邂逅(平安異聞録) 3 - 4
(3)
内裏からの帰り道。
光の足は自然と佐為が昔住んでいた碁会所の有る屋敷に向かっていた。
佐為を一番近くに感じられた場所…そこにはもう人の気配はない。
時刻はすでに夕暮れで、太陽は殆ど山に沈み、大きな満月がまるで血のような赤を
たたえて、光を見下ろしていた。
「…佐為はもう、昔の事なんて忘れちゃったのかな」
光と佐為と明と、妖怪退治をした日々。大変だったけど充実していた。楽しかった。
妖怪退治が楽しかったんじゃない、佐為が一緒にいたから…皆で一緒にいられたから。
光は縁側に座って真っ赤な月を眺めやった。こんな月をいつか見た気がする。
それもおぼろげな記憶になってしまった。佐為にとって光との日々もそうだったのだろうか?
引っ込めたはずの涙がまた溜まってくる。口の中がしょっぱくなって来た。
「………うっ」
「光」
泣き出してしまう直前、光の耳に信じられない声が聞こえてきた。
そこには先ほどまで思っていたばかりの佐為の姿。彼は一人、光を見下ろして微笑んでいる。
「…どうして」
「ふふ、光こそどうしてこんなところで泣いているんですか?」
「オ、オレは泣いてなんか!オレは…オレはここに忘れ物があったから、取りに来たんだよ!」
「じゃあ、私も忘れ物を取りに来たんです。偶然ですね」
おっとりと笑う佐為に、光は先ほどまでの寂しさが和らいでいくのを感じた。
ここにいる佐為は昔と同じ、一緒に妖怪退治をしていた頃の佐為だと思えた。
「光、さっきはごめんなさい…ろくにお構いもできなくて」
「い、いいよ。佐為だって忙しいんだもんな。オレこそ突然ごめん…」
「いいえ、会いに来てくれて嬉しかったですよ」
見つめあって笑いあう。昔の時間が帰ってきたような気がした。
(4)
しかし、佐為はふと黙って、寂しげな顔を光に向けた。佐為の悲しみが垣間見えた。
「…光、私達はこれから今まで以上に会えなくなるでしょう」
佐為の言葉に、光はどきりとした。嫌な動悸がその胸を締めつける。
「私は囲碁指南役として、光は検非違使として…それぞれお互いの仕事が有る。
そして私は宮中で生きていくために、貴族間の権力抗争にも関わる事になるでしょう」
「さ…佐為…?」
あれほど権謀術数を嫌っていた佐為の口から出る言葉とは思えなかった。
佐為は、辛そうに顔を歪めて言葉を続ける。
「光…貴方はそんな事に関わってはなりません。貴方の真っ直ぐな心を私は失いたくない。
光のそんな所が、私はとても好きなのですから…」
佐為の言わんとしている事を察知して、光は言葉を失った。
佐為は光の為に、光から離れようとしている。悲しさを押し殺して…。
泣きそうな顔で笑顔を作る佐為が、光はとてつもなく愛しく、そして悲しく思えた。
「光、貴方と過ごした時間、とっても楽しかった…今までもこれからも。
私にとって光が 一番大切な人ですから…ずっと」
そこまで聞いて、光は思わず佐為に抱き着いていた。我慢出来ずに溢れる涙で
ぐしゃぐしゃの顔を佐為の狩衣に押しつける。
「佐為、佐為…佐為!」
しゃくりあげる光を佐為は優しく抱き締めてその髪をなでつける。
いつまでもこうしていたいと思った。
|