初めての体験+Aside 26 - 30
(26)
ヒカルは「あっ」と、呟いて黙ってしまった。自分も食べるということをすっかり忘れて
いたらしい。
「………中辛にしとく…」
社のヒカルへの恋心は、一気に上昇した。
アキラの家に戻ってから、社はヒカルのご指名でありがたくも助手を仰せつかった。
ヒカルの危なっかしい包丁さばきに、ハラハラしながらも、並んで野菜の皮をむく。
「うぅ〜目が痛ぇよ。」
タマネギを刻んでいたヒカルが、涙をポロポロこぼしながら目をこすった。
「進藤、こすったらアカン。オレがヤルから…」
「…うん…ゴメン…」
軽快にタマネギを刻む社の手元をヒカルが覗き込んだ。
「社、うまいなぁ…」
と、感心する。社は顔を赤らめた。実はこういうことは嫌いではない。簡単な料理なら
自分で作れる。でも、どうせなら、やっぱりヒカルに作って欲しい。ヒカルの作った
カレーが食べたいのだ。それに、ヒカルではなく社が作ったと知ったら、アキラが激怒
するのではないだろうか?それも表情には決して現さずに…。
「オレ、ジャガイモむくね。」
社だけにやらせて悪いと思ったのか、ヒカルがジャガイモに手を伸ばした。辿々しい手つきで
ジャガイモの皮を剥いていく。そうだ。たとえ、ジャガイモを剥いた皮が分厚すぎようと、
ニンジンが生煮えだろうと、ヒカルの作ったものならそれだけで価値がある。
そして、カレーは完成した。
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「あ!カレーじゃん!今日、カレーはヤダって言ったのに…」
文句を言う倉田に、ヒカルは「べー」と、舌を出した。可愛い。自分もアカンベをされて
みたい。
倉田がブツブツと言いながら、カレーを口に入れた瞬間、「くぁ!」と一声叫んで昏倒した。
ヒカルは大きな目を見開いて、キョトンとしている。
「…どうしたの?倉田さん?」
「進藤のカレーがおいしいから、感激したんだよ。」
アキラが怖いくらい優しい笑顔で答えた。だが、社は知っていた。倉田が倒れたその理由を…。
カレーが完成し、ヒカルが食卓を整えに行くのと入れ替わりにアキラがやって来た。
何かされるのではとビクつく社に、にこやかにアキラは言った。
「社、ボクが盛りつけをするよ。」
逆らうのも怖いのでアキラの好きなようにさせることにした。三枚の皿には普通にカレーを
盛りつけた。それより一回り大きな皿に白飯を大盛りにし、その上にタバスコを一瓶全部
振り掛けた。そして、その上から、カレーをかけてタバスコの色をごまかしたのだ。
絶句する社に、アキラはニコリと微笑みかけた。その瞬間、社はアキラの共犯者になった。
『ちゃう…!好きでなったんやない!そやけど…逆らったらオレがやられる…!』
社の胸中も知らず、アキラは涼しい顔で食事を続けていた。
(28)
魂が抜けたようにふらふらと帰る倉田を見送った後、再び棋譜研究を始めた。ふと、気がつくと
既に夜の九時をまわっていた。
「順番にお風呂に入ってそろそろ休もうか?」
アキラが提案した。彼は社に言った。
「社、入って。」
社は驚いた。アキラに風呂を勧められるとは…。だが、素直に喜べない。
―――――昔、テレビで一番風呂は身体に悪いゆうて聞いたことある…
外気の温度と浴室の温度の差がどーとかこーとかで、要するに浴室が暖まった二番目以降の
方がいいというのだ。コレが本当かどうかは知らないが、まさかそのために社を入れるの
では…と考えるのは疑いすぎだろうか?今は春だし、そんなことは関係なさそうだ。
「そうだな。社、大阪から来て疲れてるし…昨日徹夜だったもんな…お風呂に入って
ゆっくり疲れをとった方がいいよ。」
