天涯硝子 3


(3)
ヒカルは乾いた自分の唇を、何度も舐めていた。エアコンの乾いた空気のせいだった。
冴木が話す車の話などよくわからないが、新しい車の匂いに自分も楽しい気分になった。
最初はヒカルの自宅までだと言っていた冴木も、まだ時間が早いこともあって、今は少し郊外までドライブしようと言い出していた。
ヒカルは翌日の大手合いがあることを気にしながらも、機嫌のいい冴木の傍にいたくて冴木の言葉に同意していた。
窓の外の流れる街の灯りが少しづつ減っていく。行き交う車の数も減り、もの淋しい感じがしてきた。
少し郊外へ、と言っていたのに街灯があるのも珍しいような場所を車は走っている。
行く先もはっきりとわからない、こんなに暗い道を走る車に乗っているのは初めてだ。
アスファルトの道なのに、両端は木々が迫り道はくねって先が見えない。

「進藤、見てみろよ」
冴木はアスファルト道路を少し広くした駐車場のような場所に入り、車を停車させ、ライトを消し、エンジンを止めた。
「あの先だよ。街の灯りが見えるだろ?」
冴木が指差した先を見るが、木の間からちらちらとしか光は見えない。
「よく見えないよ…」
ヒカルは心細くなった。
「よし、降りて見るか」
ドアを開けて外へ出る。
都会の街中ならば、夜でも蒸した昼間の熱気が残っているところだが、
ヒカルには全く場所のわからない山の中に来ただけはあって、空気は冷たく肌寒かった。
辺りは暗く静かで、都会で育ったヒカルには経験したことのない闇が広がっている。
冴木が傍に歩いてきた。
「冴木さん、暗くて歩けないよ」
「ん?」
「…恐いな」
冴木がもっと近づく気配がして、ヒカルは思わず冴木にしがみついた。
「おい、子供みたいだぞ。…って、子供か」
冴木はヒカルの細い肩を抱き、歩くように促した。
ヒカルは両腕を冴木にまわして抱きついていたせいで、足をもつれさせ転びそうになった。
「しょうがないな」
冴木はそう言うと、ヒカルの足をすくい、抱き上げた。
「軽いな、進藤は。俺の首に手をまわして。ちゃんと捕まって」
冴木に抱き上げられ、ヒカルはホッとした。
何も見えない冷たい闇の向こうに、得体の知れないものが潜んでいそうで、恐くてしかたなかったのだ。
軽々とヒカルを抱き、冴木は少し歩いた。
「あ、ほら。ここからならよく見える」
車の中からは、ちらちらとしか見えなかった街の灯りが、宝石箱を引っ繰り返したという形容そのままに眼下に広がっていた。
「わあっ! オレ、夜景って初めて見るーっ」
ヒカルは思わず大きな声を上げた。
「見たことなかったんだ?」
「うんっ。冴木さん、ありがとう。きれいだなー」
「ふうん。…進藤、女の子ならよかったのにな」
冴木はそう言うと、素早くヒカルの頬に音を立ててキスをした。
−−!?
冴木はヒカルを降ろして立たせ、その手を取って歩き出そうとした。
その冴木の手を、ヒカルはぐいっと強く引いた。
「…抱かないとだめか? 歩けないかな?」
「……」
冴木はもう一度、ヒカルを抱き上げようと身をかがめると、
その体にヒカルが絡みつくように抱きついてきた。
「進藤?」
「……」
ヒカルが何か言っているのがわかるが、よく聞き取れない。
「…オレ、男だけど…ダメ?」

暑くなって、窓を開けるために一度エンジンをかけた。
外の冷たい空気が流れ込んできて、熱くほてった身体に心地よかった。
シートの背もたれを倒し、冴木とヒカルは身体を隙間なく寄り添わせていた。



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