日記 274 - 276


(274)
 アキラが忙しそうにテーブルの周りを動き回っているのを、ヒカルは所在なさげに見ていた。
何度か手伝おうとしたのだが、その都度アキラに追い払われた。
「キミはお客様なんだから、座っていてよ。」
仕方なくヒカルは、カウチに邪魔にならないように座った。クッションを抱えて、アキラが
ケーキや料理を並べていく様子をボンヤリと眺める。
「なあ…退屈なんだよ…そんなのいいからここに来て座ってよ…」
返事もしてくれない。
「なあってば!それがダメなら、オレにも手伝わせてよ!」
アキラはその申し出をやんわりと笑顔で辞退した。

 「ホラ、ヒカル…拗ねてないで。」
カウチの上で背中を向けて横になっていたヒカルの肩をアキラが揺すった。
 渋々後ろを振り向いた。
「わあ…スゲー…」
綺麗に飾り付けられたテーブルを見て、ヒカルは声を上げた。
 レストランのケータリングサービスの料理が美しく盛りつけられ、その中央にはケーキと
一輪挿しの花が飾ってあった。おろしたてのテーブルクロスの白さが、料理を引き立てている。
 こういう事にはまったく興味のないヒカルだが、流石にこれには感激した。だが、次の瞬間
ハッとあることに気付き、蒼くなった。テーブルの上に並んだ料理はどれも高級そうで、
けっしてその辺のファミレスでは扱っていないことは簡単に見て取れた。
「オレ、駅前のケーキ屋さんでちっこいケーキ買って、フライドチキンでお祝いでも良かったのに………
 なんか…これ…どれもスゲー高そうなんだけど………」
上目遣いに様子を伺った。そんなヒカルを見て、彼はニコリと微笑む。
「そうだね…高いだろうね…いくらくらいかな……」
と、まるで人ごとのように興味なさそうだ。そのアキラの物言いに自分の方が驚いた。 
「オレ、半分出す!貯金おろしてくる!」
鞄を持って、飛び出そうとするヒカルを慌ててアキラが引き留めた。
「いいんだよ。」
「よくねえよ!」
喚くヒカルを後ろから羽交い締めにするようにして抱き留め、彼は叫んだ。
「緒方さんがおごってくれたんだ!」


(275)
 「緒方先生が………?」
アキラは黙って頷いた。
「でも…なんで?」
ヒカルには訳がわからない。
「キミは痩せすぎだから、もっと栄養つけさせろってさ……」
アキラが含み笑いで、ヒカルの全身を舐めるように見た。ヒカルの頬はカッと熱くなる。
「もう!やらしい目で見るな!」
「ゴメン………」
そう言いながらもまだヒカルを見ている。
 ヒカルは手を振り上げ、殴る真似をした。アキラがふざけて、それを手で遮る。
「や…ゴメン…誕生日のお祝いだって…」
アキラは、ヒカルの腕を軽く取り、自分の腕の中に抱き込んできた。
「でも…だったらさ…先生も来てくれたらいいのに………」
「誘ったんだけどね………」
意味ありげに腕の中のヒカルの顔を覗き込む。アキラの綺麗な顔が自分の間近に迫ってきた。
キスをされるのかな?と、ヒカルは目を閉じた。唇が触れるか触れないかの微妙な位置で、
アキラの動きが止まった。いつまで経っても触れてこないアキラにシビレを切らして、そっと
目を開けた。本当にほんの数センチ先に、濃い睫に縁取られた切れ長の目があった。
キレイな目してるな―――ヒカルはポーッと見とれてしまった。
「馬に蹴られるのは御免だってさ。」
アキラはニヤリと笑うと、素早くヒカルの唇を奪った。


(276)
 「ゴメン…からかって悪かったよ…」
ムッツリと黙って料理を食べるヒカルをアキラが宥める。横目でアキラを睨んで、料理を口に
押し込んだ。
 ヒカルの機嫌は本当はすっかり直っていた。料理は美味しくて、口の中がとろけそうだった。
そんな状態では怒っている方が難しい。だけど、アキラを簡単に許すのは癪なのだ。
 緒方は気を利かせて、シャンパンを用意してくれていた。ヒカルはシャンパンを飲むのは
初めてだった。口の中で弾けるこの飲み物は、甘くて不思議とさわやかだった。ヒカルの
想像していたアルコールのイメージとはかなり違っていて、洒落たジュースのような感じがした。
 アキラがドイツ製のスパークリングワインだと教えてくれた。シャンパンとスパークリング
ワインはどう違うのだろう…。首を傾げるヒカルをアキラが可笑しそうに見ている。
「なんだよ」と、目で睨むとアキラは小さく笑って言った。
「作った所が違うんだよ。」
フランスのシャンパーニュ地方で作られたスパークリングワインをシャンパンと言うのだとか、
国によって名前が違うのだとか教えてもらったが、どうでもいいと思う。美味しい物は美味しい。

 自然とほころぶ口元を無理矢理引き締め、ヒカルはいかにも不機嫌そうな顰め面を無理矢理作った。アキラの困った顔を見るのは好きなのだ。もう少しワガママに振る舞って、
困らせてやりたい。
「ほら…そんな顔して食べないで…緒方さんになんて言うの?」
「!え?イヤ、スゲーウマイよ。」
アキラの言葉にヒカルは慌てて弁解した。ヒカルが目を上げると、彼は面白そうに笑っていて…

やられた―――と、心の中で舌打ちをした。

 『でも、まあ、いいや…』
ヒカルはスライスされたトマトにフォークを突き刺して、
「これ、すっごくウマイ…!」
と、頬張った。



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