ヒカルがニコニコ笑って、アキラに賛成する。
―――――進藤、オレのことそんな思ってくれとるんか…
感激した。それに、“お”風呂…可愛い…。アキラもそう言っていたような気がするが
それは自分の聞き間違いだろう。
『まあ、ええわ…進藤のために風呂をめいっぱい暖めとこ…』
「わーでっかい風呂やなぁ…」
家もでかいが、風呂もでかい。自分の家の風呂と違って、手も足もゆったりと伸ばせる。
「これ…檜やろか…」
自分に木の種類などわからないが、何だかいい匂いがする。まるで旅館みたいだ。社は
湯の温かさと独特の木の匂いを楽しみながら、ヒカルと温泉に行ってみたいと思った。
(29)
風呂から上がって、部屋に戻った社を見て、
「もう出たんだ?ここの風呂でかいだろ?」
と、無邪気にヒカルは笑いかけた。
「じゃあ、ボク達も入ろうか。」
アキラは立ち上がって、狼狽えるヒカルを引っ張って行った。
「え……あの…塔矢…ちょっと…やだ…」
ヒカルの声は段々遠ざかって行った。
それが目的やったんか――――――――――――――――――――――――――!!!
社はガクリと膝をついた。今頃、風呂場ではどんなことが行われているのだろう…。
昨日、台所で見たような行為が行われているのだろうか?社の妄想はどんどん膨らんでいく。
ついでに、別の部分も膨らみ始めた。あああ、オレってヤツは…。アキラに陵辱される
ヒカルを思い出して悲しむより先に興奮するなんて…。(注:アキラが同じようなことを
考えた過去があることを社は知らない…)
悶々とした気持ちを抱えて、社は二人を待った。
「さっぱりしたぁ。」
ヒカルの元気な声が聞こえた。と、同時にヒカルが障子を開けて、入ってきた。アキラも
ヒカルの後に続く。
「…でもさぁ…あんなだったら、三人で入ってもよかったじゃん…」
と、ヒカルはアキラに言った。
「…あんなって、どんな?ほかに、なにかあるの?」
アキラが笑いを含んだ声でヒカルに問い返した。ヒカルは、顔を真っ赤にして口ごもった。
「な、な、な何にもねえよ!!」
ヒカルはプイッと横を向いた。そして、「塔矢…意地悪だ…」と、呟いた。
社は嬉しいような悲しいような複雑な気持ちだった。どうやら、二人は普通に入浴を
していたらしい。だが、ヒカルはアキラと入ることに多少の期待を持っていたようだった。
『やっぱ、一番は塔矢か…。知っとったけど…切ないわ…』
(30)
さて、いよいよ寝ようかというときに、アキラがヒカルに言った。
「進藤、ボクの部屋で寝ようか?」
さっきのヒカルの様子からして、当然OKするものと社は思っていた。
だが、ヒカルは意外にも「イヤだ!」とアカンベをした。
「オレ、社とここで寝る!」
そう言って、さっさと布団を敷き始めた。アキラは予想外の返事に少し驚いたようだったが、
「仕方ないね」とあっさり引き下がった。
「じゃあ、二人ともおやすみ…」
アキラは自室へ帰った。
社はドキドキしていた。ヒカルと枕を並べて、一夜を過ごすのだ。
『どないしょう。オレ、今晩も寝られへんかもしれへん…』
黙っていると気詰まりで、社はヒカルに色々と話しかけた。ヒカルも機嫌よくそれに答えていたが、
昼間のことを持ち出した途端不機嫌になってしまった。ヒカルは、社を無視して、背中を
向けた。
『聞いたらアカンこと聞いてもたらしい…失敗や…』
溜息を吐いて、布団に潜り込んだ。
暫くして、ヒカルが社にすり寄ってきた。
「どないしたん?」
「社…オレとしない?」
思いがけない申し出に、心臓が止まりそうになった。
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