パッチワーク 27 - 28


(27)
芦原さんの家に電話をすると市河さんが−本当は芦原さんの奥さんって呼ばなければならないけれど旦那さんの
芦原さんが家では「奥さん」って平気で呼べるし市河さんも平気で返事できるのに、新婚当時緒方さんがからか
いすぎたせいか外では「奥さん」って呼ぼうとすると芦原さんは顔を真っ赤にして照れてしまうものだから市河
さんも照れてしまって結局芦原さんは外では「市河さん」って呼んでいる。だから何とはなしに結婚して何年に
もなるのにみんな市河さんと呼んでしまっている−入院費用や着替えは市河さんじゃないと言うのだ。

市河さんが病院で聞いたことによると三日おきに汚れ物を取りに来て着替えを置いて行き入院費用を払っていた
のは若い女性だったというのだ。「アキラ君の彼女じゃないの。今度紹介してね。」曖昧に返事をして電話を切
った。心当たりは一人だけいる「あの女」だ。

数年前、彼の両親が転勤で仙台に転居するとき彼の両親は彼も一緒に仙台へ連れていこうとした。彼は東京に残
って一人暮らしをしようとして反対され、友達(僕のことだ、彼の両親にとって僕は彼の恋人ではなく会ったこ
ともない彼の友達なのだ)と一緒に暮らしたいと言って反対された。そして彼の両親が彼が東京に残るならと条
件にしたのが今住んでいる家での彼女との同居だった。いくら彼女が高校・大学と何年も彼の家に下宿していて
家族同様と言っても未婚の男女を二人っきりで同居されるだなんできっと彼女が断るだろうと思った。でも彼女
は断らなかった。実際は彼の両親の転居後彼は僕の部屋で暮らしているようなものだった。でも、両親が何かで
帰京するという連絡があると「帰る」といって彼女のいる家に帰っていった。


(28)
最初の北斗杯の合宿のあと彼は時々家に泊まるようになった。そのころ僕は自分の気持ちを自覚して
いなかった。僕にとって彼は小学校以来久しぶりに得た同年代のしかも話が合う友達だった。僕の行
っていた小学校は母の母校で一学年一クラス、しかもクラスの人数は30人くらいしかいなくて女子大
の付属だったせいか男子の方がちょっと少なかった。ばらばらな地域から通ってきているから家に帰
ってしまうと皆で遊べないので学校は7時までなら残っていても良かった。僕は習い事をしていなか
ったから放課後は学校でクラスメートと6時くらいまで一緒に宿題をしたり遊んだりしてから碁会所
に行っていた。中学からは女子校になってしまうので父の母校の海王中に行くことにした。生徒数が
小学校と桁違いに多いのは覚悟していたし、囲碁部で浮くことも覚悟していた。でもクラスは基本的
の6年間もちあがりでそこここ仲のいい生徒はいた。たしかに中一の夏から秋にプロ試験があったけれ
ど海王中は週休2日制だったので実際に休んだのは火曜日だけだし、二年になりプロとしての生活が始
まって出席日数は徐々に減っていたけれどクラスの中ではいつもだれかしら短期留学で休んでいたし、
既に大学の研究室に出入りしているような生徒もいた。他のクラスでも将棋の奨励会の会員や音楽や
バレエで国際コンクールに出場するため個人レッスンなどで半年近く学校に来ない生徒もいたりで休
んでいても皆気にしていなかったからクラスの居心地はそれなりに良かった。中学で辞めたのは僕を
含めて学年で5人ほどだったと思う。



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