痴漢電車 お持ち帰り編 29 - 32
(29)
「バカ!ヘンタイ!スケベ!ピーマン!」
何とかアキラから逃げることに成功した。腹立たしくて、悲しくて、何か一言言ってやらなければ
気が済まない。そして、出てきた悪口がコレだ………。
最後の“ピーマン”に意味など無い。ただ、他に思いつかなかっただけだ。
―――――塔矢はヒドイ……!オレの気持ち全然考えてくれない!
アキラが自分を好きだと言ったから、その気持ちに答えようと思っていたのに………。
一生懸命がんばったのに……。
突っ込むアキラはいいかもしれないが、それを受け入れるヒカルの方は大変なのだ。お尻は
痛いし、身体中軋んで怠いし、お腹の調子もよくないし…………。それなのに………。
ヒカルは別にロマンチックな展開を期待していたわけではない。自分だって、どちらかといえば
花より団子の色気のないヤツだ。だけど、もう少し労って欲しかった。ヒカルの身体のことを
考えて欲しかったのだ。
情けなくて涙が出てきた。
「オマエなんかキライだ………バカヤロォ…」
もうアキラの「好き」なんて信用しない。アイツは本当は、自分のことなど好きでも何でもないのだ。
昨日から連続でカルチャーショックを受けて、ヒカルは疲れ切っていた。もうイヤだ。
帰りたい。イヤ、帰る。今度こそ何が何でも帰る。そう決めた。
憤然としているヒカルの後ろをアキラが付いてくる。昨日と違って今日は止めもしない。
それがまた腹立たしいのだ。アキラが何を言っても帰るつもりだったけど………なんか悔しい。
帰る前にもう一度文句を言ってやる。
「バカ!ヘンタイ!スケベ!カボチャ!オマエなんかキライだ―――――――――!」
あれ?オレさっきも“カボチャ”って言ったっけ?まあ、いいや………とにかくもう
アキラの顔なんか見たくもない。碁会所にももう行かない。もう絶交だ。
ヒカルは走って塔矢邸を後にした。悔しくて悔しくて涙が止まらなかった。
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翌日もその次の日もヒカルは碁会所に現れなかった。怒っているのかな……マズイなあ…。
それでもアキラはまだ、楽観していた。ヒカルに好かれているという自信があったのだ。
だが、ヒカルに貸した服が綺麗にプレスされて、宅配便で送り返されてきたとき、流石に
ヤバイと感じた。こんなモノわざわざ送ってくる必要はない。碁会所で会って渡せばすむことだ。
「コレは進藤からの絶縁状………かな…?」
相当、怒っている。早いうちに手を打たないと、取り返しがつかない。
ケーキを手みやげにヒカルの家を訪ねた。ヒカルはまだ帰っていないと、申し訳なさそうに
彼の母親が告げた。
出直そうかと思ったが、ヒカルの母が彼の部屋にあげてくれた。
「ごめんなさいね。もう少ししたら戻ると思うから…」
案内されたヒカルの部屋は、彼らしい賑やかな部屋だった。漫画と詰め碁集が並んで本棚に
立てられているのが微笑ましい。
「このベッドで進藤が寝ているのか………」
モヤモヤといけない気分になってくる。手を伸ばして、シーツをゆっくり撫でていると、
ドアの向こうから階段を駆け上がる軽快な足音が聞こえてきた。
「ねえ!お母さぁん、お客さんって誰ぇ?」
足音に混じってヒカルが母親に尋ねる声が聞こえた。
ああ…進藤!なんて可愛い声なんだ。 アキラはドアが開くのを今か今かと待ち焦がれていた。
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「なんでオマエがここにいるんだよぉ!」
ドアを開けての開口一番のこの言葉に、母親の方がビックリしていた。お茶とケーキをのせた
お盆を持って、ヒカルの後ろを付いてきていたのである。
「まあ!なんて口の聞き方をするの!」
母は、ヒカルを厳しくたしなめた。
「だって………」
だって、コイツは悪いヤツなんだ。お母さんだってコイツがオレにしたことを知ったら、
絶対そんなこと言わないはずだ。
ヒカルはムッツリと黙り込んだ。
「ごめんなさいね……」
と、謝る母を見てヒカルはますますムッとなった。
「いえ、気にしていませんから…」
と、アキラはにっこり微笑む…………なんて外面のいいヤツだ。あんなに悪いヤツなのに、コレじゃ
オレの方が悪者じゃないか。おまけに、何二人で楽しそうに、世間話してるんだよ。
すっかり、すねてしまったヒカルを見て母が溜息を吐いた。
「いつまでも子供なんだから…塔矢君を見習って欲しいわ…」
母は、アキラに「それじゃ、ゆっくりしていってね」と挨拶して出て行った。
二人きりにされると急に心細くなってしまった。アキラはニコニコとヒカルを見ている。
何がそんなに嬉しいのだろうか?また、この前みたいにヤルつもりだろうか………。今日は
下に母もいるし………困る………ハッ!困るって何だ!?……ヘンだ…自分は怒っている
はずなのに………アキラが来てくれてちょっと…うれしいかも………
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「進藤…食べないの?好きだろ?」
アキラが床に置かれたお盆を目で示した。その上には、ミルクティーとケーキが乗っている。
ヒカルが好きだと言っていたイチゴのショートケーキとモンブランだ。
「コレ……オマエが持ってきたの?」
アキラが頷く。そう言えば、さっきお母さんが「お持たせですけど、どうぞ」とか言っていた。
「この前、進藤それが好きだって言ってたから……」
アキラは本当に嬉しそうに笑っている。ヒカルはなんだか自分がとても悪いことをして
いるような気持ちになった。
――――――オマエの持って来たモンなんか喰わネエよ!
とか言ったら、自分の方が顰蹙を買いそうだ。おかしい。被害者は自分の方なのに………。
ヒカルは、無言でフォークでケーキを突き刺した。クリームをすくい上げ、口に運ぶ。
「………おいしい…」
「そう、よかった…」
アキラがあんまりニコニコ笑っているので、居心地が悪い。
「オレ…怒っているんだからな…」
「ゴメン……」
「オレが怒っている理由わかって謝ってるのか?」
「申し訳ないけど、全然見当も付かない……だから、どこがいけなかったのか教えて欲しい…」
冗談ではないらしい。アキラにはヒカルが怒っている理由が本当にわかっていないのだ。
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