とびら 第三章 26 - 30


(26)
ざらざらした砂が胸の中に広がり、すべてを埋めつくそうとする。
苦しい。苦しくて、悲しい。目を閉じても見える光景。
喘ぎ、泣き、叫び、ついには表情さえ無くなってしまったヒカル。
和谷はもう二度と思い出したくない瞬間へと引き戻されていく。

ドアを開けた瞬間、ヒカルは和谷にしがみついてきた。
かみつくようなキスをし、股間を和谷のふとももにすりつけてきた。
何かを言われたが、それを言葉として理解することはできなかった。
その瞳はいつものように輝いてはおらず、にごって沈んでいた。きっと自分も同じような、
いやもっとひどい目をしているのだろうと思いながら、和谷はヒカルを組み敷いた。
「あっ……わ、っやぁ……」
熱い指先が服の中へと入ってくる。和谷を煽るようにそれは肌をなぞった。
昂ぶってくる身体とは逆に、心は冷えてくる。
「同じように塔矢も誘ってんのかよ」
「んぁっ……や……」
和谷は起き上がると救急箱から潤滑用のクリームを取り出した。
「俺のが欲しかったら自分でほぐせよ」
押し付けられた容器をヒカルは意志の宿らない目で見る。
「早くしろよ」
自分の声がとても冷たくて、和谷は驚いた。
ふるえる手でヒカルは衣服を脱ぎ始める。布がこすれるたびに声をあげている。
ボタンが数個、はじけとんだ。すべてを脱ぐのにかなりの時間がかかった。
ヒカルはクリームをすくいとると、己の後孔へと指をもっていく。
「ふぅうっん、あ……」
和谷に見せるかのように足を大きく開き、音を立てながら中をかきまわしている。
ヒカルは和谷が見ているのに少しも恥ずかしそうにしない。
息を弾ませ、声をあげ続けている。
「ふっ、ああぁぁんっ!」
ひときわ高い声とともに、白濁した液体が畳に散った。


(27)
和谷はうなだれているヒカルの前髪を無造作につかみ、顔を上げさせた。
「一人でイクなんていい度胸じゃねえか」
ひどく殺伐とした気分になっていた。自分でもとめられない。
「部屋を汚しやがって。きれいにしろよ」
ヒカルの頭を畳にすりつけた。ヒカルは小さな声をあげたが抵抗はしなかった。
舌を出し、自分の放ったものを舐め、すすっていく。その口のまわりは濡れていた。
ヒカルの片方の手を和谷ははたいた。
「休むなよ。てめェでてめェの穴を広げろよ」
言われるままにヒカルは再びいじる。舐める音と後ろをほぐす音が部屋を満たす。
和谷も服を脱いだ。ジーンズを下ろすとペニスが勢いよくそそりだった。
「あぁっ、ふ……」
ヒカルの手が伸びてきた。両手で和谷のペニスを握ると、しゃぶりはじめた。
いつもよりも口腔が熱く、そして湿っていた。
和谷はヒカルの頭をつかみ、動かした。
「んっん、ぐっ、ん……」
口の奥いっぱいまで入れられ、ヒカルは苦しそうな声を漏らした。だが和谷はゆるめず、
そのまま喉へと射精した。
「ぐっ……ぁ……」
「全部飲めよ」
目に涙をにじませながらヒカルは飲み下していく。
不意に和谷はたじろいだ。ヒカルがまっすぐ自分を見つめてきたからだ。
「進藤……」
頭の中の熱が鎮まってくる。
自分は何をしているのだ。好きな相手にこんなことをさせて、何か満足できるというのか。
和谷はヒカルの口元のしずくをぬぐい、壊れ物を扱うようにヒカルの身を横たえた。
その身体はきれいだった。
いつもはアキラの残したものが多くあるのだが、今日の肌はまっさらで、ヒカルが自分の
ものだけだという心持ちがした。


(28)
少し青みがあった腹を見て、和谷はさらに正気にかえっていく。
ヒカルの身体を傷つけてしまった。
後悔が頭をもたげてくる。同時に自分がそれに気付くことができたことにほっとした。
これ以上、取り返しのつかないことをする前でよかった。
すっきりと整ったあごのラインを撫でる。唇に触れるとヒカルはそれをくわえ、まるで
赤子のように吸ってきた。
引き抜くと唾液が糸を引いた。ヒカルは指を追いかけるように赤い舌を出した。
和谷はその舌を軽くおさえた。
「んっ……やく……わ……ぁ」
行為を始めてしまったら、ヒカルは際限なく熱に翻弄されるだろうことがわかっていた。
本当に催淫剤をあんなに飲ませるなんて、馬鹿なことをした。
「ごめんな、進藤……」
たしか効力を薄める薬も買ったはずだ。和谷はそれを探そうと身を起こした。
「あ、行か……な、で……」
自分を求めて宙をさまようヒカルの手を握る。
「大丈夫だから」
その頭を軽く撫でる。そのまま髪の合間に見える耳に触れた。
するとヒカルは両腕を伸ばしてきた。
手は和谷の頬に触れ、それから耳のあたりをかいた。
唐突に映像が浮かんだ。
ヒカルの耳をさぐり、顔をはさむアキラ。
頬にこぼれ落ちる髪。
それをかきあげるヒカル――――
ヒカルに染みのようなものが見えた気がした。
今までアキラがヒカルを抱いているのは知っていた。
だがこの時ほど生々しくアキラの存在を感じたことは無かった。
「……くそっ!」
和谷はヒカルの耳にかみついた。


