しじま 3
(3)
一刻も早く家に帰りたくて、ボクは棋院からタクシーを呼んだ。
それを見て進藤は苦笑いをした。
「オレ、別に気は変えないから、電車でも平気だぜ」
まるでボクが急いで進藤を連れ込もうとしているかのような口振りだ。
……進藤には、そう見えているのだろうか。
ボクはタクシーに乗っているあいだずっとうわの空で、進藤が話しかけてきても生返事しか
できなかった。気付くと進藤はタクシーの運転手とおしゃべりをしていた。
ボクはなにをやっているんだ。
けど、いきなりこんな展開になって、どうして落ち着いてられる?
部屋は片付いているだろうかとか、ちゃんとコンドームの枚数が足りているだろうかとか、
潤滑剤はあるだろうかとか、気になることがたくさんあった。
そうこうしているうちに家に着いた。
タクシー代を払うという進藤を無理やり外に押し出して、ボクは財布を取り出した。
なかをのぞいて一瞬かたまる。
ない。お金が入っていない。そんな馬鹿な。
いや、そう言えば昨日たしか新しいのに入れかえたんだったんだ。
なのにボクは間違えて古いほうを持ってきてしまったんだ。
一日中それに気付かなかっただなんて、ボクはとんだ間抜けだ。
「どうしたんだよ、塔矢。あ、お金が入ってないじゃん。バッカだなあ」
呆れたように言うと、進藤はお札を運転手に渡した。おつりの小銭の音を聞きながら、ボク
は自分の不手際に目のまえが暗くなった気がした。
「ほら、早く開けろよ」
進藤は気にしていないらしく、玄関のまえで催促している。
こういうおおらかな―――と言っていいのだろうか―――ところが、ボクにないものだから
うらやましさを通りこしてあこがれる。
家に入るなり、進藤はいきなりボクを引き寄せてきた。
驚くまもなく慣れ親しんだ感触が唇のうえに広がっていった。
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