パッチワーク 27 - 30
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芦原さんの家に電話をすると市河さんが−本当は芦原さんの奥さんって呼ばなければならないけれど旦那さんの
芦原さんが家では「奥さん」って平気で呼べるし市河さんも平気で返事できるのに、新婚当時緒方さんがからか
いすぎたせいか外では「奥さん」って呼ぼうとすると芦原さんは顔を真っ赤にして照れてしまうものだから市河
さんも照れてしまって結局芦原さんは外では「市河さん」って呼んでいる。だから何とはなしに結婚して何年に
もなるのにみんな市河さんと呼んでしまっている−入院費用や着替えは市河さんじゃないと言うのだ。
市河さんが病院で聞いたことによると三日おきに汚れ物を取りに来て着替えを置いて行き入院費用を払っていた
のは若い女性だったというのだ。「アキラ君の彼女じゃないの。今度紹介してね。」曖昧に返事をして電話を切
った。心当たりは一人だけいる「あの女」だ。
数年前、彼の両親が転勤で仙台に転居するとき彼の両親は彼も一緒に仙台へ連れていこうとした。彼は東京に残
って一人暮らしをしようとして反対され、友達(僕のことだ、彼の両親にとって僕は彼の恋人ではなく会ったこ
ともない彼の友達なのだ)と一緒に暮らしたいと言って反対された。そして彼の両親が彼が東京に残るならと条
件にしたのが今住んでいる家での彼女との同居だった。いくら彼女が高校・大学と何年も彼の家に下宿していて
家族同様と言っても未婚の男女を二人っきりで同居されるだなんできっと彼女が断るだろうと思った。でも彼女
は断らなかった。実際は彼の両親の転居後彼は僕の部屋で暮らしているようなものだった。でも、両親が何かで
帰京するという連絡があると「帰る」といって彼女のいる家に帰っていった。
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最初の北斗杯の合宿のあと彼は時々家に泊まるようになった。そのころ僕は自分の気持ちを自覚して
いなかった。僕にとって彼は小学校以来久しぶりに得た同年代のしかも話が合う友達だった。僕の行
っていた小学校は母の母校で一学年一クラス、しかもクラスの人数は30人くらいしかいなくて女子大
の付属だったせいか男子の方がちょっと少なかった。ばらばらな地域から通ってきているから家に帰
ってしまうと皆で遊べないので学校は7時までなら残っていても良かった。僕は習い事をしていなか
ったから放課後は学校でクラスメートと6時くらいまで一緒に宿題をしたり遊んだりしてから碁会所
に行っていた。中学からは女子校になってしまうので父の母校の海王中に行くことにした。生徒数が
小学校と桁違いに多いのは覚悟していたし、囲碁部で浮くことも覚悟していた。でもクラスは基本的
の6年間もちあがりでそこここ仲のいい生徒はいた。たしかに中一の夏から秋にプロ試験があったけれ
ど海王中は週休2日制だったので実際に休んだのは火曜日だけだし、二年になりプロとしての生活が始
まって出席日数は徐々に減っていたけれどクラスの中ではいつもだれかしら短期留学で休んでいたし、
既に大学の研究室に出入りしているような生徒もいた。他のクラスでも将棋の奨励会の会員や音楽や
バレエで国際コンクールに出場するため個人レッスンなどで半年近く学校に来ない生徒もいたりで休
んでいても皆気にしていなかったからクラスの居心地はそれなりに良かった。中学で辞めたのは僕を
含めて学年で5人ほどだったと思う。
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そう、僕と彼は最初ただの友達だった。彼は僕に比べればクラスメートとくだらない話をするなんて言う
地に足の着いた中学時代をおくっていたし、中学を卒業しても院生時代の仲間がいた。それに同期の越智
も和谷君も同年代だ。僕の同期は辻岡さんと真柴さんで歳が離れているし他に友達と言ったら芦原さんく
らいしかいなかった。 僕にとっては久しぶりの同年代の友達だったせいかちょっと浮かれてたかもしれな
い。だから検討のあと彼とバカ話をするのはそれなりに楽しかった。そんな中で彼が既に幼なじみと経験
したことも知った。胸の奥が痛んだけれどそれは自分が彼に比べて奥手だという劣等感だと思った。でも
そのあとその彼女が彼の家に下宿するようになり、彼の体臭に時々女の子のする安手のコロンの香りがか
すかだけれど混じるようになった。さりげなく話をし向けると「一人で寝てるとなんか時々寂しくなるん
だ。そんな時はあいつの部屋で寝るんだ。」「そんなことして嫌がられないの?」「あいつも、ずっとお
姉ちゃんと同じ部屋で寝てたから一人だと寂しいって言ってる。」「なんか、同じ部屋で寝てる人がいる
と安心しねぇ。」僕は彼と一緒の部屋で寝ていると自分の心臓の音がやたら大きく聞こえて、彼にもこの
音が聞こえてしまうんじゃないかと不安になっていたから「違う」と言いたかったけれどそれじゃぁまる
で彼と同じ部屋にいることが不安だと思われると思って彼に同意した。
いけない、思ったより時間が経っている。今日の内にもう一つやっておかなければいけないことがある。
この半年乗っていなかった車を箱根に持って行く前に整備に出そうと思っていたんだ。僕の車はシトロエ
ンの2CVで色は黒とグレイのツートンカラー。免許を取ったとき彼がプレゼントしてくれた。
http://www.riesen.co.jp/2CVGray1.jpg
そして僕が彼に選んだのは黄色のROVER MINI
http://www.isize.com/carsensor/CSphoto/bu/030807/0/W/00/H001890000101010101B0001011S.JPG
勿論どちらももう製造中止になっているガソリン車だったから今の環境基準に合う電気自動車にして内装も
当時のもののレプリカを特注した。
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整備工場に持って行き最近乗っていなかったことなどを話したりして帰ろうとしたとき敷地の隅に置いてある
黄色い車に気づいた。後ろ側がつぶれようになりフロントガラスにもひびが入っている。まさか。ナンバーを
確認する。彼の車だ。声が震えるのこらえられなかった。「この車どうしたんですか?」工場の人が言うには
街灯の柱が腐食していて脇に停まろうとしていた車に倒れてきたそうだ。「けがは?」そこまでは工場の人も
知らなかった。事故が起きたのは僕が入院した日だった。正直、病院に来てくれなかった彼に拗ねていた、意
地になっていた。だから、彼に連絡を取ろうとしなかった。彼の携帯に電話をした。返ってきたのは「この電
話は現在使用を停止しています御用の方は03-****-****までお掛け直し下さい。」という機械ボイスだっ
た。彼の家、あの女のいる家の電話番号だ。掛けられなかった。明日は彼も手合いがあるはずだ棋院で会える
だろうか。
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