浴衣 3 - 5
(3)
「あれは!」
僕は思わず声を荒げていた。
「芦原さんたちが買ってくれたから、残したらいけないって、つい!」
プッと進藤が吹き出した。
「塔矢ぁ、聞いてるだけで胸焼けしそうだ」
そこで母と声を合わせて、朗らかに笑う。
「なにがそんなにおかしいのかね」
僕の座っている場所からは姿が見えなかったが、廊下に膝を吐き襖に縋るようにして笑っている母の後ろから、父の声がした。外出から戻ったんだ。
「お、お邪魔しいます」
進藤が、慌てて居住まいを正した。
「ああ、誰が見えているのかと思ったら、君か。久しぶりだね」
「ご無沙汰しています」
襖を大きく開けにこやかに笑いかける父を見ると、進藤はきっちり頭を下げた。
「今日は?」
父が、僕と進藤、交互に視線を向ける。
「たまたま休日が合ったので、お不動さんの縁日に誘ったんです」
「8月の例祭か。それでは、ちょうどよかったな」
父はそう言うと、風呂敷包みを母に手渡した。
「銀座の錦屋によったら、ちょうど出来あがってきたところで、預かってきたよ」
「あらいやだ、あなたを使うなんて、錦屋のご主人に文句を言わなくちゃ」
「やめておきなさい。今日はご隠居さんが見せにいらしてね、久しぶりに打ってきたんだ。
ご隠居さんが、おうちで坊ちゃんが楽しみにしているからと、持たせたんだ。若主人はその後ろでおろおろしていてね、可哀想だったよ。その上、おまえに文句を言われては、立つ瀬がなかろう」
「それもそうですね」と言いながら、母は僕たちの前で風呂敷包みを開いた。
「浴衣だ」
進藤が、明るい声をあげる。
(4)
「アキラさん、折角お父様が持ってきてくださったんですもの、着ていったらいかが?」
「え、でも…」
僕はチラッと進藤を盗み見た。しかし、進藤は子供のように目を輝かせて、黒と紺の浴衣を眺めている。残念ながら、僕のSOSに気づかないどころか、とどめを刺してくる。
「そうだよ、塔矢。着てみろよ」
「そうだわ、進藤君。あなたも着てみない? アキラのが他にもあるのよ」
「いや、俺…じゃない僕は普段和服着なれてないから……」
慌てて手を振り断る進藤に、父まで微笑んでいる。
彼がいるだけで、賑やかになる。
それは、進藤の持つ独特の空気なんだろうと、僕は思う。
6時半までに帰っていらっしゃいという母の声に送られて、僕たちは家を後にした。
角を曲がり大通りにでると、進藤が尋ねてきた。
「暑くないか?」
「浴衣?」
「うん」
「君に比べたら、暑いだろうね」
嫌味を聞かせる。
だってね、進藤はアロハにハーフパンツだよ。僕より暑いはずがない。
僕の嫌味に、進藤は困ったように片頬だけで笑って見せた。
「凄い似合ってる」
まいった。
進藤は言葉を惜しまない。
彼が誉めているときは、心から誉めているんだ。
「あ……、ありがとう」
僕は口篭もってしまった。女の子じゃないんだから、着てるものを誉められてもね。
似合うといえば、今日の進藤の格好も似合っているというか、彼らしいというか。
赤いアロハは、白い花の模様が涼しげで、そのなかに着ているTシャツは真っ白で清潔感があった。
(5)
駅を通りすぎ、銀行前の信号を渡ると、そこから露天商の小さな店々が、ひしめくようにして軒を連ねている。
はだか電球のまぶしい光と、やたらに派手な暖簾にけたたましい呼びこみが、僕たちを包みこむ。
焼きあがったベビーカステラの香ばしい匂いに食欲をくすぐる焼き蕎麦のソースの焦げる匂い。まだ生暖かい風が、江戸風鈴の涼しい音色を辺りに響かせ、色あざやかな風車をくるくると回す。
「想像してたのと全然違う」
「どう違うの?」
「こんなに賑やかだとは思わなかった」
「8のつく日が、お不動さんの縁日なんだけどね、今日は一年に一度の例祭なんだ。だから、いつもよりお店も多いければ、人出も多い」
そんなことを説明しながら、僕たちは露天を冷やかして歩いた。
縁日に行くと、なぜか買ってしまうものにアンズ飴がある。
僕が「食べる?」と進藤に訊いたら、彼は失礼なことに人の顔を見て吹き出してから、「一つだけにしとけよ」と偉そうに言ってくれた。
まったく、何年前の話を蒸し返してくれるんだ。
そんな進藤は、薄荷パイプ愛好家のようで、子供向けアニメのキャラクターのなかからさんざん迷った挙句、アンパンマンの形をしたパイプを選んだ。
広島風お好み焼きを半分づつ食べながら、因島に行ったときの思い出を話してくれた。
僕が、秀策記念館にまだ行ったことがないと言うと、いつか一緒に行こうと言ってくれた。
輪投げをして、射的をして、金魚すくいをした。
進藤は金魚すくいが得意だと自慢するだけあって、たった100円で5匹もすくってみせた。
持って帰ったところで、水槽一つあるわけでもない。進藤は、彼の見事な手つきに熱心に拍手をしてた子供に、ビニール袋ごと金魚を上げてしまった。
二人で並んでヨーヨー釣りをしたけれど、これは最初から紙縒りが濡れていたようで、僕も進藤も一つも取れなかった。
釣れなくても一つはもらえるので、僕は赤いヨーヨーを、進藤は白いヨーヨーを選んだ。
少し水の量が多いのかろ、少し重く感じるヨーヨーをパンパン言わせながら、お不動さんの境内に入った。
占いのくじを引いて、ふたりとも真っ先に目を通すのは勝負事の欄だった。
お不動さんの本殿で、お賽銭を投げこみ、拍手を打った。
初詣でもないから、願い事は些細なこと。
進藤が聞きたそうにしたから、かえって言いたくなかった。
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