日記 268 - 270


(268)
 部屋の中を見渡すと、部屋の隅に片していたはずの雑誌やカウチに置いてあったクッションが
散乱していた。自分が帰ってくるまで、ヒカルはここでヒステリーを起こして暴れていたのだ。
「…………進藤…」
責めるために名前を呼んだわけではない。むしろ、慰めてやりたかった。だけど、ヒカルは
アキラが口を開くと同時に叫んだ。
「オマエが悪いんだ!夕方までには帰ってくるって、言ったじゃねえか!」
「オレは悪くねえ………悪くねえもの……」
以前のように明るくなってきてはいたが、ヒカルはまだ不安定だった。背中を丸めて床に
座り込んで泣いているヒカル。その上から被さるように、強く抱きしめた。

 ヒカルは暫く泣いていたが、漸く落ち着いたのか、くすんと小さく鼻をすすり上げ、
「ゴメン…ゴメンな…八つ当たりして…」
と、素直に謝った。
「いいよ。気がすんだ?」
ヒカルは顔を赤らめて俯いた。自分の方を見ないのは、落ち込んでいるのか恥じているのか?
「………オマエさあ…ホントにオレでいいの?」
彼がポツリと呟いた。アキラは、意味を図りかねた。
「オレ、きっと、オマエに迷惑ばっかしかけるぜ…それでもいいの?」
「キミがいいんだ…」
「それに、キミが傍迷惑なのは今に始まったコトじゃないだろ?」
今さら殊勝なこと言われても――そこまで言いかけたとき、ヒカルにバチンと頬を叩かれた。
「オマエ言い過ぎ!」
拗ねるヒカルの背中から手を回し、腰のあたりで組んだ。大丈夫だよとあやすように身体を揺すると、
彼はくすぐったそうに身体を捩った。
「もうすぐ誕生日だね…」
「……」
「………すごく楽しみだ…」
「うん…」
ヒカルがそっと身体を預けてきた。


(269)
 灯りを消して、ベッドに横になる。ヒカルをいつものように腕の中に抱き込むと、アキラは
すぐに寝入ってしまった。規則正しい寝息がヒカルの耳に微かに伝わってくる。無理もない。
長い時間列車に揺られて、戻ってきたのだ。それなのに、家に着く早々謂われのないことで、
八つ当たりされたのだ。
 ヒカルは深く恥じた。“彼”に会うたびに、こんな風に暴れられてはアキラも溜まったものではないだろう。
それでもアキラはヒカルを責めない。ヒカルがどんな理不尽なことを要求しようとも、出来るだけ
それに応えようとしていた。
 アキラは、ヒカルが酷い暴力をその身に受けたことを知っている。どういう経緯でそれを
知ったのかは知らない。アキラは何も言わないし、ヒカルも訊かない。
 ただ、ヒカルの身に起きた出来事は、二人の間で触れてはならない禁忌として…だが、
純然たる事実として、そこに存在していた。
 もしかして、相手のことも知っているのだろうかと、ふと考えた。知っているのかもしれないと
ヒカルは思う。伊角に対する警戒心剥き出しの態度はその現れではないだろうか?
 毎日あれほど――アキラが妬くくらい――話題にしなかった日はない彼の名前。それを
口にしなくなったことをアキラはどう考えているのだろうか…………


(270)
 もし、アキラが知っているのなら、ヒカルは躊躇う必要はないのだ。親友に裏切られ、引き裂かれて、
自分がどれ程辛かったか…苦しかったかを訴えればいいのだ。
 そうすれば、ヒカルの心は今よりずっと楽になる。一人で抱え込まなくてもいいのだ。
アキラはきっと、慰めてくれる。可哀想にと優しくしてくれる。
 でも―――――――――出来ない。
 それまでは、ただの漠然とした予感にすぎなかったものが、ヒカルがそれを告げた瞬間に、
現実になってしまう。アキラは絶対に彼を許さないだろう。
 アキラと彼が争うのを見たくない。罵り、責める姿を………そして、責められる姿を見たくない………
 本当は出来ないのではない。したくないのだ。

 そうして漸くヒカルは気付いてしまった。本当は、彼を許したがっているということに…………
「う………うぅ…」
涙が溢れてきた。ヒカルは、アキラの胸に顔を押しつけて、声が漏れるのを堪えようとした。
だけど、止まらない。



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