日記 276 - 280


(276)
 「ゴメン…からかって悪かったよ…」
ムッツリと黙って料理を食べるヒカルをアキラが宥める。横目でアキラを睨んで、料理を口に
押し込んだ。
 ヒカルの機嫌は本当はすっかり直っていた。料理は美味しくて、口の中がとろけそうだった。
そんな状態では怒っている方が難しい。だけど、アキラを簡単に許すのは癪なのだ。
 緒方は気を利かせて、シャンパンを用意してくれていた。ヒカルはシャンパンを飲むのは
初めてだった。口の中で弾けるこの飲み物は、甘くて不思議とさわやかだった。ヒカルの
想像していたアルコールのイメージとはかなり違っていて、洒落たジュースのような感じがした。
 アキラがドイツ製のスパークリングワインだと教えてくれた。シャンパンとスパークリング
ワインはどう違うのだろう…。首を傾げるヒカルをアキラが可笑しそうに見ている。
「なんだよ」と、目で睨むとアキラは小さく笑って言った。
「作った所が違うんだよ。」
フランスのシャンパーニュ地方で作られたスパークリングワインをシャンパンと言うのだとか、
国によって名前が違うのだとか教えてもらったが、どうでもいいと思う。美味しい物は美味しい。

 自然とほころぶ口元を無理矢理引き締め、ヒカルはいかにも不機嫌そうな顰め面を無理矢理作った。アキラの困った顔を見るのは好きなのだ。もう少しワガママに振る舞って、
困らせてやりたい。
「ほら…そんな顔して食べないで…緒方さんになんて言うの?」
「!え?イヤ、スゲーウマイよ。」
アキラの言葉にヒカルは慌てて弁解した。ヒカルが目を上げると、彼は面白そうに笑っていて…

やられた―――と、心の中で舌打ちをした。

 『でも、まあ、いいや…』
ヒカルはスライスされたトマトにフォークを突き刺して、
「これ、すっごくウマイ…!」
と、頬張った。


(277)
 ケーキに蝋燭が灯された。アキラが部屋の灯りを消して、ヒカルを促す。ヒカルは大きく息を
吸い込んで、フーッと一息に吹き消した。
「おめでとう。」
「えへへ…二日も続けてやるなんて、ヘンな感じ……」
「いいんだよ。こういうのは様式美みたいなものだから…」
誕生日にはケーキとプレゼント――と、アキラがリボンのかけられた包みをヒカルに渡した。
「ありがとう…開けてもいい?」
「もちろん。」
 はやる気持ちを抑えて、丁寧に包みを解いた。中からは、以前にアキラが約束してくれたものが
姿を現す。
 ワンショルダーのデイバック。色は明るいオレンジイエローで、ナイロンの軽快な手触りが
気持ちいい。
「ちょっと、持って見せてくれないか。」
アキラのリクエストに、ヒカルは頷いた。
 立ち上がって、背中にバッグを負い、ショルダー部分を斜めがけにして前で留めた。
中身の入っていない軽い鞄はなんだか奇妙な感じがした。


(278)
 「どう?」
背中を向けて、アキラに感想を求める。
「よく、似合っているよ。」
実際、ヒカルにはこういう柑橘系の類のものがよく似合っていた。明るい色合いや、さわやかな
香。元気で明るいヒカルは、常に“夏”を連想させた。
「本当に、すごく似合っている…」
「……ありがと…」
はにかんだ笑顔を見せるヒカルに、胸が熱くなった。
 ヒカルは早速自分の荷物を入れ替え始めた。
「そんなこと今やらなくても…」
「………うん…でも早く馴染ませたいから…」
小さく呟くその横顔が少し寂しげで、アキラは言わずにはいられなくなった。
「来年の夏までには、ヒカルにピッタリとなれて違和感なんてなくなるよ…」
「来年か…長いよ…」
「長くない。あっという間だよ。」
「そうかな?」
「そうだよ。」
「きっと?」
「きっと。」
 ヒカルは暫く俯いていたが、やがて手の甲で顔をゴシゴシ擦ると、とびきりの笑顔をアキラに向けた。
「そうだな。オマエと一緒だもんな。」


(279)
 「それより、これ…オレの好みよくわかったな…」
ヒカルはもらったばかりのバッグを撫でた。
「正直言えば、すごく困った。」
アキラはこういったものには疎かった。ヒカルが好きそうなものは漠然とはわかるものの、
形や素材、色、メーカーなど細かいところまでは、まるっきり理解不能だ。
「ネットで、あちこち検索したり…雑誌を買ってきて調べたり…」
そこまで言ったとき、ヒカルがアッと顔を蒼くした。
「どうしたの?気分が悪いのかい?」
彼は今日は朝からずっとはしゃいでいた。まだ、本調子ではないヒカルの身体に負担が掛かって
しまったのではないだろうか―と、アキラまで顔から血の気が引く思いがした。
「……………ゴメン…」
「どうしたの?」
ヒカルの視線は、部屋の隅に束ねられた雑誌に注がれている。およそ、アキラには不似合いな
その本は、先日、ヒカルがアキラに投げつけたものだ。
「ゴメン………」
「いいんだ…」
 ヒカルは他人対しては、一線を引いて接している印象がある。どんなに親しげに見えても
どこかよそよそしいその印象は拭えない。

人ごとではないんだけどね――自分も同じだ。だからわかる。

 「キミに、甘えてもらえるのはうれしい…」
「…怒ってもいいからな?」
「うん。あんまりワガママがすぎるときは、遠慮なく。」
「前みたいに?」
「“ふざけるな”と、“いい加減にしろ”とどっちがいい?」
 どっちもイヤだとヒカルはアキラの胸に抱きついた。


(280)
 ヒカルは勢いを借りて、そのままアキラを押し倒した。彼の上にのし掛かり、胸に顔を埋めた。
「…………ヒカル?」
じっと動かないヒカルの髪に手を差し込んで、そっと梳いた。
 ヒカルは何も言わない。ただ、アキラに身体を預けて、目を閉じている。アキラも何も言わず、
彼の柔らかい髪を弄んだ。

 「…オレ…オマエと一緒にいっぱい遊びたいと思ってた…」
暫くして、頬を胸に押しつけたままヒカルが呟いた。
「山に行ってキャンプしたり…プール行ったり…」
「たぶん、立てた計画の半分も実行できなかったと思うけど…そうやって考えているのは
 スゲー楽しかった…」
 自分と同じようにヒカルが考えていたなんて…アキラはどうにも堪らないくらいヒカルを
愛おしく思った。抱きしめたい。思い切り。
「ヒカル…!」
起きあがろうとして、ヒカルに押し留められた。
「オレ、楽しいことだけ書きたかったから…あんまりヤナこと書きたくなかったから…」
「オマエが気が向いたときや、楽しいことだけ書いてもいいって言ったから…
 楽しいことだけで、日記が埋まればいいと思ってた…」
「…………楽しいことだけ?」
ヒカルは頷いた。胸のあたりがくすぐったい。ヒカルが小さく身動ぎするたび、柔らかい髪が
アキラの頬や首筋をくすぐる。
「そうすれば…オレは毎日楽しくやってるって…大丈夫だって…」
そこでヒカルは黙ってしまった。
 アキラには何となくわかってしまった。ヒカルの日記は日記ではない。誰かへのメッセージだ。
「見せたい人がいるんだね?キミの日記は本当は日記じゃないんだ…」
「……………………………………日記は日記だよ…見せたいヤツなんかいねえよ………」
見せたい人などいないというその言葉はウソだ。相手が誰だかわからないが、少なくとも
自分ではない。



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