黎明 27 - 28
(27)
訳のわからない事を言っていると思った。「これから」などというものは自分にはなかった。為すべき
事など何も持たなかった。彼を守る事。たった一つの目的を失って、一体何を為せるというのだ。
「…する事なんか、何にもねぇ。俺なんか、要らないんだ。いなくっていいんだ。」
真実、思う通りのことを口にした。己の存在など不要だと、ヒカルは固く信じていたから。
「あいつを守れなかった俺に、何ができる?何をする事がある?
しなきゃいけない事なんて、何にもねぇよ…!」
「だから、あんな風に逃げたのか。」
「…ああ、逃げたよ。それがなんだよ。おまえに何がわかるって言うんだよ…」
けれど彼は応えない。応えずにただ黙ってヒカルを見据える。その静かな眼差しが恐ろしかった。
沈黙に耐え切れずに、ヒカルはぽつりとこぼした。
「……忘れたかったんだ。」
思い出した。そうだ。俺は忘れたかったんだ。
俺が佐為を守れなかった事を。佐為が俺を置いていってしまったことを。俺が佐為を引き止められ
なかった事を。冷たく冷え切ってもう動かなくなってしまった佐為なんて、俺の名を呼んでくれない
佐為なんて、俺の呼び声に応えてくれない佐為なんて、忘れてしまいたかった。たった一度、佐為
に愛された事も、あの熱い身体を全身で受け止めたことも、たった一度でもう二度と得られないの
だとわかったから、それならいっそ忘れてしまいたかった。
全部、全部、俺は忘れてしまいたかったんだ。
そして、忘れたかったという事さえ、俺は忘れていられたのに、どうして思い出してしまったんだ。
どうして。
何のために。
思い出さなければよかったのに。思い出す必要なんかなかったのに。
(28)
「忘れたかったんだ。忘れたいんだ!忘れちまいたいんだよ!!なにもかも!!」
自棄のように叫ぶ自分の声に、彼の周囲の空気がゆらりと揺らめくような気がした。
黒い瞳に炎が宿りヒカルを真っ直ぐに見据える。ヒカルはその炎を恐れた。
「そうやって、君は逃げようというのか、逃げられるとでも思っているのか。
そうやって自棄になって堕ちて行けば彼を失った苦しみを忘れられるのか。
そうして今は君は苦しんでなどといないと言えるのか。忘れられたと言えるのか。」
変わらぬ静かな口調で諭すように言うアキラに、ヒカルは怒鳴り返した。
「ほっとけよ!!大きなお世話だ!!」
「僕は彼に頼まれたんだ。君の事を。だから君をこのまま放っておくつもりなんかない。」
けれどアキラは冷静に返す。その冷静さがヒカルの苛立ちを呼んだ。
「おまえなんかに、何がわかるよ!?」
「ああ、僕にはわからない。君の痛みも、苦しみも。
だからと言って、わからないから放っておける訳がない。
君がそれで幸せだというのなら放っておくよ。でも君は幸せそうには見えない。」
「幸せだって?なにふざけた事言ってんだよ?
佐為がいないのに、俺が幸せなわけないじゃないか。佐為がいないのに、俺が幸せになれるわけ
ないじゃないか。なんだよ、それとも、佐為においてかれた俺を、おまえが幸せにできるとでも思っ
てんのかよ!?ふざけんなっ!!」
「それなら、忘れる事が君にとっての救いだとでも言うのか。
忘れてしまっていいのか。彼を失った事だけでなく、彼と過ごした日々までも、忘れたいのか。
彼を想う君の心も、君を想う彼の心も、全て忘れてしまっていいのか。失ってしまっていいのか。」
|