失着点・展界編 26 - 30
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温かいシャワーが背中に柔らかく降り注ぐ。
緒方の服が濡れてしまう、とヒカルは思ったが、広い胸に体重を預けた状態が
心地よかった。緒方は服が濡れる事を疎んじてはいなかった。
「…相当具合が悪いようだな。…じっとしていろ。」
少し屈み、湯が伝うヒカルの背中に手を這わし、そのまま下の方へ運ぶ。
ヒカルの身体がピクンと震える。
背筋が窪んだ所からさらに下へ。双丘の谷間の始まりに指先が触れる。
「…緒方さん、…そこは、…自分で…」
言葉でそう言うだけでヒカルはもう全てを緒方に任せる気持ちになっていた。
スーと、緒方の指の腹がヒカルの中央の熱を通過していき持って腫れた部分で
止まる。
「…ひどいな、これは。」
緒方はそこに湯があたるように少し左右に広げた。
「あっ」とヒカルは声をあげずに小さく叫んだ。たまらなく恥ずかしかった。
そっと軽くその周囲を洗うと、すぐに緒方の手はそこから離れてシャワーを
止めた。身をかがめて肩を貸すようにしてヒカルをバスルームの外に出すと、
洗面台の上部の棚からバスタオルを取り大雑把にヒカルの身体を拭く。
びしょびしょになった自身のシャツもそこで脱ぎ捨て、ヒカルをタオルで
くるんでひょいと担ぎ上げる。
PCのある中央の部屋を横切って、奥のベッドルームへと運ばれていく。
さっきの長椅子でいいのに、とヒカルは思った。だがこの後ヒカルを待って
いたのはただベッドで休ませてもらえる事だけではなかったのだ。
緒方は一旦部屋を出て、ズボンも脱いでバスローブに着替え、
救急箱を持って戻って来た。
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緒方の手の救急箱にヒカルはギクリとなった。ベッドの上を壁際に後ずさり
すると、緒方もベッドに腰掛け、膝に乗せた救急箱の蓋をコツコツ叩く。
「病院に行くか、オレの手当てを受けるか、選んでもらおうか。」
「…病院は…絶対嫌だ…。」
だからといって緒方に手当てされるのも泣きたいくらい嫌だったのだが、
緒方は無慈悲に箱の蓋をあけ、脱脂綿を取り出す。
「相手はどういう奴だ。…場合によっては、警察に届ける。」
警察、と聞いてヒカルは青くなった。
「知っている相手なのか?無理矢理だったのか?」
静かだが厳しい口調の緒方の詰問が続く。
「と、友達だよ…。ちょ、ちょっとふざけてて…」
「友達?囲碁のか?」
しまった、と思ってヒカルは口を噤んだ。これ以上は何も話すまいと緒方から
視線を逸らした。眼鏡がなく髪が乱れているせいか別人のように感じられた。
「…わかった。もういい。」
心底呆れたといった表情で緒方は消毒用のアルコールを脱脂綿に含ませる。
そしてヒカルに用意するよう目で命令してきた。
しばらく睨み合った後、ヒカルは渋々うつ伏せになった。
「お子様用の傷薬はないんだ。…我慢しろよ。」
腰のところに巻き付いているタオルをギリギリまでたくし上げ、緒方は
脱脂綿をその部分にあてた。
「うああっ!!」
焼けた火箸を差し込まれるような激しい熱さが走り、ヒカルは悲鳴をあげた。
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疲労しきった身体に、その衝撃はかなりこたえた。
緒方は別の脱脂綿にもう一度アルコールを含ませ、先にあてがったものを
取り払い、二度目の忍耐をヒカルに強いた。
それから緒方はチューブに入った塗り薬を指に取り、その部分に塗布した。
さっきまでの苦痛に比べればその治療行為は幾らかヒカルをホッとさせた。
膨れ上がった狭門とその周辺に作業的に万遍なく薬が行き渡って行く。
アキラと別れ、それからこれまでに和谷、伊角、緒方の3人の男に自分の
秘部を曝し、あるいは触れらていれる。
「…へへっ、ザマアねえなあ、オレ…」
自嘲的に笑みを浮かべてヒカルはつぶやいた。
「これに懲りたら、二度とくだらない火遊びはしない事だな。子供なら子供に
ふさわしい恋愛ごっこがあるだろう。」
