日記 271 - 275
(271)
許したいと願うその裏で、やはり、彼を許せないであろうことは、自分でもわかっていた。
彼が好きだった。大好きだった。彼が望んだ意味合いとは別の意味で、とても彼を慕っていたのだ。
ヒカルを好きだと何度も言いながら、彼はヒカルを引き裂いた。どんなに泣いても、頼んでも、
獣のような牙と爪でヒカルを喰らい尽くしたのだ。
震える指先が、無意識のうちにアキラのパジャマを握り締めていた。突然、強く、引き寄せられた。
アキラの指がヒカルの髪をそっと梳いた。起こしてしまったのかと慌てて、顔を上げた。
だが、アキラの瞼は閉じられたままで、口からは先程と同じ規則正しい息が紡がれていた。
ヒカルはホッと息を吐いて、再び、アキラの胸に顔を埋めた。アキラの寝息に合わせるように、
トクントクンと鼓動が聞こえる。その音を聞いているうちに、ヒカルの気持ちもだんだんと
落ち着いてきた。
「おやすみ……」
小さく呟いて、ヒカルも目を閉じた。
(272)
次の日、ヒカルは遅すぎる残暑見舞いを二通投函した。一通は伊角に…もう一通は彼に……………
蒼い海と青い空。大きな白い入道雲が描かれた葉書に、
残暑お見舞い申し上げます―――
それだけ書いた。
差出人の名前は書かなかった。
それを見て、彼らは何を思うだろうか?
ヒカルがアキラと二人で見た夏の海を感じてくれるだろうか………
本当はみんなで出かけたかった夏の海。
夕暮れの道を一人で歩いていると、どこからか虫の音が聞こえてきた。
(273)
今日はオレの誕生日。と、言っても前夜祭。
じいちゃんたちも呼んで誕生日を祝ってくれるってお母さんからきいて、スゲーうれしかった。
でも、誕生日は塔矢とこに行くつもりだったから、ちょっと困った。
友達と約束してるからって、日にちずらしてもらったんだ。
お母さんはちょっとガッカリしてたけど、オレが元気になった方がうれしいってさ。
そんであかりも呼んだ。アイツ、オレを見るなり「やせたね〜」って、しみじみ言うんだぜ。
「うらやましいか?オマエはちょっち太ったんじゃネエ?」って言ったら、
スゲー怒られた………お母さんに………
「女の子はちょっとぽっちゃりが可愛いんだって」って、本人は照れくさそうに笑ってた。
「彼氏できたのか?」ってきいたら、「キャー」ってばんばん背中叩かれた。痛かった。
オレだって、いるもんね。大ぴらには言えネエけどさ。
今日は本当に楽しかった。
明日は、もっと楽しいかもしれない。
今日でこの帳面も終わりだ。新しいの買わなくちゃな。
本当は、あと一日書けるはずだったんだけど、最後のページは切り取ったからなあ………
―て、今、思い出したけど…最後のページ、アイツが持ってる?
アイツが言ってた「いいもの」って、もしかして……
やべー!やべーよ!
アイツ持ってるのかな?持ってるよな?捨ててくれネエかなあ…
(274)
アキラが忙しそうにテーブルの周りを動き回っているのを、ヒカルは所在なさげに見ていた。
何度か手伝おうとしたのだが、その都度アキラに追い払われた。
「キミはお客様なんだから、座っていてよ。」
仕方なくヒカルは、カウチに邪魔にならないように座った。クッションを抱えて、アキラが
ケーキや料理を並べていく様子をボンヤリと眺める。
「なあ…退屈なんだよ…そんなのいいからここに来て座ってよ…」
返事もしてくれない。
「なあってば!それがダメなら、オレにも手伝わせてよ!」
アキラはその申し出をやんわりと笑顔で辞退した。
「ホラ、ヒカル…拗ねてないで。」
カウチの上で背中を向けて横になっていたヒカルの肩をアキラが揺すった。
渋々後ろを振り向いた。
「わあ…スゲー…」
綺麗に飾り付けられたテーブルを見て、ヒカルは声を上げた。
レストランのケータリングサービスの料理が美しく盛りつけられ、その中央にはケーキと
一輪挿しの花が飾ってあった。おろしたてのテーブルクロスの白さが、料理を引き立てている。
こういう事にはまったく興味のないヒカルだが、流石にこれには感激した。だが、次の瞬間
ハッとあることに気付き、蒼くなった。テーブルの上に並んだ料理はどれも高級そうで、
けっしてその辺のファミレスでは扱っていないことは簡単に見て取れた。
「オレ、駅前のケーキ屋さんでちっこいケーキ買って、フライドチキンでお祝いでも良かったのに………
なんか…これ…どれもスゲー高そうなんだけど………」
上目遣いに様子を伺った。そんなヒカルを見て、彼はニコリと微笑む。
「そうだね…高いだろうね…いくらくらいかな……」
と、まるで人ごとのように興味なさそうだ。そのアキラの物言いに自分の方が驚いた。
「オレ、半分出す!貯金おろしてくる!」
鞄を持って、飛び出そうとするヒカルを慌ててアキラが引き留めた。
「いいんだよ。」
「よくねえよ!」
喚くヒカルを後ろから羽交い締めにするようにして抱き留め、彼は叫んだ。
「緒方さんがおごってくれたんだ!」
(275)
「緒方先生が………?」
アキラは黙って頷いた。
「でも…なんで?」
ヒカルには訳がわからない。
「キミは痩せすぎだから、もっと栄養つけさせろってさ……」
アキラが含み笑いで、ヒカルの全身を舐めるように見た。ヒカルの頬はカッと熱くなる。
「もう!やらしい目で見るな!」
「ゴメン………」
そう言いながらもまだヒカルを見ている。
ヒカルは手を振り上げ、殴る真似をした。アキラがふざけて、それを手で遮る。
「や…ゴメン…誕生日のお祝いだって…」
アキラは、ヒカルの腕を軽く取り、自分の腕の中に抱き込んできた。
「でも…だったらさ…先生も来てくれたらいいのに………」
「誘ったんだけどね………」
意味ありげに腕の中のヒカルの顔を覗き込む。アキラの綺麗な顔が自分の間近に迫ってきた。
キスをされるのかな?と、ヒカルは目を閉じた。唇が触れるか触れないかの微妙な位置で、
アキラの動きが止まった。いつまで経っても触れてこないアキラにシビレを切らして、そっと
目を開けた。本当にほんの数センチ先に、濃い睫に縁取られた切れ長の目があった。
キレイな目してるな―――ヒカルはポーッと見とれてしまった。
「馬に蹴られるのは御免だってさ。」
アキラはニヤリと笑うと、素早くヒカルの唇を奪った。
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