。」
アキラは緒方を睨み付けた。
目が怒りに燃えている。
いったい誰のせいだと思っているのか?と言いたげに・・・。
緒方一人の責任ではなかったが、それを改めて認めるのはつらい。
「どうしてあってやらないんだ?可哀想じゃないか。」
ちっとも哀れんでいないような口調に腹が立つ。
アキラは唇をかみしめた。イライラする。
「あんまり可哀想なんでつい慰めたくなってしまったよ・・・」
「抱きしめて、キスをして。それから・・・。」
そこまで聞いて頭に血が上った。
アキラは緒方に殴りかかった。


(27)
片手で簡単にあしらわれる。
腕を捻りあげられた。アキラが痛みに顔をしかめる。
緒方はビールの缶を床に投げ捨て、そのままアキラを抱き込んだ。
暴れるアキラを力で制し、無理矢理、唇を塞いだ。
「進藤に言わないのか?俺たちの関係を」
「言えるわけないでしょう!こんなこと!!」
アキラは叫んだ。悔しい。力では敵わない。
アキラの目に涙がにじんだ。
「そんなに進藤が大事なのか・・・。」
緒方の静かな声が耳の中に落ちてきた。
緒方はアキラの唇を再び塞いできた。
体を動かそうとしたが一ミリも動かせない。

その時、隣の寝室の方から物音がした。
まさか・・・まさか・・・!
目だけを移動させる。
ヒカルが・・・いた。

緒方がようやくアキラを離した。
!!最悪だ・・・。
地面が崩れていくような気がした。
緒方さんに、はめられた・・・!
怒りが爆発した。


(28)
緒方になだめられている間に、どうやら眠ってしまったらしい。
ヒカルが目を覚ましたのは、見知らぬ部屋の中だった。
緒方の家だと気づいたのは、しばらくしてからだ。
サイドボードの時計を見る。
辛うじてまだ、今日は昨日にはなってはいなかった。

枕元に氷嚢が落ちていた。
先生が瞼を冷やしてくれていたのだろうか?
いくら何でも甘えすぎだ。
お礼を言って帰ろう。

ぼんやりした頭のままベッドを抜け出すと、
ドアの向こうから話し声が聞こえた。
怒鳴りあうような声に、ヒカルは恐る恐るドアの隙間から覗いた。


頭の中が真っ白になった。
塔矢と緒方先生が・・・?信じられなかった。
声が出ない。足がすくむ。
体から力が抜け、ドアに寄りかかった。

アキラと目が合った。
アキラはヒカル以上に悲愴な顔をしていた。
ヒカルには知られたくないと叫んでいたのに。
絶望の色が瞳に宿っている。
顔が真っ白だ。唇がふるえていた。
いや、唇だけではない。
全身がふるえている。


アキラが緒方の方に向き直った。
憎しみと怒りに燃えた瞳を緒方にぶつけている。
心の底から緒方を憎んでいるような目だ。

渾身の力を込めて、緒方を殴った。

緒方はよけなかった。
眼鏡が床に落ちた。フレームが歪んでいた。

アキラはそのままヒカルを見ようともせずに出ていった。

確かに、ヒカルはアキラに裏切られたような気がした。
が、その思いは一瞬で消えた。
それよりも、傷ついたアキラが可哀想だった。
抱きしめて慰めてあげたい。
アキラを追いかけようとした。
それなのに、足が動かなかった。

緒方のことが気にかかった。

時計の音がやけに耳触りだった。


(29)
緒方はいすに倒れ込むように座った。
目頭を手で押さえるようにして俯いた。
殴られた頬は痛くなかった。
別の痛みの方がずっと大きかった。

アキラは、火花が散るような凄烈な瞳で緒方を睨んできた。
その姿を緒方は美しいと思った。
視線だけで緒方を射殺しそうだった。
炎のようなアキラの姿が目に焼き付いた。

時計の音が響く。
どれくらい時間がたったのか。

ようやくヒカルが口を開いた。
「先生・・・。どうして?」
ヒカルがゆっくりと緒方に近づいてきた。


(30)
ヒカルは再度問いかけた。
「・・・どうして塔矢をわざと傷つけるようなまねをしたの?」
緒方は答えなかった。

黙り込んだままの緒方を静かに見つめる。
ヒカルは責めているわけではなかった。
ただ、ただ、不思議だった。
・・・塔矢を責める姿は・・・。自分の知る緒方とは別人のようだった。

アキラを傷つけた緒方は、それ以上に傷ついているように見えた。
体中に見えない傷が無数につき、そこから血が噴き出しているようだ。
涙こそ出ていないが、泣いているようにも見える。

はっと、ヒカルは唐突に気づいた。先生はもしかして・・・。

自分は本当に馬鹿だと思った。
大人なら、簡単に悩みを解決できると思っていた・・・。
よけいなプライドやしがらみがある分、大人の方がずっと複雑だ。
自分の目に映る緒方とアキラの目に映る緒方。
どちらも本当の緒方だろう。
素直に好きなものを好きと言えないなんてつらい。
知らないうちに、緒方を傷つけていたのだ。
それに気づかなかったなんて、本当に救いがたい。

あの時、怒ったように見えた理由は・・・。

「ゴメン・・・。ゴメンね。緒方先生。」
ヒカルは跪いて、そっと緒方の手を取った。
大きくて温かい手。
佐為の顔が浮かんだ。

ゴメン。

自分勝手なことばかりして。
気持ちを思いやれなくて・・・。
頼って・・・甘えて・・・。

「先生。ゴメン。」
緒方の手を撫でながら、ヒカルは何度も繰り返した。



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