カルピス・パーティー 3 - 6


(3)
一方、冷蔵庫や戸棚を漁って飲み物とコップを取り出すヒカルの表情は明るかった。
(なーんだ・・・全然大丈夫そうじゃん!悩んで損したかもな)
アキラが関西から帰ってきて三日後。今日の自主研究会を提案したのはヒカルのほう
だった。
向こうで社と会うと聞いた時から嫌な予感はしていたが、帰京するはずだった日の
夕方になってアキラの携帯から帰るのを一日遅らせると連絡が入った。
社に引き留められているのか、アキラが自分から残りたいと思ったのか。
今頃二人は何を話しどんな風に過ごしているのかと、気になって気になって
その夜は一睡もできなかった。
社がアキラの心を捉えてしまったらどうしようと、思った。
北斗杯前後の対局や交流を通して、ヒカルは社の実力や人柄をだいたいは把握した
つもりだった。
アキラが小学生の頃出会った自分に強く執着し、今も彼にとって特別な存在として
自分を遇してくれているのと同じように、社はアキラの興味を引くのに十分な資格を
備えているように思えた。
もしアキラに、自分と同じかそれ以上に特別な存在ができたら。
その時自分とアキラの関係はどう変わってしまうのだろう?

だが今日自分のアパートを訪れたアキラは何ら変わった素振りもなく、
相変わらず全身全霊で自分との碁に打ち込んできた。
石を打ちながら、検討を重ねながら、見つめてくる熱の籠もった眼差し。
魂まで焼き尽くされてしまうようなその眼差しは自分たちがまだ出会ったばかりの頃、
二度目の対戦の時から、変わらずアキラが自分に向け続けているものだ。


(4)
(・・・あの頃はまだ、アイツの視線はオレ自身に向けられたものじゃなかったけど・・・)
それでもあの眼差しが忘れられなかった。あの熱にもう一度じりじり焦がされたかった。
「真剣」なんて知らなかった自分が努力して、走って走って走り続けて、
そうしてやっとあの眼差しを自分に向けさせた。
それのみか、肌を重ねて一緒に眠る関係にすらなった。
肉親よりも近く魂の寄り添う相手を、もう一度手に入れた。
その間に、死ぬほど悲しい思いもしたけれど――
(もう、アイツだけは絶対、・・・失くしたくない)
苦労してやっと手に入れたものを失いたくないと思っているだけなのか、何かを失うと
いう事態そのものを自分が恐れているのか、ヒカルにもよくわからなかった。
ただこの数日間、アキラが自分以外の人間と共に過ごしていると考えるだけで
不安と焦燥と、何だかよくわからないどす黒い衝動が渦巻いて胸がくるしかった。
アキラが社と。あの、北斗杯予選で自分と渡り合った相手と。

(でも、今日のアイツ見てると――オレが心配しすぎだったかな?アイツいつもと全然
変わんないし。相変わらず暑っ苦しい目でオレのこと見てくるし。それに――)
さっきキスをした時、朝焼けの空が光の色に染まっていくように見る見る赤く頬を染めた
アキラを思い出して、ヒカルは無意識のうちににっこり微笑んでいた。
(塔矢・・・)
安堵と共に、優しい思いが甘く胸を満たしていく。
「――さーてとっ」
気合いを入れるように一人呟いて、ヒカルは調理台に並べた複数の壜とコップを一度に
抱え込み、アキラのいるリビングへそろそろと歩を進めた。

両手両腕両脇を最大限に駆使して、同じような形状の壜を何本も運んできたヒカルを見て
アキラは驚いた顔をした。
「進藤?・・・それはなんだ」
「カルピス。オマエさー、見てないで手伝ってよ。この脇のやつ、抜いてくんない?」
ヒカルの両脇からずり落ちそうになったそれを、アキラは慌てて受け止めた。


(5)
小さな四角いテーブルの上にゴトゴトと並べられた壜は全部で6本。
それらの脇に半透明なプラスチック製の使い捨てコップを袋に入ったままどさりと置いて、
ヒカルはアキラのほうを窺った。
アキラは興味深げに一本一本を手に取っては、ラベルの部分を白い長い指でなぞっている。
対局中とまるで変わらない真剣な眼差しが、手元の文字に集中するあまり寄り目気味に
なっているのをヒカルは微笑ましい気持ちで見守った。

「りんご・・・マスカット・・・色々な種類があるみたいだけど、全部カルピスなんだ?」
「ウン。オマエ前に、カルピスは普通の白いやつしか飲んだことないって言ってたろ?
他のも飲ませてやろうと思って、買っといた」
「え、そうなんだ?進藤・・・ありがとう」
さっきまで伏し目勝ちにラベルの文字に注がれていた視線が急に自分のほうを向いたので、
ヒカルは少し照れて目を逸らした。
「よ、よく見とけよな!それ全部種類違うんだぜ。フルーツのと・・・、普通の白いのもあるし」
「うん、こんなに種類があるなんて知らなかった。これ、どれを開けるかボクが選んで
いいのかい?」
「エ?何言ってんだよ。全部開けちゃおうぜ」
ヒカルは当然という顔で言った。アキラが少し驚いたように瞬きをする。
「・・・6本とも開けるのか?キミとボクの二人しかいないのに?」
「ウン。いーだろ?別に。飲み切れなかった分は冷蔵庫入れとけばいいし。ホラ、これ
オマエの分な」
言いながらヒカルはガサガサとコップを幾つか袋から取り出し、アキラに渡した。


(6)
「待て、進藤。コップをこんなに使うのか?」
手渡された使い捨てコップの数を数えてみてアキラが言った。
「エ?だって6本とも種類が違うんだから、全部味見するのに同じコップ使ったら
味が混ざっちゃうだろ」
「それはそうだが・・・何だか勿体ないな。進藤、普通のコップで飲まないか?もしキミが
後片付けが面倒なら、ボクが洗うから」
「えー?ウーン・・・ヤダ」
言ってから、しまったと思った。アキラの美しい眦が見る見る吊り上がり、厳しい視線が
ヒカルを真っ直ぐに捉える。
(ヤベッ。始まる)
「進藤。何故キミは、いつもそう――」
「あー、違う違う、メンドーだからとかじゃなくて!・・・こっちにあんまり食器置いて
ねェんだよ。茶碗とか全部足しても数足りねェし、別の種類飲むたびにいちいち洗って
使うってものめんど・・・じゃなくて、どうせなら全部並べて味比べしてみたいしさ」
「なるほど」
アキラがあっさり納得したので、ヒカルはカクッと拍子抜けしてしまった。
「そういうことなら、ボクとしてもこのコップを使うのに異論はない。・・・でもやっぱり、
少し勿体ない気がするな・・・」
呟きながら思いつめたように手の中のコップを凝視しているアキラを見て、ヒカルは
頭を掻いた。
(相変わらずなんてゆーか・・・細かいこと気にするヤツだなぁ・・・)
「あ、そうだ!それじゃ、」



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