日記 280 - 282
(280)
ヒカルは勢いを借りて、そのままアキラを押し倒した。彼の上にのし掛かり、胸に顔を埋めた。
「…………ヒカル?」
じっと動かないヒカルの髪に手を差し込んで、そっと梳いた。
ヒカルは何も言わない。ただ、アキラに身体を預けて、目を閉じている。アキラも何も言わず、
彼の柔らかい髪を弄んだ。
「…オレ…オマエと一緒にいっぱい遊びたいと思ってた…」
暫くして、頬を胸に押しつけたままヒカルが呟いた。
「山に行ってキャンプしたり…プール行ったり…」
「たぶん、立てた計画の半分も実行できなかったと思うけど…そうやって考えているのは
スゲー楽しかった…」
自分と同じようにヒカルが考えていたなんて…アキラはどうにも堪らないくらいヒカルを
愛おしく思った。抱きしめたい。思い切り。
「ヒカル…!」
起きあがろうとして、ヒカルに押し留められた。
「オレ、楽しいことだけ書きたかったから…あんまりヤナこと書きたくなかったから…」
「オマエが気が向いたときや、楽しいことだけ書いてもいいって言ったから…
楽しいことだけで、日記が埋まればいいと思ってた…」
「…………楽しいことだけ?」
ヒカルは頷いた。胸のあたりがくすぐったい。ヒカルが小さく身動ぎするたび、柔らかい髪が
アキラの頬や首筋をくすぐる。
「そうすれば…オレは毎日楽しくやってるって…大丈夫だって…」
そこでヒカルは黙ってしまった。
アキラには何となくわかってしまった。ヒカルの日記は日記ではない。誰かへのメッセージだ。
「見せたい人がいるんだね?キミの日記は本当は日記じゃないんだ…」
「……………………………………日記は日記だよ…見せたいヤツなんかいねえよ………」
見せたい人などいないというその言葉はウソだ。相手が誰だかわからないが、少なくとも
自分ではない。
(281)
ヒカルは前に一度、アキラに大事なそれを見せてくれようとした。あの時、見たい気持ちを
押さえてよかったと思う。楽しいことだけ綴りたいというヒカルの協力者になることは、
それを受け取るよりずっとすてきだと感じた。
「だけど……途中…………空いてるんだ……」
胸にしがみつくヒカルの指が強く震えている。アキラはヒカルを強く抱き返した。
「ヒカル………」
「大丈夫だよ………その後、いっぱい楽しいことがあったから………」
ヒカルが身体をずり上げて、アキラの顔を覗き込む。
「海に行っただろ…花火もしたし…かき氷も…お月見も楽しかったよな…」
ヒカルの瞳はキラキラしていて、一片の暗さも見えなかった。
「それにさ、昨日の分で、日記全部使い切ったんだ…」
本当にうれしそうに笑う。それにつられて、自分の口元も僅かに弛んだ。
ヒカルを腕に抱いたまま、アキラは身体を支えて起きあがった。ちょうど自分の膝の上に
ヒカルが乗る恰好となる。自分のすぐ目の前にヒカルの繊細な造作の顔があった。
「今日の分はないの?」
「まだ、買ってない…」
明日買いに行くというヒカルを自分の上からおろすと、アキラは自室へと入っていった。
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アキラは自室に篭もったままなかなか出てこない。ヒカルは不安で堪らなかった。また、
何か無神経なことを言ってアキラを不愉快にしたのではないだろうか…
彼を―佐為を失って以来、ヒカルは自分の言動に注意深くなっていた。端から見れば
さして変わったように見えないが、何をするにも出来るだけ気をつけてきたつもりだ。
「……どうしよう…オレ…なんかしたのかな………わかんネエ…」
いくら考えてもわからない。
「…ワガママばかり…言ったから…?」
確かに甘えすぎていたかもしれない。アキラにも…彼にも――優しいから、何でも許してくれたから
無神経な言葉で傷つけた。そして――いなくなった。
「アキラまでいなくなったらどうしよう……」
ヒカルは急に悲しくなった。アキラはまだ出てこない。自分から行けばいいのだが、どうしても
立てなかった。
「何で出てこねえんだよ…」
確かに自分はワガママだけど…ワガママさではアイツらだって負けてない。
「すぐ怒鳴るし…好き放題言いっぱなしだし…」
ヒカルはひとしきり文句を言って、アキラの部屋の方に目をやった。
やっぱり、まだ出てこない。ヒカルの気持ちは、ドンドンしぼんでいく。不安が強がりを
挫き始めたとき、漸くアキラが出てきた。
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