「甘い経験」のための予習 3 - 5
(3)
「でもさぁ、加賀って、ホントーに物知りだなあ…」
感心したようにヒカルが言うのを聞いて、加賀は脱力しそうになった。
自分にこんな知識が無駄にあるのが何だか情けないような気がして。
「もっと詳しく知りたいんだったらな、」
加賀は湯飲みに残っていたお茶をぐいっと飲み干してから、続けた。
「本屋に行けばその手の本はいくらでもあるぞ。」
「そんなの、本屋で普通に売ってんの…?」
「って言っても女向けだけどな。」
「?」
「女はホモが好きだからな。エロ本なんかよりも堂々と並んでるぜ。
まあ…どこまで妄想でどこまで実際に近いんだかは知らねぇけどな。」
「ああ…いるな、そういう女って。なんかさ、クラスの女子にもそんなのがいるけど、あれって
よくわかんねぇよなあ。なにが面白いんだろうな、あんなの。」
「おまえも、気をつけねえと、知らない内に写真撮られて、『街で見掛けた美少年達!』
なーんて投稿写真、雑誌に載せられちまうぞ?」
「なんで、オレが?オレなんて…ああ、でも塔矢はキレイだからなあ。
…って、ダメだよっ!アイツはオレんなんだからっ!!
そんな、女どもの妄想のネタになんかさせるかよっ!!」
(4)
こいつ、自覚ねえんだなあ。そりゃ塔矢みたいなキレイ系ではないけど、十分に「可愛い」系には
入るとは思うぜ。二人で並んでりゃあ、十分に人目を引く。ジャニーズからスカウトがきたって、
おかしくない。いや、それはさておき、それにしても、だ。
「アイツはオレんだ」ってのはなんなんだ?なんのつもりだ。こいつは。
図々しい。あの塔矢アキラを掴まえて「オレのもの」扱いかよ?
なんだってこんなヤツが…塔矢もどうかしてやがるぜ…
「…だから、もっと知りたきゃあ、そういうので自分でおベンキョーしやがれ。
オレなんかに聞いてくるな。」
「…って、買えるかよ、そんな女向けのホモ本なんて。」
「いちいち、いちいち、贅沢ってか、うるせぇヤツだな。なんなら、実地で教えてやろうか?」
加賀はそう言うとヒカルの肩を掴んで、畳の上に押し倒した。
だが、てっきり、「ふざけんなよ、加賀!」と跳ね返されると思ったのに、腕の下でヒカルが怯えた
ような目で自分を見ているのに気付いて、加賀は手を放した。
「進藤…?」
ヒカルがズッと後ろに下がって、身を起こし、震える声で言った。
「…そういうの、そういう事、やめろよ。」
「…悪かった。ゴメン。」
―なんなんだろう?この反応は。なんだか…こんな目にあったことでもあるのか…?
「本気のはずねぇだろ。ほんの、冗談じゃねぇか…」
「冗談とかで、する事じゃねぇよ…」
加賀は訝しげにヒカルを見るが、ヒカルはうつむいたまま、加賀とは視線を合わさずに、立ち上がった。
「ゴメン、加賀。オレ、帰る。」
「おい、進藤…」
ヒカルは床に転がっていたリュックを取り上げて、加賀を振り向かずに、力弱い足取りで、そのまま
加賀の部屋を出て行った。
(5)
忘れていた事を、思い出さなくてもいい事を、思い出してしまった。
なぜ、あの人はあんな事をしたんだろう。
―知りたいんだろう?教えてやるよ。
「オレ…塔矢が最初じゃなかったんだ。」
バカみたいだ。ファーストキスなんて、女じゃあるまいし、そんなのにこだわるなんて。
ヒカルは唇をゴシゴシと擦った。
そしてアキラだって。
―アイツはオレのものだ。
―見ていたんだから、わかったろう?
思い出したくも無い、緒方の、そしてアキラの言葉が耳に甦る。
それを打ち消そうと、ヒカルはぎゅっと眼を瞑って、首を振る。
「知らない。知らない、おまえと緒方先生の事なんか。関係ない。」
考えるな、そんな事。考えたってどうにもならないんだから。前の事なんか、関係ない。
今は、塔矢はオレのものだ。あいつはもう関係ない。
会いたい。
急にアキラに会いたくなった。
この時間なら、きっとアキラは碁会所にいる。この間は「もう行かない」なんて言ってしまったけど、
そんな事で意地をはるよりは、会いたい気持ちの方が強かった。
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