失着点・龍界編 28 - 29
(28)
「失礼ですが、あなたはもしや、塔矢アキラ3段では…」
「はい、そうですが。」
囁くような小声の席亭の問いに対しアキラは相手の目を真直ぐに見て答えた。
「ぜひとも指導後をお願い出来ませんでしょうか。お礼は出来るだけの
事を…」
「…申し訳ないのですが、今日は時間がないので…。」
「そうですか…残念ですね。それでは、サインだけでも頂けませんか。」
「それは…かまいませんが。」
「事務所に色紙と机がありますので、携帯も探して直ぐに持って
行きます。こちらへ…。」
ビル内の別の事務所の部屋に向かう為に席亭についてアキラが「龍山」の
ドアを出るのと入れ違いに、三谷が入って来た。
三谷はアキラの姿に目を見張り一瞬息を飲む。アキラは三谷の事は
全然覚えていないようだった。ただチラリと三谷を見て、自分と同じ年位の
人が来ているには来ているんだな、と感じただけだった。そのアキラと
席亭に続いて数人の男が静かに立ち上がり出て行った。
(なぜ…塔矢アキラが…?)
三谷は入り口の所で呆然と立ち止まったままアキラが向かった方を見てい
たが、カウンターの若い男に腕を掴まれ、店の中に連れ込まれた。
「遅かったじゃねえか。沢淵さんがお冠だよ。お前が目当ての
客が来ているらしい。」
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若い男から連絡を受けた沢淵は対局の中断を緒方に申し入れた。
緒方の方も思ったよりも時間がかかってしまった事を気にしていて
申し入れを受けた。
もう学校からアキラが碁会所に来ている頃だ。
ふと気が着くと、部屋の隅の壁にもたれているヒカルと同い年くらいの
少年がいた。
いつからそこに居たのか全く分からなかった。
顔を腫らし、あちこちの絆創膏が痛々しい。照明のせいもあるがひどく
顔色が悪い気がした。だが目付きは異様に鋭い。
赤い髪に印象的な大きな目をしている。間違い無くヒカルの友人の
三谷だろう。
向こうも見なれぬ客に警戒し注意を払っているようだった。
「…気に入りましたか?」
沢淵が石を集めながらニヤニヤしながらこちらを見ている。
「…対局料は高そうだな…。」
「先生にはサービスしておきますよ。ただ今日はちょっと彼は先約が
ありますので…。いつでもどうぞ。」
とりあえず“顔見せ”だけのようらしい。三谷はすぐに別の席の男に
呼ばれてそちらに向かった。
三谷かどうか確認したかったが、その時は、緒方は黙ってそこを
離れるしか無かった。
よもや、そのビル内にアキラが居るとは緒方は思わなかった。
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