さっきからやたらと繰り返される緒方の「子供」という発言に、ヒカルは
ムッとなった。そうとは知らず、緒方は薬を塗り終えるとヒカルの体の下に
なっているベッドカバーを引っ張り出し、ヒカルに掛け布団の中に入るよう
促してきた。だがヒカルは反発するように緒方を睨んだまま動かなかった。
「…どうした?」
「…何にもわかっていねえくせに、エラそうに言うなよ…」
アキラとの事まで、緒方にたしなめられたような気がしたのだ。アキラとの
事は本気なのだ。そういう気持ちや行為には大人も子供もないはずだ。
「子供に子供と言って何が悪い。…もう1発殴られたいのか。」
顔を寄せて緒方が睨み返して来た。ヒカルも意地になっていた。
「…これでも子供だと思う…?」
ヒカルは緒方の首に腕をまわすと、緒方の唇に自分の唇を寄せて行った。
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「うわっ、何をする気だ、やめないか」
…という緒方の反応を予想していたヒカルだったが、唇が間近に迫っているの
にも関わらず緒方の眉一つ動かない。ヒカルは思いきって唇を重ねて行った。
アキラや和谷のどこか中性的な柔らかさを持ったものとは違い、もっと
肉感的な厚みを持った、タバコの匂いが残る大人の男性の唇。
その上唇と下唇を交互に、あるいは同時に吸いながらヒカルは緒方の表情を
伺う。緒方の薄い色の瞳は無機質にヒカルを映しているだけだった。
…バカにされている。
ヒカルは舌を入れていった。緒方の舌を探り、目一杯自分の舌を伸ばして
届く範囲を強く愛撫していった。そうしながら、ふと、この大きな唇で自分が
唇や体のあちこちを吸われたらどんな感じがするだろうと考えた。
…何考えているんだ、オレ…
気持ちと同時に、唇も離した。急に自分がしている事が恥ずかしくなった。
「…済んだのか?お休みのキスにしては情熱的なようだったが、なんだか
仔犬に嘗めまわされたような気分だな。…まあ、筋は悪くない。」
「…た、試したんだよ。緒方さんが後でオレを襲ったりしないか…」
「そこまで不自由はしていないからな。」
見透かされたように緒方にあしらわれ、ヒカルはいたたまれなくなって布団の
中に頭まで潜り込み、拗ねたように体を丸めた。
「明日の朝イチで追い出すからな。…とにかくおとなしく寝ろ。」
電気が消え、緒方が出て行った。暗がりの布団の中で、ヒカルは無意識に
緒方の唇の感触を思い返すようにそっと自分の唇に指で触れていた。
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ヒカルが実際、緒方のマンションの部屋を出たのは昼近くだった。
夢も見ない深い眠りから覚めた時、ドアのところに洗濯を済ませ乾燥機で
乾かしたヒカルの服が置いてあった。例のハンカチも。真っ白とはいかない
までも体裁は整っていた。もちろん、伊角には新品を買って返すつもりだが。
緒方はタバコを吸いながらパソコンに向かっていた。
「シミ抜きなんて適当だからな。…まあ目立たない位にはなってるだろ。」
服を着てベッドルームから顔を覗かせたヒカルの気配に振り返りもせず
緒方は答えた。ヒカルが自然に目を覚ますまで寝かしておいてくれたのは
明らかだった。
「顔を洗ってこい。そしたらすぐ出るぞ。」
「…緒方…先生。」
「ん?」
ヒカルはペコリと頭を下げた。
「…アリガトウゴザイマシタ…。」
そのまま、少しの間ヒカルは顔を上げられなかった。緒方はタバコを灰皿に
押し付け、肩を震わせているヒカルの頭にそっと手を置いた。
「…早く顔を洗ってこい。」
多少の渋滞はあったが、緒方の車でヒカルの自宅まではあっという間だった。
昨日はもう永遠に辿り着けないのではと思えた距離だった。
家の前でヒカルを降ろすと車はすぐに走り去って行ってしまった。
後で母親に緒方に直接挨拶させてもらえなかった事でこっぴどく叱られ、
腹の具合がイマイチであると何とか言い繕ってお粥を作ってもらい、
それを流し込んでようやく自分のベッドで一息ついた頃、伊角が訪ねて来た。
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