失楽園 29


(29)

「…別にそんなつもりじゃない」
 緒方はヒカルの指をほどくと、そのままパッケージを破いてキャップを開けた。そして、
『あ〜あ、やっちゃった』というような表情のヒカルのグラスにジュースを注ぎ入れる。
「…アキラくんは、オマエを太陽だと言っていた。だからどうしようもなく憧れてしまうと」
 それを聞いたときには、つい笑ってしまった。――笑うしかなかった。
 口先だけでも笑って、そして裏切りにも似た発言をするその唇を塞ぐことしかできなかった。
「オレにとっては、あの子の存在こそが……。なのに、あの子はオマエに惹かれていった。
息をするようにごく自然にな。傍で見ていて滑稽ですらあったよ」
 かつて、アキラに進藤というコマを与えたのは緒方だった。
 『いずれ我々の目の前に現れるだろう』というアキラの父のようには、緒方はただ待つという
ことができなかった。アキラのより高度な成長を促すために見つけた一つのコマ――それが進藤
ヒカルという少年だった。
 もしかしたら進藤は、院生試験を受けるときに便宜を図ったのが自分であったからこそ、今日
こうしてここにいるのかもしれない。誰に対しても臆すことのない性格なのは美点でもあるが、
他の棋士と自分に対しての進藤の対応に幾分違いがあることは緒方も気がついていた。
 だが、院生試験を早く受けさせたことは、進藤のためを思ってのことではなかった。
 自分の欲求のために、できるだけ早くアキラの成長を早める必要があった。
 それだけのことだ。
 アキラの生まれた時からを知っているような父や自分、そして親しく付き合っていた他の門下
生ではどう足掻いてもアキラの闘争心を今まで以上に掻き立てることは難しい――そう踏んだ緒
方の思惑通り、アキラは進藤ヒカルというライバルを得、そして素晴らしい成長を遂げた。
 しかし、アキラが進藤の持つ「囲碁」だけでなく、進藤自身にも興味を持ったのは明らかに緒
方のミスだった。
 アキラの世界はあくまで囲碁においてのみ拡がり、誰かに心を許し、あまつさえ欲する日が来
るとは思えなかったのだ。かつての自分がそうであったように。



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