(29)
自分の身体の下で喘ぐヒカルに、アキラの顔が重なる。
アキラは知っている。ヒカルがすがりつき、どういうふうに反応するかを。
今までは自分だけだったのに。
「何で……何で、塔矢なんだ……!」
父は名人で、門下には緒方を筆頭に優秀な棋士がそろっている。
最高の環境で育ったアキラ。
今はリーグ入りをし、力を着実につけつつある。
いつか必ずアキラはタイトルを取り、囲碁界の頂点に立つだろう。前途洋洋だ。
棋士として喉から手が出るほど欲しいものをアキラはすべて得る。
そのアキラがヒカルまでも手に入れようとしている。
和谷は悔しかった。そしてアキラに対するコンプレックスがどんどん膨らんでいった。
それはその才能だけでなく、アキラのヒカルを想う気持ちにも関係していた。
アキラに負けているとは思わない。だが自分はスタートを出遅れてしまっている。
ヒカルとそういう関係になったのは単なる興味からだった。
だがアキラは違う。ヒカルを好きだという想いから抱いたのだ。
一方の自分は、アキラに言われようやく気付くことができた。
だが気付いたあともその想いをヒカルに伝えることはしなかった。
怖かったのだ。
拒絶されることが、男同士であるという事実が。
和谷はそれを飛び越える勇気を持たなかった。
ヒカルの親に会ったときに感じた負い目からも自分は逃げた。
だがアキラは向かい合った。
アキラを見ると、自分がとても情けないのだということを思い知らされる。
「はぁっ! あぁんっ、あぁっ!」
ヒカルの肌は火のように燃え上がり、和谷は何度もその身体を刺し貫いた。


(30)
さすがに和谷も疲れて、ヒカルを抱くことができなくなった。
だがヒカルは未だに発情した獣のように身体を求め続けている。
外はすでに真っ暗だった。
「電話、しなきゃ、な……」
ヒカルの肌に触れながら、和谷は携帯電話を取り出した。こんな状況でヒカルの親と話す
のはためらわれたが、せめて心配させないようにしなければと思ったのだ。
しかし出たのはアキラだった。
和谷の中で細く張っていた糸が音を立てて切れた。
なぜヒカルはアキラに、そして自分に抱かれるのだろう。
ヒカルは二人を好きだというわけではないのに。
自分を好きだと言っている相手に、深い意味もなく身体を差し出すヒカルが憎い。
ヒカルは二人がどんな思いで抱いているかを考えもしないのだ。
何度抱いてもヒカルは手に入らない。アキラの絶望を思う。それは自分のものでもあった。
「ひっぁああ、はぁっ、や……ぇて……」
ヒカルは悲しげで救いを求めるような声をあげたが、和谷には情欲に支配された淫魔の
ように自分を誘っているようにしか聞こえなかった。
そして悪夢のような時間はようやく過ぎ去り、ヒカルは苦しそうに目を閉じた。
和谷は何もかもから逃げ出したくて、ヒカルの裸体を放っておいた。
いつもなら毛布をかけてやり、ヒカルを抱きしめるのだがそんな気にはなれなかった。
朝、冷たくなったヒカルが転がっていてもいいとさえ思った。
いっそ二人で死んでしまおうか。
もう疲れた。泥の中にもぐるように和谷は眠りへと入っていった。

部屋の中の空気が揺れた。衣擦れの音がする。
(ああ、進藤、起きたのか……)
和谷は動けなかった。身体が冷たくて重い。だが不意に暖かさを感じた。
それがどうしてだかわからなかったが、暖かいならそれでいいと思って、今度こそ意識を
遮断した。

眠りの中、自分を呼ぶヒカルの声が聞こえた。
夢だ。ヒカルはもう二度と自分を呼ばない。それが自分の招いた結果だ。

目が覚めたとき、すでに朝だった。明るい部屋を和谷は見渡した。
いくつも散乱したコンドーム、無造作に転がっているヒカルの服やリュック。
それが昨日のことが嘘ではないことを物語っていた。
身体を起こすと、ぱさりと何かが落ちた。
――――毛布だった。
「あっ……進藤……っ」
和谷はそれを握りしめ、声をあげて泣いた。



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