追憶 3 - 6


(3)
「塔矢、」
「なに?」
できるだけ穏やかな声になるように、そっと応えたのに、
「さっきさ、外見ながら、誰の事考えてた?」
言われて、ボクは手を止めてしまった。
応えられずにいると、身体に回された腕にきゅっと力がこもり、彼はまたボクの肩に顔を埋めてくる。
「塔矢、」
「……どうしてボクの考えてる事がわかるんだ。」
「わかりたくもねぇよ、オマエが他の男のこと、考えてるなんて。でも、」
ボクは少しだけ怯えていたかもしれない。こうして彼といる時にあの人を思い出してしまう事が、彼に対
する裏切りと思われてしまうのではないかと。それなのに、なぜだか、ボクがあの人のことをどう思って
いるのか、知って欲しいとさえ、ボクは思っていた。そう思うことが、尚更、彼に対して悪い事をしている
ような気もして、何だか混乱してきたボクに、また彼の声が届いた。
「塔矢、おまえさ、」
言いかけて彼は一瞬言葉を飲み込む。
なぜだかボクも緊張して、彼の言葉の続きを待っていた。
「おまえ、あいつの事、好きだろう。」
いきなりストレートに言われて、本当にボクは一瞬、息をする事さえ忘れてしまった。
「おまえの気持ちを疑うわけじゃない。けど、オレとは別に、やっぱりあいつの事好きだろう?」
怒ってるのでも、責めているのでもない、静かな声だった。ずっと言おうと思って言いあぐねていた
事をやっと言えた、そんな感じの声だった。
本当に、どうしてそんなにボクの事がわかるんだ、キミは。
そんなにずかずかと、ボクが認めたくないようなことまで言い当てなくたっていいじゃないか。


(4)
「……うん。」
ようやく、なんとかやっと、ボクは返事をかえす。
「そうだね。きっと。ボクにとってキミは誰よりも何よりも、ただ一人"特別"だけど、」
確かに、キミの言う通りに、
「もしかしたら、ボクは自分で思っている以上にあのひとが好きだったのかもしれない。」
逃げちゃ駄目だよ。だってキミが言い出した事だろう。
とても、自分勝手なことを言っているのはわかってる。
こんな事を言うのは、キミにも、あの人にも、ひどい事なんだろう。
でも、それでもキミに聞いて欲しいんだ。だってこれもボクなんだから。
それがどんな事でも、全部を受け止めて欲しい。そう思ってるボクはひどく我儘で、キミに甘えてる
だけなんだって、本当はわかってる。ただ――こんな、肌寒い雨の日だから、甘えさせて。
「考える事があるよ。もしもボクがキミに会わなかったらボクはどうしてたろうって。」


(5)
「ボクは遠くからキミを見詰めるだけで、ボクの隣にいるのはキミじゃなくあの人で、時々、キミを思い
出して胸が痛む思いをして、それでももしかしたらそれでボクは幸せだったのかもしれない。
キミがボクのものじゃなくても。」
ゆるくボクを抱いている腕の中でくるりと振り向いて彼を見る。そうして今日初めて、彼の顔を正面から
見る。キミにそんな顔をさせてるのはボクなんだろうけど、ごめん、進藤。それでも聞いて欲しいんだ。
首に手を回して抱きついて、頬にそっとキスする。
「ずっとキミが好きだったけど、それが叶うなんて、思いが通じる事があるなんて、思わなかった。
キミからの応えを、期待なんかしてなかった。
時々、思うことがあるよ。
もしかして、これが全部夢だったらどうしようって、目覚めたらまたボクは一人で、キミは誰か友達と
一緒に笑っていて、ボクはそれを遠くから眺めるだけで、キミを眩しく思いながら何も言うことも出来ず
に、キミに近づく事も出来ずに、一人でいて。こうしてキミを感じているのなんか、やっぱり只の夢で、
現実はボクは一人のままなんじゃないかって思う事が、あるよ。」
でもこれは夢じゃない。現実だ。そうだろう?
ここにいるキミが夢でも幻でもなく現実である事をもっとちゃんと確かめたくて、回した手に力を込める。
抱き返される力が、温かい体温が、キミの存在を確かに現実にしてくれていて、泣きそうになりながら、
それでももっとキミを感じたくて、キミの唇にそっと触れた。


(6)
多分、言いたくなかった事を言わせてしまったような気がして、そんな事まで言わせた自分が情けなく
なる。
どうしてもっと早く、おまえの事好きだって気付けなかったんだろう。
おまえがアイツのものになってしまう前に、どうしてさっさと自分のものにしてしまえなかったんだろう。
今更こんな事、言ったってどうしようもないって、わかってる。
それでも時々、どうしようもなく辛くなる。
こんな事、考える方が馬鹿だってわかってるけど。
オレは何も知らなかったから。
何も知らなかったオレは、全部塔矢から教えられたようなもので、だから時々それを全部捨ててしまい
たくなる。忘れる事にしたつもりだったのに、気にしないって決めたはずだったのに、キスの仕方も、
セックスの手順も、全部全部アイツのものなんじゃないかって、塔矢の中に残るアイツの気配に、胸が
焼け焦げそうになる。

何も知らないおまえと、何も知らないオレと、二人で何にもないところから始めたかった。
こんな冷たい雨が降ってる寒い日は、なんだか不安になる。
確かにこの手の中におまえはいるのに、気が付いたら、ふっと目を離したらいなくなってしまうんじゃない
かって。
夢じゃないかって思うのはオレの方だ。
時々、これは全部オレの都合のいい夢なんじゃないだろうかと思うことがあるんだ。
あの日からずっと、オレが見てる夢なんじゃないかって。
本当はおまえはやっぱりアイツのもので、オレは悔しい思いを抱えたまま何もできずに遠くから、おまえ
がアイツといるのをただ見ているだけなんじゃないかって。



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