失着点・展界編 30
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ヒカルが実際、緒方のマンションの部屋を出たのは昼近くだった。
夢も見ない深い眠りから覚めた時、ドアのところに洗濯を済ませ乾燥機で
乾かしたヒカルの服が置いてあった。例のハンカチも。真っ白とはいかない
までも体裁は整っていた。もちろん、伊角には新品を買って返すつもりだが。
緒方はタバコを吸いながらパソコンに向かっていた。
「シミ抜きなんて適当だからな。…まあ目立たない位にはなってるだろ。」
服を着てベッドルームから顔を覗かせたヒカルの気配に振り返りもせず
緒方は答えた。ヒカルが自然に目を覚ますまで寝かしておいてくれたのは
明らかだった。
「顔を洗ってこい。そしたらすぐ出るぞ。」
「…緒方…先生。」
「ん?」
ヒカルはペコリと頭を下げた。
「…アリガトウゴザイマシタ…。」
そのまま、少しの間ヒカルは顔を上げられなかった。緒方はタバコを灰皿に
押し付け、肩を震わせているヒカルの頭にそっと手を置いた。
「…早く顔を洗ってこい。」
多少の渋滞はあったが、緒方の車でヒカルの自宅まではあっという間だった。
昨日はもう永遠に辿り着けないのではと思えた距離だった。
家の前でヒカルを降ろすと車はすぐに走り去って行ってしまった。
後で母親に緒方に直接挨拶させてもらえなかった事でこっぴどく叱られ、
腹の具合がイマイチであると何とか言い繕ってお粥を作ってもらい、
それを流し込んでようやく自分のベッドで一息ついた頃、伊角が訪ねて来た。
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