光彩 28 - 31


(28)
緒方になだめられている間に、どうやら眠ってしまったらしい。
ヒカルが目を覚ましたのは、見知らぬ部屋の中だった。
緒方の家だと気づいたのは、しばらくしてからだ。
サイドボードの時計を見る。
辛うじてまだ、今日は昨日にはなってはいなかった。

枕元に氷嚢が落ちていた。
先生が瞼を冷やしてくれていたのだろうか?
いくら何でも甘えすぎだ。
お礼を言って帰ろう。

ぼんやりした頭のままベッドを抜け出すと、
ドアの向こうから話し声が聞こえた。
怒鳴りあうような声に、ヒカルは恐る恐るドアの隙間から覗いた。


頭の中が真っ白になった。
塔矢と緒方先生が・・・?信じられなかった。
声が出ない。足がすくむ。
体から力が抜け、ドアに寄りかかった。

アキラと目が合った。
アキラはヒカル以上に悲愴な顔をしていた。
ヒカルには知られたくないと叫んでいたのに。
絶望の色が瞳に宿っている。
顔が真っ白だ。唇がふるえていた。
いや、唇だけではない。
全身がふるえている。


アキラが緒方の方に向き直った。
憎しみと怒りに燃えた瞳を緒方にぶつけている。
心の底から緒方を憎んでいるような目だ。

渾身の力を込めて、緒方を殴った。

緒方はよけなかった。
眼鏡が床に落ちた。フレームが歪んでいた。

アキラはそのままヒカルを見ようともせずに出ていった。

確かに、ヒカルはアキラに裏切られたような気がした。
が、その思いは一瞬で消えた。
それよりも、傷ついたアキラが可哀想だった。
抱きしめて慰めてあげたい。
アキラを追いかけようとした。
それなのに、足が動かなかった。

緒方のことが気にかかった。

時計の音がやけに耳触りだった。


(29)
緒方はいすに倒れ込むように座った。
目頭を手で押さえるようにして俯いた。
殴られた頬は痛くなかった。
別の痛みの方がずっと大きかった。

アキラは、火花が散るような凄烈な瞳で緒方を睨んできた。
その姿を緒方は美しいと思った。
視線だけで緒方を射殺しそうだった。
炎のようなアキラの姿が目に焼き付いた。

時計の音が響く。
どれくらい時間がたったのか。

ようやくヒカルが口を開いた。
「先生・・・。どうして?」
ヒカルがゆっくりと緒方に近づいてきた。


(30)
ヒカルは再度問いかけた。
「・・・どうして塔矢をわざと傷つけるようなまねをしたの?」
緒方は答えなかった。

黙り込んだままの緒方を静かに見つめる。
ヒカルは責めているわけではなかった。
ただ、ただ、不思議だった。
・・・塔矢を責める姿は・・・。自分の知る緒方とは別人のようだった。

アキラを傷つけた緒方は、それ以上に傷ついているように見えた。
体中に見えない傷が無数につき、そこから血が噴き出しているようだ。
涙こそ出ていないが、泣いているようにも見える。

はっと、ヒカルは唐突に気づいた。先生はもしかして・・・。

自分は本当に馬鹿だと思った。
大人なら、簡単に悩みを解決できると思っていた・・・。
よけいなプライドやしがらみがある分、大人の方がずっと複雑だ。
自分の目に映る緒方とアキラの目に映る緒方。
どちらも本当の緒方だろう。
素直に好きなものを好きと言えないなんてつらい。
知らないうちに、緒方を傷つけていたのだ。
それに気づかなかったなんて、本当に救いがたい。

あの時、怒ったように見えた理由は・・・。

「ゴメン・・・。ゴメンね。緒方先生。」
ヒカルは跪いて、そっと緒方の手を取った。
大きくて温かい手。
佐為の顔が浮かんだ。

ゴメン。

自分勝手なことばかりして。
気持ちを思いやれなくて・・・。
頼って・・・甘えて・・・。

「先生。ゴメン。」
緒方の手を撫でながら、ヒカルは何度も繰り返した。


(31)
ヒカルはアキラを追って出ていった。
緒方は、無言でそれを見送った。
出ていく前、ヒカルは何度も、緒方を気遣わしげに振り返った。

部屋の中に静寂が訪れた。

アキラを滅茶苦茶に傷つけた。
望み通りだ。後悔する必要なんかない。
ヒカルの心配など見当違いだ。
あいつは俺を誤解している。

アキラの切れ長の瞳と、ヒカルの黒い大きな瞳が交互に浮かんだ。

緒方は立ち上がって、机の引き出しをあけた。
アキラが返してきた合い鍵をとりだす。
手の中のそれをしばらく眺めていたが、そのままゴミ箱へ放り投げた。



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